その日、ボルスは朝から機嫌が良かった。
 朝起きた時に珍しくパーシヴァルが部屋に居たのを見た時から、ハタから見てもすぐ分かる位に機嫌が良くなった。その上、朝起きてすぐに挨拶を交わしただけでなく、珍しく一緒に朝食を取ることが出来たのだから、喜ぶなと言われても困ると言うモノ。
 本当なら朝食を食べた後にそのまま二人で遠乗りにでも出掛けたい所だが、生憎今日のボルスは朝から夕方まで仕事がある。サボる事などボルスには出来るわけがない。そんなことをしたら、パーシヴァルに嫌われてしまう。だからボルスは、朝食を食べた後は大人しく引き下がる事にした。
「じゃあ、パーシヴァル。俺はこれから仕事だから。」
「ああ。あまり周りに無茶な要求をするんじゃないぞ。」
「どういう意味だ、それは!」
 からかうようなパーシヴァルの言葉にムッと顔を歪めてみせれば、彼はクスクスと笑いを零してきた。
 どうやら、今日のパーシヴァルは自分同様機嫌が良いらしい。笑い方に嫌味が無い。そう判断を下していたボルスに、パーシヴァルはいつもよりも柔らかい印象を与える笑みのまま、ボルスに声をかけてきた。
「ほら、良いから早く行け。遅刻するぞ。」
「あ、ああ。・・・・・・・そうだ、パーシヴァル。今日は昼も一緒に食べないか?」
「昼も?」
「ああ。・・・・・・・・・駄目か?」
 顔色を窺うようにパーシヴァルの顔をのぞき込めば、彼は小さく笑みを零した後、快く頷き返してくれた。
「良いよ。終わる時間に向かえに行ってやるよ。」
「本当かっ!!」
「ああ。だから、無駄に時間を延長させるなよ?」
「分かった!じゃあ、待ってるからなっ!」
 嬉しさを抑えきれない表情を浮かべながらそう返したボルスは、自分が進むべき方向へと、顔を向けようとした。
 そのボルスの耳に、空気を切り裂くような叫び声が、飛び込んでくる。
「危ないっ!!!!!」
 何がどう危ないのだろうか。
 そう考えた途端、ボルスは額に強烈な衝撃を感じた。
 目の前に星が飛んでいる。そして、頭がくらくらする。
 まともに立っていられなくて、ボルスの身体はゆっくりと傾げた。それに比例するように、徐々に目の前が暗くなってくる。そんな視界の端に、驚いたように瞳と口をポカンと開けているパーシヴァルの姿があった。その表情はどことなく幼さが滲んでいて、ボルスはフッと、口元を緩めた。笑みの形に。
「お前でも、そんな顔をするんだな。」
 そんな言葉を脳裏に浮かべたボルスだったが、口にする事は出来なかった。
 視界が真っ暗になってしまった為に。


























「ボルスっ!いい加減に起きろっ!」
 聞き慣れた声と頬に感じた軽い衝撃に、ボルスは散じていた意識をゆっくりとまとめていった。
「まったく。寝汚い奴だな・・・・・・・・・・・」
 呆れたような、だけどどこか優しさを含むその声に誘われるように瞳を開いて行くと、視界にボンヤリと人の姿が浮かんできた。
 ボルスが目を覚ました事に気付いたのだろう。その人物がニコリと、とても嬉しそうに微笑みかけてきた。
「おはよう。ボルス。」
「ぁ・・・・・・・・あぁ。おはよう・・・・・・・・・・・」
 答えるボルスの声は、微妙に力のないモノになってしまった。何故なら、とても驚いていたから。目の前の人物が自分に向ってそんな笑みを浮かべてみせる事に。そして、自分をわざわざ起こしてくれたという事実に。
 だから、思わず確認してしまった。もしかしたら、良く似た他人なのかもしれないと、そう思って。
「パ・・・・・・・パーシヴァル・・・・・・・・・・?」
「なんだ?」
 問いかけに、パーシヴァルはふわりと、華が綻ぶような笑みを返してきた。その笑みに、ボルスの心臓が大きく跳ね上がる。
 ボルスが従騎士時代に出会ってから10年近く彼の顔を見てきたが、こんな風に自分に笑いかけてくれた事は、皆無に等しいのだ。無くはないが、どんな時にこの笑みを向けられたのか、事細かに状況を説明出来るくらいに希少価値のある笑みだ。だから、ボルスは大いに動揺した。動揺しない方がおかしいと、思う程に。
