「――――また眠りこけてやがる」
 おやつの号令をかけたのに姿を現さなかったゾロを探して、彼の為に用意したおやつを乗せた盆を片手に船尾までやってきたサンジは、甲板に大の字を書いて気持ちよさそうに眠りこけている目標人物を目にして呻くようにそう漏らした。
 自分の声が聞こえない場所ではない。あれだけ大声で叫び、ルフィも大声で応対したのだ。聞こえない訳がない。
 なのに、起きてこなかった。
「俺が作るおやつよりも寝てる方が良いってか……………チッ!」
 どうでも良さそうに呟いた自分の言葉にもの凄く不快な気分になり、顔を盛大に歪めて舌を打った。
 軽いジョークのつもりだったその言葉は、ゾロの気持ちそのままな気がしてならない。
 おやつだけではない。寝過ごして食事をとりに来ない事だって日常茶飯事なのだ。そのたびに蹴り起こして無理矢理食卓につかせているが、無理矢理だからか、彼はもの凄く不味いモノを食べているのだと言わんばかりの表情で食事をし、食べた後はさっさとラウンジから出て行ってしまう。その空間に居るのが苦痛だと言わんばかりに。
 一応、「頂きます」と「ごちそうさま」は言って来るが、それは子供の頃に仕込まれたものが条件反射で出てきているだけだろう。彼の口から出る言葉に、感謝の気持ちは欠片もない。
「――――まぁ、感謝されたいわけでもねーけどよ」
 ボソリと呟き、小さく息を吐く。
 仲間になってからそう日が経ってない。その上、出会い方も再会の仕方も良かったとは言いがたい。むしろ、かなり印象が悪かっただろう。未だに自分が仲間と認識されていない可能性も極めて高い。ルフィが連れてきた人間だから文句を言わずにツラを付き合わせているだけなのかも知れない。
 そう思うと、胸がズキリと痛む。
 人間には相性と言うモノがあるから、「合わない」事はしょうがない事だとは思うけれど。小さい船で乗組員の数も少ない。そんな中で、後から入ってきた自分が不和の元になるのは、もの凄く辛い。やっぱり来なければ良かったのだろうかと、弱気になってしまう。
 そんな弱気を打ち払うように、大きく首を振る。そして、小さく息を吐くのに合わせて呟きを零す。
「――――メシ食って貰えてるだけ、マシだ」
 本当に自分の事が嫌なら、メシも食わないだろう。蹴り起こされても、ラウンジには来ないだろう。
 だから、大丈夫。
 最悪の事態には、なっていない。
 だったら、これ以上悪くならないように気を付けるだけだ。
「俺は、俺が出来ることをやるだけだ」
 呟き、口端を引き上げる。自分の気持ちを無理矢理にでも上向かせるために。
 細く長い足を持ち上げた。眠りこける男の腹に強烈な蹴りを与えて目覚めさせるために。そして、おやつを食べさせるために。用意した糖分は、彼の身体に必要なものなのだから。
 だが、速度を付けて振り下ろした足を、途中で止めた。そして、ゆっくりと床に戻す。
 たまには寝たいだけ寝させておいてやろうと、思い直して。
 おやつは三度の食事とは違う。彼の身体に糖分が必要なのは確かな事だが、それを食べなかったからと言って栄養バランスが崩れると言う程でもない。それに、おやつ時に摂取出来なかった糖分は、夕食で補わせることが出来る。
 彼の為に用意しておいたおやつは、ルフィにでも食べさせよう。彼なら大喜びで食してくれる事は間違いないし。食べ物だって、喜んで食べてくれるものの腹に収まった方が幸せだろう。
 そう思って踵を返したサンジだったが、一歩進んだ所でその足を止め、もう一度ゾロの傍らへと歩み寄った。そして、寝転がるゾロの頭の傍らにしゃがみ込み、おやつの乗った盆を頭から少し離れた所に置く。
 空腹で目が覚めた時に食べられるようにと。
 匂いをかぎつけたルフィにむさぼり食われる気がしないでもないが、それならソレで構わない。ルフィにやろうと思っていたものなのだから。
 盆を置いた後、すぐに立ち上がろうとしたサンジだったが、思い直してその場に止まり、眠りこけている男の顔を凝視する。
 男にしては多少線が細い自分と違って、彼は顔から身体から、彼を構成する全てのモノが太い線で描かれている。サンジがどれだけ努力しても付かなかった筋肉も、惜しげもなく全身に張りつかせている。
「羨ましいこった」
 呟き、何となく手を伸ばして眠り続ける男の額を撫で、硬めの緑の髪を撫でる。
 あまりの緑っぷりに最初は染めているのかと思ったが、根本までキッチリ緑なので地毛であることは間違いないだろう。
「こいつがわざわざ髪の毛を染めるわけねぇよな」
 独り言を呟きながら、髪を撫でていた手を頬に移した。
 自分の肌よりもざらついている。
 ソレがまた自分よりも彼の方が男臭いのだと言う事を痛感させられて、眉間に皺が寄る。
 どれだけ陽の光を浴びても黒くならない己の手の白さと、日に焼けたゾロの頬の黒さがまた一段と自分と彼の違いを表しているようで。自分と彼が絶対に相容れないモノなのだと言われているようで不快になり、サッと素早く手を引いた。
 そしてもう一度男の顔を眺め見て、深々と息を吐き出す。
 馬鹿なことを考えた自分にあきれ果てて。
「――――ルフィに食われないうちに食えよ」
 気を取り直すために口元に緩く笑みを刻み、男には滅多に使わない柔らかな声で告げる。
 ゾロの額を二度三度叩いてからゆっくりとその場に立ち上がったサンジは、いつも硬い靴音を響かせている人間とは思えないくらい静かに、音を殺して。だが、いつもと全く変わりない歩き方でゾロの元から離れていった。
 誰もいないラウンジに戻り、懐からタバコを取りだして口に銜え、慣れた仕草で火を付ける。
 吐き出した白い煙は風に煽られ、あっという間に大気に溶けた。
 仲間であるはずのゾロと溶け合うどころか、傍らにいることすら出来ない自分をあざ笑うように。
「――――なんとでも言えよ」

