昼飯の片付けを終え、休憩の為に後部甲板へとやってくると、そこには先客の姿があった。
そう広くない、派手に船体が揺れたら海に落ちそうな場所なのにも関わらず、大の字にころがって寝こけているゾロの姿が。
気配を殺すこともせずに近づき、顔の真横に立ち止まった。
だが、ゾロは目を覚ます気配を見せない。
寝たふりをしてこちらの動きを探っているのだろうかと、しばしゾロの様子を観察してみたが、呼吸が不自然なものになる事はなかった。どう考えても無防備に寝こけている。
その場にゆっくりとしゃがみ込んだ。
そして、健やかな寝息、と言うのとは若干違う気がしないでもないが、盛大ないびきをかくことはせずに気持ちよさそうに寝ているゾロの顔を覗きこんだ。
喧嘩中に胸倉を掴みあって睨みあう時と同じくらいの、近い距離で。
マジマジと、眠る男の顔を見つめる。
目をあけているときは凶悪という言葉が一番しっくりする顔なのだが、ちゃんと見てみると案外整っている事がわかる。黙っていて、かつ、穏やかに微笑んでいれば、素敵なレディ達がわんさと近寄ってくるだろう。
微笑んでいなくても、眼光の鋭さを幾分抑えればモテモテになるに違いない。
鍛え抜かれた筋肉質な身体は、男の自分から見てもカッコイイと思う事だし。
「……もったいねぇ」
ボソリと呟く。
ゾロがレディからの誘いを求めていないのはわかっているが、宝の持ち腐れとしか思えない。
自分がゾロだったら、上陸するたびにナンパに繰り出していたことだろうに。
いや、ゾロにならなくてもナンパに繰り出しているのだが。
「まあ、男の価値は顔と身体で決まるわけじゃねーんだけどな」
そう口にしてから、まるで負け惜しみみたいな言葉だなと思った。
そんなつもりは欠片もなかったのだが。
改めてゾロの顔をマジマジと見つめる。
そこそこ長い時間この状態でいるのだが、起き出す気配は全くない。
気配には聡い人間だと思っていたのだが。
「仲間には気を許してるってか?」
それは有り得る話ではあるが、自分が仲間になってからそう日数が経っているわけではない。ナミの故郷を出てから数日しか経っていないのだ。信用されているとも思えない。この手のタイプは警戒心が強いから、相手を信用するのにはそれなりの時間と実績が必要だと思うので。
だったら信用されるなにかがあったのではないかと言うものもいるかも知れないが、そんな事もとくに無い。むしろ、ゾロが自分に抱いている印象は悪いものだと思う。
だから、信用されているとは思えない。
なのにこれだけ長い間、これだけ近くに居座り続けられているのに目を覚ます気配がないというのは、どういう事だろうか。ゾロは気配に聡い人間だと言う自分の見立てが間違っていたと言うことか。
「そんな奴が戦闘員ってぇのは、どうなんだろうかねぇ」
厭味ったらしい口調で呟き、懐に手をのばした。ここにはゾロの観察にきたわけではなく、タバコを吸いにきたことを思い出して。
しゃがみ込んだ姿勢のままタバコに火をつけ、軽く顎をあげたサンジは、一度肺に取り込んだ白い煙をゆっくりと、上空に向かって吐き出した。
頭上に広がる、目に痛いほど鮮やかな青色の空に向かって。
青空に溶け込んで行く白い煙りを目で追っていたサンジは、煙りを視認出来なくなったところですっと、視線を落とした。再度ゾロの顔を見つめるために。
見つめながら再度タバコに口をつけ、煙りを体内にとりこんだ。そしてそのまま上半身を倒していき、ゾロの眼前まで己の顔を近づける。
ゆっくりと、白い煙りをゾロの顔面に吹き掛けてやった。
体内に取り込んでいたものを、全て。
気持ち良さそうだったゾロの顔が歪み、眉間に深い皺が刻まれた。一瞬呼吸が乱れ、何かを探るような間が空く。だが、すぐにゆったりとした深い呼吸に変わる。眉間に刻み込まれた皺も若干薄くなった。起き上がる気配はない。
ニヤリと、口端を引き上げた。
再度タバコに口を付けて紫煙を体内に取り込む。だが、今度はその煙をゾロの眼前に吹き付けるような真似はしなかった。ゾロにかからないよう上空に吐き出しつつ、タバコを指先で挟んで口から離した。
そして、体内に取り込んだ紫煙を全て吐き出したのを確認してからゆっくりと上半身を倒して行く。
唇に柔らかな感触が触れた。
途端に、触れ合っている唇がビクリと揺れる。だが、逃げ出す気配はない。その場に大人しく留まっている。
ゆるりと、口端を引き上げた。そしてゆっくりと、ゾロの顔をじっくりと見つめながら、唇を放して行く。
放れ際に舌先でつい先程まで触れていた唇をペロリと舐めれば、ゾロの眉間がピクリと震えた。だが、目を覚まそうとはしない。
クツリと喉の奥で笑みをこぼしつつ上半身を起こし、口づける前と同じ、しゃがみ込んだ体制で転がったままでいるゾロの顔を見下ろした。
先程よりも、眉間に刻まれた皺が深くなっている。額にじんわりと浮かび上がっている汗は、どういう心境を表しているのだろうか。
ゾロが内心で何を思っているのかは分からないが、なんにしろ、ゾロに起き上がる気配はない。
「意外とあまちゃんだな、てめーは」
いや、甘いのではなく、臆病なのか。
後半は胸の内で呟く。それを口にしたらさすがに飛び起きるだろうと思ったので。
「もうちょい危機管理能力を高めた方がいいぜ」
笑み混じりの声でそう告げ、汗ばんでいる額を軽い手つきで叩いた。
音もなくその場に立ち上がり、ゆっくりと踵を返す。
休憩時間はそろそろ終わりにしようと思って。
「さて、今日はなににすっかな……」
呟きながらタバコを口にくわえた。
吐き出した煙りが、ゆっくりと背後に流れて行く。先程まで居た場所に留まっていたいのだと、言わんばかりに。
そんなわけはないのだが。
馬鹿みたいな自分の考えにクスリと小さく笑みをこぼしつつ、歩を進めて行く。
自分の仕事に取り掛かるために。