「どうしたんだ?いきなり顔を赤くして。」
「なっ・・・・・・何でもないっ!」
「・・・・・・・・・そうか?」
 ボルスの言葉に納得はしていないようだったが、パーシヴァルはそれ以上追求はしてこなかった。変わりに、ボルスの柔らかな金髪に彼の長く細い指を差し込み、優しく撫で上げてくる。
「なら、早く起きて来いよ。折角作った朝食が冷えるからな。」
「あ、ああ。うん・・・・・・・・・・・・」
 頷きかけて、ハタと気付く。
「作ったって・・・・・・・・・・お前が?」
「俺と母さんでだ。・・・・・・・・・・いつものことだろ?」
 何を言っているのだと言いたげなパーシヴァルの瞳に、ボルスの困惑は更に増す。
「・・・・・・・・・・母さん?」
「俺の母親だよ。・・・・・・・・本当にどうしたんだ?今朝は本当におかしいぞ?熱でもあるのか?」
 そう問いかけてきたパーシヴァルは、おもむろにボルスの額に自分の額をくっつけてきた。
「・・・・・・・熱は無いようだけどな。朝食は食べられそうか?」
「あ、ああ。うん・・・・・・・・・大丈夫だ。」
「じゃあ、ご飯を食べてから医者に行こう。風邪の引き初めかも知れないしな。」
「いや、気にする程どこか悪いわけでも無いから・・・・・・・・・・」
 医者はいい、と言おうとしたボルスの言葉を、パーシヴァルは少し強い口調で遮った。
「俺が心配なんだよ。」
「え?」
「お前には、いつも元気で居て貰いたいからな。だから、早めに医者に行ってくれよ。」
 そう、囁くように呟いたパーシヴァルは、ボルスの唇に触れあうだけの口づけを与えてきた。
「・・・・・・・・・・早く来いよ。」
 少し頬を赤らめたパーシヴァルは、照れくさそうに視線を反らし、どこか慌てるように部屋から出て行ってしまった。
「・・・・・・・・・・・え?」
 呆然とした声が漏れる。
「な・・・・・・・・なんだ?」
 パーシヴァルが自分の心配をしている。
 パーシヴァルが自分にキスしてきた。
 パーシヴァルが自分にキスした後、恥ずかしそうにしていた。
「・・・・・・・・・・・・・・新手の虐めか?」
 最初に行き当たったのは、そんな考え。それは大いにあり得る。あり得るが、何かおかしい。
「・・・・・・・・・・母さん?」
 そんな単語。パーシヴァルの口から聞いたことが無かった。
 一体何事なのだろうと首を捻っていたボルスだったが、すぐに気を取り直すように頭を大きく振って見せた。
「・・・・・・・・・とにかく、起きるか。」
 考えても答えの出ない事を考える趣味は無い。そもそも考える事自体好きでは無いのだから。
 勢いよく立ち上がったボルスは、自分のモノと思しき衣服を手にし、着替えを済ませた。
 よくよく周りを見てみると、そこは見覚えの無い場所だった。いや、覚えはあるような気がする。だが、どこだったのかはいまいち思い出せない。ならば後で考えようと、ボルスはドアを引き開けた。
 途端に、腹の虫を刺激する香りが鼻腔をくすぐった。
「おはよう。お寝坊さんね。」
 不意にかかった軽やかな声に驚き顔をそちらに向けると、そこにはパーシヴァルにとても面差しの似ている女性が立っていた。
 年の頃は20代半ばと言った所だろうか。
「・・・・・・・パーシヴァルの、お姉さん・・・・・・・・?」
 思わず漏れた呟きを耳にしたのだろう。驚いたように軽く目を見張った女性だったが、すぐにころころと鈴を転がすような軽い笑い声を立ててきた。
「いやだわ、ボルスったら。朝からお世辞なんか言っちゃって。」
「いや、お世辞では無く・・・・・・・・・」
「オイオイ。朝っぱらからなに人の女房をくどいてやがんだ?」
 ボルスの声を遮るように背後からパーシヴァルに良く似た男の声がかけられた。と、思ったら、思い切り首を締め上げられてしまった。
「うわっ!ちょっ・・・・・・・・何をっ・・・・・・・・!!」
