「お前って、イノシシみたいな奴だな」
 不意に背後からかけられた声に、ゾロはピタリと足を止めた。そして、ユラリと背後に視線を向ける。するとそこには、予想通りの男の姿があった。
 ゾロの眦がギリリとつり上がる。心の底から自分を馬鹿にしているのが分かる男の眼差しが、もの凄く不愉快で。
 一般人ならそんなゾロの表情を見ただけで泣いて逃げるだろうが、この男はそんな可愛らしさを持ち合わせてはいない。恐がるどころか、より一層蔑みの色を濃くした。
「あん? なんだ、その顔は。わざわざこんな森の中まで迷子のマリモちゃんを探しに来てやったってーのに、感謝の言葉の一つも言わねーでよ。何様だ? てめぇは」
「うるせぇ。誰も頼んでねーだろ」
「だったら、出航時間までに帰ってこい。この迷子野郎。毎度毎度手間をかけさせんな。いい加減にしねぇと、その首に迷子札かけるぞ、こらっ!」
 酷い言われようにカチンと来たが、反論出来ないことを言われたので大人しく口を噤む。
 ここで言い返しても、きっと彼は二倍にも十倍にもして言葉を返してくるだろうし。
 口から先に生まれてきたような男とまともに関わってはいけない。余計な疲労感を覚えるだけだ。
 そう胸の内で呟きながら、ゾロは平常心を保つように己の心を叱咤激励しつつ、サンジへと向き直る。
 急に黙り込んだゾロの様子に、サンジはキョトンと目を丸めた。だがすぐに意地の悪そうな笑みを浮かべて言葉を続けてきた。
「お? ようやく己のアホさ加減を自覚しやがったのか? なら、黙って俺に付いてこい。勝手に変な道に入るんじゃねーぞ。俺がキッチリ船までの最短コースを取ってるんだから、余計な事は考えずに、俺の背中だけ見て歩け。良いな?」
「――――分かったよ」
 文句の一つも言い返したいところではあるが、言ったら最後、どんな罵声が飛んでくるか分かったものではないので止めておく。
 そんなゾロの事を、しばし不気味な物を見るような目で見ていたサンジだったが、突っかかってこられないから良しとしたのだろう。踵を返し、ゆっくりと歩き出した。両手をポケットに突っ込んで、猫背気味に。
 戦っているときや給仕をしているときは背筋を伸ばした綺麗な立ち姿を見せるのに、こういうときには妙に姿勢が悪い。だから、余計にガラが悪く見えるのだろう。
「いつもあんな姿勢でいりゃぁ、ちったぁ、マシな人間に見えるだろうによ」
 そうじゃなくてもガラが悪いのに、余計にガラが悪くなると、思った。多分、ゾロにだけは言われたくはないだろうが。
 そんな事を考えながら黒いスーツに覆われた細い背中を見つめる。
 そして、その下に続く細く長い足へと視線を移した。
 どれだけ見ても、どこからどう見ても、細っこい身体だ。こんなんで良く格闘を戦闘スタイルに選んだ物だと感心してしまう。しかも、こんなに力が無さそうなのに岩をも砕く程の蹴りを披露してくれる。いったいこの身体のどこにそんなパワーが内在しているのだろうか。かなり謎だ。悪魔の実の能力者でも無いのに。
 と、突然サンジがクルリと振り返った。心底嫌そうな、嫌悪感を剥き出しにしたような顔をして。
 何故そんな顔をされるのか分からず思いっきり眉間に皺を刻み込んだゾロに、サンジは唸るような声で告げてくる。
「――――テメェ。人の身体をイヤらしい目でジロジロ見てんじゃねーよっ!」
「――――あ?」
 一瞬何を言われたのか分からずキョトンとしたが、すぐに彼の言っている言葉の意味を理解してカッと瞳を見開いた。
「なっ! なにアホな事言ってやがるっ! 誰が……!」
「見てたじゃねーかっ! なめ回すようにっ! 素敵なレディならともかく、てめーみてぇな筋肉マリモにそんな目で見られてもちっとも嬉しくねぇんだよっ!」
「見てねぇっ!」
「見てたっ!」
「見てねぇっ!」
「見てたっつってんだろうが、このハゲっ!」
「俺のどこがハゲてんだっ、このアホコックっ!」
「アホとはなんだ、この脳みそツルツル禿げ剣士っ!」
「んだとっ!」
「やんのか、コラァっ!」
 互いに胸ぐらを掴みあげてギリギリとにらみ合う。双方一歩も引かず、だからといって攻撃も仕掛けずに。
 かなり長い間その状態を維持し続けていた二人だったが、いつまでもそうしていられるわけもない。
 最初に我に返ったのは、サンジだった。
「やべっ! こんな事してる場合じゃねぇんだよ。ナミさんが待ってんだったっ!」
「あぁ、そういやそろそろ出航の時間か?」
「そろそろじゃねーっ! もうとっくのとうに過ぎてんだよっ!」
 軽い口調で問いかけたゾロに、軽くすっ飛ぶ程度の回し蹴りを入れながら突っ込みを入れてきたサンジは、倒れ込んだゾロにビシリと指先を突きつけた。
「ナミさんが船に戻ったら説教だって言ってたぜ。ありがたく拝聴しろ」
「誰が………」
 そんな物を有り難がるかと言いたくなったが、言わないでおく。今ここでサンジとやり合って精神的にも肉体的にも疲れてしまっては、この後間違いなく来るであろうナミとのやり取りを乗り切れなくなる。だからグッと、言葉を飲み込んだ。
 しかし、言葉を飲み込めたのは一瞬のことだった。どうしても一言言ってやらねば気が済まず、呟くように言葉を続ける。
「――――くだらねぇ事言ってねぇで、さっさと歩け。これ以上遅れたらナミが切れる」
「うるせぇ。藻類のくせに突然常識的な事を言い出すんじゃねぇ」
 ゾロの言葉に吐き捨てるようにそう返しながらも、さっさと戻る事に異論は無いらしい。サンジは割と素直に歩き出した。だがすぐに振り向き、ビシリと右手の人差し指を突きつけてくる。
「良いか。これ以上人のケツとかジロジロ見てくんなよ、ホモミドリっ!」
「誰がホモだっ!」
 速効で否定したが、聞き入れて貰えなかったらしい。軽蔑の眼差しを一つくれたサンジは、それ以上何を言うでもなく、歩き出した。
 そんなサンジの背中を恨めしげに見つめていたゾロだったが、小さく息を吐き、ゆっくりと歩を進めだした。視線を、微妙にサンジから反らしながら。
 それでも視界の隅にサンジの姿を捕らえながら。
「――――ホモじゃねぇっての」
 小さく、自分の耳にしか聞こえないくらい小さな声で呻く。
 ホモなんっかでは、だんじてない。今まで一度たりとも、男に目を奪われた事なんか無かったのだから。男どころか、女にもだが。
 それなのに、彼の細い背中に目がいくのは、何でだろうか。
 明るい金色の髪に目が引かれるのは、何でだろうか。
 自分に向けられる機嫌良さそうな声を耳にして、楽しそうな笑顔を見て心が浮き立ち、女に媚びる彼の姿を目にして腹が立つのは、どうしてだろうか。
 そんな事を考えながら、ゾロはサンジの後を追い続けた。
 無言で歩く二人だけの空間に、心地よさを感じながら。













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