踏み出すため

降り立った港町は、今まで過ごしていた町に比べると小さい町ではあったが、そこそこ栄た町だった。
前に住んでいた島からの定期便がないだけではなく、いくつかの定期便を乗り継いでも辿り着くことが出来ない島に向かう船を探し、その条件に合ったと言うだけの理由で行き着く島がどんな島なのかも分からずに船に飛び乗り辿り着いた島だったが。天は自分に味方してくれたらしい。
宿を探すついでに市場を覗いてみれば、様々な食材が良い状態で、しかも安価で売られている。出来る限り貯金はしてきたが、安心できるほどの貯蓄がないのでホッと胸をなで下ろした。それに、道行く人々の表情は明るく、穏やかだ。生活する環境としては、悪くないだろう。
サンジはチラリと、足元に居る二人の子供達に視線を落とした。その顔には疲労の色が見て取れる。まだ片手分にも満たない年齢な上に、その年の子供に比べると身体も小さく体力もない子供達だ。初めての船旅は相当身体に堪えたのだろう。それでも不平も不満も告げない子供達の頭を、グリグリと乱暴にかき回した。
「まだ歩けるか?」
問いかけに、子供達は力強く頷き返してきた。そしてニコリと、満面の笑顔を浮かべてくる。
「あたりまえだろ。まだぜんぜんあるけるよ!」
力強く言い返してきたセイの言葉に同意するよう、リョクも頷いた。そんな二人の頭を再度撫で、荷物を担ぎなおして歩を進める。
歩き出したサンジの服の裾が、両側からほんの少し引っ張られた。子供達が見失わないようにと掴んできたのだ。その手が離れないよう注意しながらゆっくりと歩を進め、買い物客で賑わう市場を歩いていく。
子供達のためにも早く宿に落ち着きたいところだが、懐具合が宜しくないのでどんな宿でも良いという訳にもいかず、何件か見送った後にこぢんまりとした宿屋の前で歩を止めた。
綺麗にはしているが、無駄な金をかけていない様子がある。不便を感じる程ではないが、港からも離れているのでそうそう客足は多くないだろう。
こんな感じの宿は、大概リーズナブルな値段設定になっているものだ。
小さく頷いた。とりあえず、ここに入ってみようと思って。
「いらっしゃいませ」
扉を押し開くと、直ぐさま柔らかな女性の声がかけられた。声に引かれて視線を動かせば、そこにはロビーの掃除をしていたらしい、箒を手にした恰幅の良い中年女性の姿があった。
その顔には、作り物ではないにこやかな笑顔が浮かべられている。窓が広くて明るいロビーが、その笑顔でより一層明るくなっているようだ。
この宿なら、子供達も安心して過ごせるだろう。
チラリとカウンターに置いてある料金表を見てみれば、料金設定も馬鹿高くない。出来ることならもう少し安い方が良かったが、許容範囲ではある。いい加減子供達も疲れている事だし、この宿に決めた方が良いだろう。そう思い、サンジは従業員だろう女性に声をかけた。
「すいません。大人一人と子供二人で泊まりたいんですが、部屋はありますか?」
「えぇ、大丈夫ですよ。お子さんは小さいし、ツインの部屋で良いですか?」
「シングルで良いです。あまり手持ちがないんで」
「あらあら、駄目よ。小さいベッドで三人川の字になるなんて。身体が休まらないでしょ」
サンジの言葉に、女性は呆れたように声をあげた。そしてフムと小さく声を出して宙に視線を向ける。
何かを考え込んでいるようなその様に、軽く首を捻る。彼女がなにを考え出したのか、見当もつかなかったので。
と、突然女性が満面の笑顔を浮かべながら首肯してきた。そしてサンジに向き直り、ニッコリと楽しげな笑みを浮かべてくる。
「じゃあ、ツインの部屋をシングル料金で提供するわ。それなら、問題ないでしょ?」
「え……? でも……」
「良いの良いの。今はそんなにお客さんいないし。何よりも、疲れた顔をした小さい子達をゆっくり休ませてあげたいのよ、私が」
なんの衒いもなくそう告げてきた女性は、手にしていた箒を適当に立てかけ、こちらに向かって歩み寄ってきた。そして、子供達の前でしゃがみ込み、ニコリと、柔らかな笑顔を浮かべながら問いかける。