「いい加減にしろよ、父さん。朝っぱらから大人げない・・・・・・・・・」
 新たに加わった声は、正真正銘パーシヴァルの声だった。その声に、首の締め付けから解放されたボルスは、首を絞められたことで浮かんだ生理的な涙を拭いながら、チラリと背後を窺った。
 そこには、年の頃30代前半と言った様子の美青年が立っていた。この男もまた、どことなくパーシヴァルに似ている。顔の輪郭が、とくに。
 その男が、今度はパーシヴァルの方へとその長い足を向け、両手にスープの入った皿を持ったパーシヴァルの肩へと、腕を回していた。
「大人げないって言うのは、どういう意味だ?パーシヴァル??」
「そのままだよ。まったく、いい年して落ち着き無いったら。いつまでもそんなんだと、そのうち母さんに捨てられるぞ?」
「お前っ!子供のくせに偉そうにっ!」
 パーシヴァルの言葉に切れ長の瞳をつり上げた男は、パーシヴァルの肩に回していた腕を放すと、そのままパーシヴァルの頬と思い切りよくつねり上げだした。
 途端に、パーシヴァルが抗議の言葉を叫び出す。
「痛いっ!そういう事するから、大人げないって、言うんだよっ!」
「なんだとっ!」
「いい加減に止めなさい。ボルスが驚いてるじゃないの!」
 女性の言葉で、パーシヴァルの頬をつねり上げていた男の動きがピタリと止まった。そして、あからさまに渋々と言った感じでパーシヴァルから離れ、朝食の並ぶテーブルの一席に腰を下ろした。
 その様を満足そうな笑みを浮かべながら見つめていた女性は、今度はボルスの方へと向き直り、軽く手招きを寄越してくる。
「さ。ボルスも座って。早くご飯を食べて、仕事をしに行かなくちゃ。」
「仕事?」
「そうよ。パーシヴァルとボルスの新居作り。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
 女性の言葉に、ボルスの頭の中は一気に真っ白になった。
 今、彼女はなんと言っただろうか?
「スイマセン。もう一度言って頂けますか?」
 思わず使い慣れていない敬語を使ってしまう程に、動揺している。
 そんなボルスに、女性はこれ以上無いくらい楽しそうな笑みを浮かべて返してきた。
「だから、パーシヴァルとボルスの新居作りよ。新婚さんがいつまでも親と同居じゃ、落ち着かないでしょ?」
 その顔がパーシヴァルにそっくりだから、思わず胸をときめかせてしまった。常から赤面しやすい顔に、これ以上ない位朱色が差し込む。
 だが、今はそんなトキメキよりも気になる事があった。
「・・・・・・・・・・・シンコン?」
 一瞬、大根の一種だろうかと本気で考えてしまった。
 そんなボルスの目の前で、パーシヴァルが不愉快そうに。だけどどこか照れくさそうに言葉を返している。
「なんだよ、落ち着かないって。」
「あら、具体的に言って欲しいの?」
「うっ・・・・・・・・・・・・・」
 からかうような女性の言葉に、パーシヴァルが続ける言葉を失った。そして、そっぽを向いてしまう。
 その背けた首筋が異様に赤くなっているように見えるのは、気のせいだろうか。
「村のみんなも手伝ってくれて外装は大体済んでるから、後少しの辛抱ね。新居が出来た暁には、思い切りやりなさいっ!」
 嬉々としてそうパーシヴァルに語りかけている女性に、パーシヴァルは心の底から嫌がるような視線を向けた。
「・・・・・・・・・母さん・・・・・・・・・・・・・・」
「嫌だわ。何を今更恥ずかしがってるのよ。女神の前で愛を誓い合ったくせに。」
「それはそうだけど・・・・・・・・・・・」
「ホラっ!いつまでもゴチャゴチャ言ってないで、早くご飯を食べちゃいなさい!」
 言われたパーシヴァルは口を噤み、黙々と食事を再開させた。同じように目の前の皿に口をつけながら、ボルスはチラチラと辺りに目を向けてみる。
 どうやら、自分の隣に座った女性はパーシヴァルの母親らしい。そして、その向かいに座っているのが父親。