サンジの気配がラウンジに入ったのを確認してからようやく、ゾロは目を開いた。
そしてのろのろと右手を持ち上げ、己の口を手の平で覆う。
「……なん、だった、んだ? ありゃぁ……」
呆然としながら言葉を漏らす。
本気でわけがわからない。
何故サンジが、あんな事をしたのか。
キスなんてものをしてきたのか。
唇が触れ合うだけのものだ。たいした接触ではない。ガキの遊びみたいなものだ。
だが、それをサンジが自分にしてきたのは、なんなのか。
「嫌がらせか……?」
それが一番しっくりくる理由だが、そんな身を張った嫌がらせをするだろうか。あの女好きが。嫌がらせのために、男の自分にキスをするだろうか。
「……わけわかんねぇ」
素直な気持ちを言葉に載せて呟いた。
サンジの存在に気付いたのは、タバコの煙りを吹き掛けられたからだ。
気持ちよく眠っていた所に突然そんな事をされて心底驚いた。慌てて飛び起きそうになったのをなんとかこらえて寝たふりを続けて居たのは、飛び起きる前に近くに居るのがサンジであることに気付いたからだ。サンジだったらそこまで近付かれていた事に気付かなかった事を馬鹿にしてくるだろうと、思ったから。だから、馬鹿にされない為に飛び起きなかった。
良く考えれば、タバコの煙りを吹き付けられたのにも関わらず眠り続けている方が、馬鹿にされそうだったのだが。
ともかく、そんな近くまで接近していたことに気づかないなんて、失態も良いところだ。
何故気づかなかったのか。
仲間だからか。
だが、仲間と認められるほど、仲間だと言うだけで手放しで信用できるほどの付き合いをしていない。
作る飯は美味いし、腕っ節というか、足技が相当なものである事は認めている。料理などせずに身体を鍛える事に力を注げばかなり強くなるだろうとは思う。
だが、信頼感を寄せているかと問われたら、否と答える。
同じ船で生活しはじめてからさほど経っていないのだから、当たり前の事だろう。
ルフィが信頼仕切っているようだから、悪い奴では無いのだろうと思っていたのだが。
だが、その認識は変えた方がいいのかも知れない。
寝ている仲間に、しかも男に、キスをしてくるような奴なのだから。
「……女好きなのかと思ってたが」
その認識も間違いだったようだ。
これからは奴に隙を見せないように気をつけなければ。
万が一にでもまた同じような事が起こったら、次こそは速攻で返り討ちにしてやる。
そんな自分の考えに納得して深く頷いたゾロは、開いていた瞳を再度閉じた。
中断させられた昼寝を再開させるために。









【終】






《20110720UP》




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《探り合い》