「こんにちわ。お名前はなんて言うのかしら?」
「セイだよ。こっちはリョク」
優しい言葉で声をかけられたことが嬉しかったのか、セイは全開の笑顔を浮かべて答えを返した。その笑顔に釣られたのか。女性は更に笑みを深くした。
「セイちゃんにリョクちゃんね。私はメイサよ、ヨロシクね。ゆっくりしていって」
「うん! ありがとう、メイサさん!」
知ったばかりの名前を口にした子供に、メイサと名乗った女性はニコリと嬉しそうに笑い返した。そしてゆっくりとした足取りで、カウンターの中へと歩を進めていく。
「じゃあ、鍵を渡すわね。滞在は何日くらいかしら?」
「まだ分からないんです。住む家が決まり次第、と言うことになると思うので」
「住む家って……この島に、移住するつもりなの? こんななにも無い島に? 若い子だったら、もっと都会的な島に住みたがるものじゃないの?」
サンジの言葉に、女性は驚きに目を見開いた。
確かに不便そうな雰囲気はないが、若い男女が好みそうな遊び場は無さそうだった。好き好んでこの島に移住してこようと思う若者はそう居ないだろう。
だが、だからこそこの島が良いと思ったのだ。
その考えを、親切にしてくれている女性に素直に告げる。
「前はそう言う島に居たんですが、子供を育てるには少し不安を感じるところがあったんで。子供達には、こういう喉かな環境の方が良いかなって思ったんですよ」
「そうなの……うん、良い島よ、ここは。それは産まれたときからここで生活している私が保障してあげるわ」
ニコニコと返してくる女性の顔には、誇らしげな物が混じっている。本当に、自分の故郷を良いところだと思っているのだろう。
「――――住む所ね。うん、不動産を扱っている知り合いが何人か居るから、聞いておいてあげるわ。どんな所に住みたい? っていうか、仕事はどうするの? なにか紹介しましょうか?」
どうやら相当世話好きな人物だったらしい。メイサは続けざまに問いかけてきた。
あまり迷惑をかけてはとも思ったが、自分から振ってきてくれたのだ。好意に甘えておくべきだろう。子供二人を連れて見知らぬ町を彷徨くのは、少々骨が折れる事だから。
「仕事は、レストランを開こうと思ってるんです。だから、階下にレストランを開けるような物件があればと、思ってるんですけど」
「レストラン? あなた、コックさんなの?」
「えぇ。今は休業してますけど」
だから再開させたいのだと、胸の内で付け足す。
今までは様々な理由からレストラン勤めなど出来なかったのだが、今はなんの枷もない。思う存分、料理が出来る。
店を開いても客が来なかったらどうしようかという心配は、欠片もしていない。どんな文化がある島にたどり着こうとも、そこの住人達が満足する料理を作り出せる自信があるから。
それに、過剰に稼ごうと思っていない。日々の糧を得られて、それなりの貯蓄をしていければ良い。高望みしなければ、どうにでもなるものだ。
「うん、分かったわ。聞いてみる。とりあえずあなた達は部屋で休んで頂戴。子供達が凄く疲れた顔してるから。はい、鍵。三階の302号室よ」
「ありがとうございます。お手数かけますが、お願いします」
労りの言葉と共に差し出された鍵を丁重に受け取ると、メイサは人好きのする笑顔を浮かべながら軽く首を振ってきた。
そして、ロビーの奥を軽く指さしながら言葉を続けてくる。
「良いのよ。コックさんに食べさせるようなものではないかもしれないけど、向こうでは食堂も開いてるから、お腹が空いたら食べに来てね」
「はい、ありがとうございます」
手を振りながら送り出してくれたメイサに軽く頭を下げてから、子供達の頭を軽く叩いた。歩くよう、促すために。
「わぁっ! ひろいへやっ! それに、おおきいベッドがあるよ!」
部屋に入った途端、セイが大きな声で歓声を上げた。そして、ベッドの一つに飛び込み、スプリングに弾かれて跳ね上がる感触にまた、歓声を上げる。