 身内だと言われなくてもその面差しがとても良く似ているので、血縁関係があるのはすぐ分かった。だが、親にしては若すぎないだろうか。と、ボルスは思う。
 とくに女性の方が。
 自分の母親も金をかけて若さを保とうとしているが、彼女からはそんな鬼気迫った気配は感じない。少女のような華やかさすらある。せいぜい20代後半にしか見えないのだ。
 父親もそうだ。肌には張りがあるし、その表情も若々しい。声はパーシヴァルにそっくりだが、顔はそれ程似ていない。骨格は似ているのだが、付いているモノのバランスがちょっと違う。どうやらパーシヴァルは母親に似たようだ。
 それはともかくとして、自分は何故こんな所にいるのだろうか。そもそも、『ケッコン』とはなんだ。もしかして、『結婚』の事だろうか。
 そんなもの、男同士で出来るわけが無いというのに。何を考えているのだろうか、この人達は。もしかして、三人が共謀して自分をからかっているのだろうか。
 そう言えば、ここはどこなのだろう。ビネやブラス城で無いことは確かだが。というか、ついさっきまでビュッデヒュッケ城のレストラン付近に居たと思うのだが、いつの間に移動したのだろう。
 そんなことを考えていたボルスに、声がかけられた。
「ボルス。そろそろ行くぞ。」
「え?あ、あぁ・・・・・・・」
 どうやら無意識に食べる物は食べていたらしい。目の前の皿は空になっていた。
 その空になった食器を自分の分と共に流しに片づけたパーシヴァルは、ボルスを伴って玄関へと向う。
「行ってらっしゃい。気を付けてね。」
 その背にパーシヴァルの母が声をかけてくるのに小さくお辞儀を返し、ボルスは家から踏み出した。
 朝起きたときに言っていた通りに病院に行こうとするパーシヴァルをなんとか説き伏せ、ボルスはパーシヴァルの後ろを付いていく形で『仕事場』へと向った。
 通り抜ける質素な雰囲気の村は、やはり記憶に有る。だが、どこで見かけたのかさっぱり分からない。首を捻りながら道を歩いていたら、目の前に建設中の建物が現れた。
「・・・・・・・・・・ここが、俺たちの・・・・・・・・?」
「ああ。・・・・・・さて、今日も一日頑張るか。」
 そう言って建物の中に足を踏みいれようとしたパーシヴァルに、ボルスは慌てて声をかけた。
「ちょっと待て!」
「なんだ?」
「俺とお前って、結婚したのか?」
 問いかけると、パーシヴァルは軽く瞳を瞬いた。なんでそんなことを聞くのか分からないと言いたげに。
「そうだが?」
「いっ・・・・・・・・いつの間にっ!」
「大体一ヶ月前のことだろ。どうしたんだ?急に。・・・・・・・・・・やっぱり、後悔しているのか?」
 突如暗くなったパーシヴァルの声に慌ててパーシヴァルの瞳を見つめれば、彼はどこか傷ついたような、寂しげな表情を浮かべていた。
「後悔って・・・・・・・・・・・何を?」
「仕事を辞めたこと。」
「えっ!?」 
 その一言に、思わず叫び声を上げてしまった。
 仕事を辞めたと言うことは、自分はもう騎士団に籍を置いていない言うことだろうか。そんな大事なことを忘れているとは、自分の間抜け振りに言葉が出ない。
 しかし、その沈黙を違う意味に取ったのだろうか。パーシヴァルは力無く俯き、言葉を続けてくる。
「お前が仕事を辞めて俺と家業を継いでくれると言ってくれたとき、本当に嬉しかったんだ。だから、その場ですぐにプロポーズの言葉を受け入れたんだが・・・・・・・・・・・。ゴメン。本当のお前の気持ちに気付いてやれなくて・・・・・・・・・」
「え・・・・・・・・?」
「俺も、お前が剣を振るう姿が好きだったんだ。お前の優しい言葉に甘えて、こんな田舎にまで連れてくるべきじゃ無かったな。」
 そう言って、パーシヴァルは俯けていた顔を上げた。
 その表情を見て、ボルスの心臓が大きく脈打つ。
 その、儚げな笑みを見て。
「ゴメン。ボルス。今からでも辞表を撤回して、騎士団に・・・・・・・・・・・」
「後悔なんか、していない。」
 ボルスは。パーシヴァルの言葉を遮り、キッパリと言い切った。