 そんなことには、慣れている。

 こんな気持ちにも慣れている。


 でもコレは、今までと違う。


 義父は、口で。態度でどう言おうとも、自分をちゃんと見てくれていたから。

 でも彼の、ゾロの中には、自分が居ない。
 影も形も。
 仲間どころか、一人の人間としても、認識されて居ないかも知れない。
「――――まぁ、良いさ」
 落ち込みそうになる意識を無理矢理浮上させる為に軽い口調で呟き、短くなったタバコを灰皿に押しつけて潰し、口角を引き上げた。
 考えることもやるべき事も沢山ある。
 楽しいことも、嬉しいことも。山程。
 今は、それだけを考えよう。
 新しい仲間と楽しく過ごす為に。
 気の良いメリー号のクルー達に笑っていて貰うために。
 身の内にある思いを隠す事も、目に見えない仮面を己の顔に付けることも得意だ。
 伊達や酔狂で、そう長くもない人生の半分以上の時を、接客業に費やしてきた訳ではない。
「俺は、『俺』を演じるさ」
 明るく楽しく、馬鹿をやって。
 ガキ共と騒いで、ナミさんを崇拝する。
「大丈夫」
 俺には、出来る。
 そっと呟き、目を閉じる。
 自分自身に言い聞かせるために。

 閉じた瞳を開いて、懐からタバコを一本取りだした。
 火を付け、白い煙を肺の奥深くまで吸い込む。
 その煙を細く、ゆっくりと吐き出した。
 体内から一切の空気を吐き出すのと一緒に。
 大きく息を吸う。
 そして、ラウンジから一歩、足を踏み出した。
「んナぁ〜〜ミすわぁ〜〜〜〜ん! 今日のお夕食は何が良いですか〜〜〜vv」
 その声に、ナミはちょっと驚いたような顔をした後、苦笑を浮かべて軽く腕を組んだ。リクエストする料理を考えるために。
 サンジの声を聞いて、ルフィが飛ぶように近寄ってくる。夕食は肉にしろと、訴えるために。
 ウソップもキノコは入れるなと要求してくる。
 そんな男二人を蹴りつけ、怒鳴りつけ、寄越されたお願いを却下しながらナミにハートを飛ばした。
 それが、今の自分の日常だから。






















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頬に触れる《サンジ》