セイが楽しそうにしているのに釣られたのだろう。リョクも同じようにベッドに飛び込み、二人でキャッキャと明るい声を上げていた。
「おい、そこら辺でやめとけよ。五月蠅くしたら回りから苦情がくるし、ベッドを壊したら弁償しないといけないんだから」
「はーーーい!」
サンジの叱責に、子供達は面白く無さそうにしながらも返事を返し、飛び跳ねるのを止めてベッドの端に座り込んだ。
だが、動きを止めたのは一瞬の事だった。すぐに床に足を下ろしてサンジの傍らに駆け寄り、初めて泊まるホテルの室内への興味が溢れ上がっているのか、セイが嬉々とした顔で問いかけてくる。
「ねぇ、探検してみて良い?」
「部屋の中だけならな。風呂を見つけたらそのままシャワーでも浴びてこい」
「は〜〜〜い!」
こんな状態のわが子達に制止の言葉をかけても止まらないことは分かっている。下手に止めたら意固地になって余計な事をしかねない。そう分かっているので妥協案を出してやれば、セイはピョコンと右手を上げて元気よく返事を寄越してきた。そして小走りにサンジの傍らから走り去っていく。その隣に、リョクが無言で並んだ。
そんな子供二人の背を見送ってから、苦笑を零す。
「探検する程広い部屋でもないだろうが」
あるのはトイレと浴室と、コート類を掛けるための小さなクローゼットくらいだ。たいした広さではない。
だが、産まれたときからずっと住んでいた一室よりは、広い。ベッドの大きさもその時使っていたベッドの軽く1.5倍はあるだろうから、子供達がはしゃぐ理由も分からなくはない。
「とりあえずは、風呂に入れて、あれだけ疲れてりゃとっとと寝るだろうから、寝かせてか……今日はもうなんも出来ないだろうな」
持っていた荷物を部屋の隅に置きながら、誰に聞かせるでもなく呟きを漏らした。
寝ているからといって一人で町を散策しに出るわけにもいかない。なにしろ、小さいくせに行動力が抜群にある子供達なのだ。ふと目を覚ましたときにサンジが室内にいなかったら、途端に宿を飛び出し、見知らぬ町を駆け回ることだろう。
とは言え、なんの情報も無いままの状態でいるのも気分が悪い。子供達が寝付いた後にでも階下に降り、新聞の一部でも借りてこよう。
そんな事を考えていたら、浴室に続いて居るであろうドアが勢いよく開かれた。
「おふろここにあったよ! すっごいひろいよ! いっしょにはいろう!」
「あぁ、分かった。着替え持って行くから、先に身体洗って湯船に湯を溜めておけよ」
「はーーーーい!」
テンションが上がりっぱなしらしいセイは、大きく右手を上げて返事をした後、再度ドアの向こうに消えていった。そのドアの向こうから、セイがリョクに自分の言葉を伝えているのが聞こえてくる。
元々明るいセイではあるが、島に上陸してからその明るさに輪がかかっている。本当に、楽しくて仕方ないと言うように。リョクも分かりづらくはあるが、かなりテンションを上げている。
クスリと、小さく笑みを漏らす。
そんな子供達の様を見ているだけで、胸の内が温かくなることを自覚して。
本当に自分は人の親になったのだなと、実感して。
「――――出てきて、良かったな」
ボソリと、呟きを漏らす。
あんな風に子供達が楽しそうにしているのだ。親を気遣って明るくしているわけではなく、心の底から楽しんでいるのだ。子供達の為にも、自分のためにも良い選択をしたと、心の底から思える。
「ねぇ、まーだー?」
「今行く」
催促の声に直ぐさま答え、鞄の中から着替えを引き抜いた。そして、子供達が待つ浴室へと向かって歩を進めていく。
そんな何気ないやり取りに、なんとも言えない幸せを感じながら。





翌日の昼過ぎに、メイサが一人の男を連れてやってきた。
不動産屋だという男に希望する物件の内容を告げれば、彼はいくつかの物件に案内してくれた。そのどれもが好物件で大いに悩んだが、時間をかけるのは経費の面でも無駄なので、その日の内に一番心惹かれた物件で契約を済ませた。