 その言葉の強さに、パーシヴァルはビクリと身体を震わせる。
「後悔なんて、していない。」
 再度、自分の心を確認するようにゆっくりはっきりと同じ言葉を口にしたボルスは、目の前に立つパーシヴァルの腕を掴み、力いっぱい握りしめた。彼を逃がさないように。自分を見つめ返すように。
 ボルスの視線から逃れようと俯いたパーシヴァルの顔を、数p下から覗き込んだ。
 今日程、彼よりも身長が低くて良かったと思ったことはない。
「俺は、確かに騎士という仕事に誇りを持っている。」 
 言葉が現在進行形になったのは、自分が仕事を辞めたという実感が無いからだ。
 未だに状況も良く分かっていない。だけど、分かっていることもある。
 確固たる思いが、状況について行けてないボルスの中にもある。
 だから、ゆっくりと。目の前の男に、言葉をかけた。
「だけど、お前を愛しているという思いの方が、だんぜん強い。」
「・・・・・・・・・ボルス。」
「だから、後悔はしていない。騎士団を止めても、騎士を止めた訳では無いからな。」
 そう言い切るボルスの言葉に、パーシヴァルは不思議そうに首を傾げてきた。
 そんな彼に、ボルスはニコリと、微笑みかける。
「俺は、お前の為だけの騎士になる。お前を守る為だけの。」
「ボルス・・・・・・・・・・」
「お前への永遠の愛と忠誠を誓おう。・・・・・・・・良いか?」
 ちょっと不安になって問いかけた。多分、今の自分はこれ以上ないくらい情けない顔をしているだろう。鏡を見なくても分かる。
 そんなボルスの顔を、パーシヴァルは泣きそうな笑顔で見つめ返してきた。
「・・・・・・・・・・当たり前だ。」
 少し震える声でそう呟いたパーシヴァルは、自分の顔を見つめるためにほんの少し仰向いているボルスの顔に己の顔を近づけ、触れるだけの口づけを与えてきた。
 滅多にない彼からの口づけに驚き、瞳を見開いているボルスに、唇を放したパーシヴァルは目元に浮かんだ涙を恥ずかしそうに拭い去りながら、態とらしい位に明るい口調でこう語りかけてきた。
「・・・・・・・・まったく。馬鹿なくせに言うことだけは大きいな。」
「バッ・・・・・バカは余計だっ!」
「そんな馬鹿なところも、大好きだぞ。」
「え・・・・・・・ッ!!!」
 かけられた言葉に、ボルスはピタリと動きを止めた。
「今、なんて・・・・・・・・?」
 空耳かも知れないので、聞いてみた。
 するとパーシヴァルは、とても嬉しそうに一言だけ、続けてくる。
「大好きだ。」
「も・・・・・・・・もう一回!」
「大好きだ。」
「もう一回!!」
 何度聞いても信じられず。何度聞いても喜びに胸が沸き立ち、しつこく何度もその言葉を要求する。
 その要求に、パーシヴァルは何度も答えてくれたけど、やはり少し要求が多すぎたようだ。同じやり取りが20回を越えた辺りで、僅かに眉間に皺を寄せられた。
「・・・・・・・なんだ。俺の言葉が信じられないのか?」
「いや、そういう訳じゃないんだが・・・・・・・・・夢かと思って。」
 呆然としたその呟きに笑いを浮かべたパーシヴァルは、これが夢では無いと示すように、ボルスの唇に彼の暖かな唇を触れあわせてきた。
 今日何度目か分からない彼からの口づけに驚き目を見張るボルスに、パーシヴァルは今まで見たことの無い。それは綺麗な微笑みをその端整な面に浮かべて見せた。
 そして、囁くように告げてくる。
「愛してるよ。ボルス。」
「パ・・・・・・・・・・パーシヴァル・・・・・・・・・・」
「騎士ではない俺は、お前に忠誠を誓う事は出来ないが、お前への変わらぬ愛は、誓うよ。」
「パーシヴァルっ!」
 歓喜に胸が躍った。
 思わず、目の前の身体を抱きしめる。自分の思いが、今ようやく、彼に通じたのだ。そして、同じ思いを返して貰えたのだ。こんな素晴らしいことはない。喜ばしいことはない。
 今この時が、自分にとって最良の日。最良の瞬間だ。
 嬉しさのあまりに目に涙を浮かべたボルスだったが、ふと気が付いた。
 今、パーシヴァルは、なんと言った?