直ぐさまそこで生活したいと思ったのだが、電気やガスは入居の連絡を入れてから一週間経たないと入らないと言うことだったので諦め、仮の宿へと戻った。
翌日からは、新居が決まったお祝いにとメイサが持たせてくれた掃除道具を持って、借りたばかりの家に向かい、ひたすら掃除をし続けた。
二ヶ月前まで老夫婦が二人でレストランを営んでいたと言うその店舗は、それなりに埃が溜まっていた。あからさまに荒廃する程長い間人の手が入っていない訳ではないが、それでもこの状態で客を入れることなど出来るわけがない。
ハタキをかけ、箒で床を掃き、丁寧に床を磨き上げるサンジにならって、子供達も真剣な顔つきで床を磨いている。まだ四歳になったばかりの子供達だ。遊びたい盛りだろうに、文句一つ言わずに。
たまに作業に飽きるのか、手を止めてサンジに話しかけてきたり、子供同士で何かを話し合ったりしていたが、基本的には真面目に作業に集中していた。
そんな子供達の姿を見て、自分が彼等と同じくらいの時には、ここまで真面目に大人の手伝いをしていなかっただろうなと、思った。多分、何とかして手を抜いてその場から逃れる方法を考えていたと思う。もう昔の事過ぎて記憶にないけれども。
「そう言うところは、親に似ないで良かったな……」
ボソリと呟き、クスリと笑みを零した。もう一人の親も、自分と同じように大人の手伝いなんかしなかっただろうなと、思って。確かめる術は今のところないけれども、ほぼその考えに間違いはないだろう。
床を磨きながらそんな事を考えていたサンジは、何かに呼ばれたような気がして視線を上げた。だが、上げた視線の先には誰の姿も移らなかった。少し離れたところで床を磨いている子供達は、真剣な目つきで自分の手元を見つめていて、こちらに声をかけてきた様子はない。
どうやらただの空耳だったらしい。そう結論づけたサンジは、再度手元に視線を落とそうと視線を流した。その途中で傍らにある壁にはめ込まれた大きな窓の外にある、真っ青な空に惹かれて視線を上げた。
この空の下に、大切な仲間達が居る。
今でも彼等は、自分があの船に乗って居たときと同じように、楽しくて危険な旅をしているのだろう。
海軍に終われて、ナミやウソップが悲鳴を上げているかも知れない。ゾロとルフィとロビンは、嬉々としてそれらを打ち負かしているだろうか。
彼等の事を思い出すと、自然と頬が綻んだ。それと同時に、ズキリと胸が痛くなる。
「――――どうしたの? つかれた?」
サンジの手が止まっていることに気付いたのだろう。子供達が傍らに歩み寄り、首を傾げながら問いかけてきた。その顔には、サンジの身を案じてのことだろう、不安そうな表情が浮かんでいる。
そんな子供達に苦笑を返し、ポンと、その肩を叩いた。
「なんでもない。俺よりもお前達の方が疲れたんじゃないか? 朝からずっと働き通しだからな」
少し休むかと問いかければ、子供達はしばらく考えるような間を開け、互いに視線を交わしあった。そしてコクリと、頷き返してくる。
「うん。やすもう。メイサさんがね、おやつにたべなさいって、おかしとジュースをくれたんだ、それたべようよ!」
「そうだな。じゃあ、まずは手を洗うか」
「はーい! おやつおやつ〜〜v」
明るい声を上げながら厨房へと入っていく子供達を見送りながら、サンジもゆっくりと立ち上がった。そして再度、窓の外に視線を流す。
「――――待ってろよ」
必ず、戻るから。
胸の内でそう、どこかで旅を続けて居るであろう仲間達に告げる。
今はまだ、戻れない。例え偶然この場所に彼等がやってきたとしても。
止めていた足を、ゆっくりと踏み出す。
今はまだ戻れないけれど、戻るための一歩を踏み出すために。

















*「LOVE YOU」の親子の話







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