「・・・・・・・・・・パーシヴァル?」
「なんだ?」
「今、お前。騎士じゃないと、言ったか?」
「ああ。言ったが?」
 ソレがどうしたと言いたげに首を傾げるパーシヴァルに、ボルスは再度問いかける。
「それは、俺と同じに辞めたって・・・・・・・・・・・・意味、だよ、な?」
 その問いかけは、問いかけと言うよりもむしろボルスの願いだった。
 そうであって欲しいと。
 そうで無ければ寂しい結果を目の前に叩き付けられそうで。
 判決を待つ罪人の心境で、パーシヴァルの瞳を覗き込む。
 そんなボルスに、パーシヴァルは瞳を瞬きながら、言葉を返してきた。
「何を言ってるんだ?俺は・・・・・・・・・・・・・・」
「危ないっ!!」
 パーシヴァルの言葉を遮るように、辺りに叫び声が響いた。
 何事だろうかと振り返ったボルスは、次の瞬間、強烈な衝撃をその額に感じ、後方に吹っ飛んだ。
「ボルスっ!!」
 慌てたパーシヴァルの声が耳に入り、ゆっくりと流れていく霞のかかり出した視界にせっぱ詰まったようなパーシヴァルの顔が映る。
「そんなに心配しなくても大丈夫だ。」
 そう返したつもりだったが声は出ず。
 ボルスの意識は、闇に落ちていったのだった。

























 次に目を開けると、また景色が違っていた。
 今度は全面白いカーテンで覆われている。
「・・・・・・・・どこだ、ここは・・・・・・・・・・・・・・っ!」
 呟きながら身を起こそうとしたボルスだったが、途端に感じた額の痛みにうめき声を上げた。そして、再びベットの中に沈み込む。
 尋常じゃ無いくらいに頭が痛い。目眩もするし、吐き気もする。
 いったい何が起きたのだろうか。状況を知りたくても、声を発することすら億劫だ。
 そんなことを痛む頭で考えていたら、いきなり白いカーテンの一角が引き開けられた。
「・・・・・・・・・目が覚めたか。」
「・・・・・・・・・パーシヴァル・・・・・・・・・・・・」
 目の前に現れた男の名を呼べば、彼はボルスの枕元に歩み寄り、ボルスの顔を覗き込んできた。
「大丈夫か?どこか、おかしな所はないか?」
「・・・・・頭が痛い。あと、目眩と吐き気が・・・・・・・・・・・」
「それはちょっと危険ですね。」
 新たに加わった声に視線をそちらに向ければ、そこにはトウタの姿があった。と、言うことは、ここはビュッテヒュッケ城と言うことか。
「打っているところが打っている所ですからね、部屋には戻らないでしばらくここで様子を見ましょう。」
「お願いします。どうしようもない馬鹿ですが、居ないとそれなりに困りますので。」
「誰がバカだっ!誰がッ!!・・・・・・・・うっ!」
 騒いだ途端、強烈な吐き気に見舞われ、ボルスは慌てて口を噤む。そんなボルスを呆れたような顔で見つめながら、トウタは色々と診察をしていく。だが、とくに気にかかる事は無かったようだ。何かあったら呼んでくれと言い置いて、仕切の中から出て行ってしまった。
 途端に、辺りの空気が静まりかえる。
 その空気を切り裂くように、パーシヴァルが声をかけてきた。
「・・・・・・まったく。運の悪い奴だな。お前は。」
「え?」
「ここに運ばれた理由だよ。ハレック殿が投げた鉄球が額に当たったんだ。」
「・・・・・・・・・鉄球?」
「ああ。どれだけ遠くまで投げられるか、ワン・フー殿と勝負をしていたらしい。ヒューゴ殿に滅茶苦茶叱られていたよ。人の居るところでそんなモノを投げるなと。ハレック殿とワン・フー殿は罰として、一週間飯抜きだそうだ。」
「・・・・・・・・そうか。」
「生きてて良かったな。不幸中の幸いだ。」
 ニコニコと屈託無く笑うパーシヴァルの顔にも言葉にもほんの少しも危機感がないのだが、そんな顔で語られるような軽い内容だとは思えないのは、ボルスの気のせいだろうか。
 大体、鉄球を頭に食らったら普通の人だったらタダでは済まない。下手すれば死ぬというモノだ。
 それなのに、そんな行為を働いた相手への罰が一週間飯抜きというのはいかがなモノだろうか。いや、ハレックとワン・フーにしてみたらこれ以上無いくらい厳しい罰則かも知れないが。そんな事を、痛む頭で考えたボルスだった。
 ボルスがそんなことを考えているとは少しも思っていないのだろう。パーシヴァルが機嫌良さそうに言葉を続けてくる。
「その間はお前も休みだ。いくら頑丈なお前でも、頭は鍛えられていないだろうからな。まぁ、無くして困る程お前の脳みそに知識が詰まっているわけが無いから、多分被害は頭痛くらいなものだと思うが。」
「・・・・・・・・どういう意味だ、それは。」
 大きな声が出せないので唸るように毒づいてやれば、小さく鼻で笑われた。
 その態度が癪に障って顔を歪めれば、パーシヴァルはどこからともなく椅子を引き出し、ボルスの枕元に腰を下ろした。
「パーシヴァル?」
「取りあえず、今日だけ看病してやるよ。トウタ先生に容態が突然急変するかも知れないと、言われているからな。」
「あ。あぁ。・・・・・・・・・ありがとう。」
「どういたしまして。とにかく、お前はさっさと寝ろよ。まずは脳みそを休ませろ。」
「あぁ・・・・・・・・・・・・」
 向けられたパーシヴァルの笑みはいつになく優しくて、ボルスはただ頷く事しか出来なかった。
 だが、ふと気付く。
 起きる前にあった出来事を。
 だから、思わず問いかけた。
「パーシヴァル。」
「なんだ?」
「俺たち、結婚したのか?」
「はぁ?」
 返事に添えられた彼の顔は、呆れと驚きと心配が入り乱れた複雑なモノだった。だから、ボルスはすぐに口を噤む。やはり全ては自分の夢だったのかと、そう思って。
 だが、その反応にパーシヴァルはボルスの脳がやられているモノと判断したらしい。慌ててボルスの顔を覗き込んでくる。
「大丈夫か?ボルス。やっぱり打ち所が悪かったのか・・・・・・・・・?馬鹿に磨きがかかっているぞ?」
「・・・・・・・・・・おい。」
 その言い様はさすがにムッとした。だから、睨み付けてやったのだが、パーシヴァルは一向に気にした様子を見せない。
「もう一度トウタ先生に見て貰うか?」
「・・・・・・・・・・良い。大丈夫だ。」
「そうか?・・・・・・・・そうは見えないんだが・・・・・・・・・・」
「パーシヴァル。」
「なんだ?」
 多分ボルスが怪我人だからなのだろう。パーシヴァルの瞳が優しいのは。
 この、心の底から安心させるような笑みは、自分を愛しているから向けられたモノでは無いのだ。さっき見た、夢と違って。
 現実はこんなモノなのかと寂しくなりながらも、それでもボルスは口を開いた。あの夢がいつか現実のものになると、そう願って。
「愛しているぞ、パーシヴァル。・・・・・・・・・この先一生。お前だけを。」
 言葉に真剣な瞳を添えて言い切れば、パーシヴァルは変なモノを見るような目で見つめ返してきた。
 思いを返してくれないのはしょうがないが、さすがにその反応は無いだろう。夢で幸せを満喫していた直後だけに、寂しさはいつもの比では無かった。城近くの湖に身投げしたいくらいだ。
 そんなボルスの内心の思いを察知したのか。はたまたただの偶然なのか。パーシヴァルがとても綺麗に微笑み返してきた。
 その笑みに見とれていたら、パーシヴァルがゆっくりと口を開いてくる。
「俺もだ。」
「パ・・・・・・・・パーシヴァルっ!」
 アレは夢ではなかったのか。ボルスの顔にこれ以上ないくらいの嬉しそうな笑みが浮かび上がった。
 と、同時に、パーシヴァルの口元に意地の悪い笑みが浮かび上がる。
「なんて、言うわけ無いだろ。」
「パ・・・・・・・・・・・パーシヴァル・・・・・・・・・・」
 喜ばせておいてそれは酷い。
 泣きそうな上に恨みがましい瞳で睨み付けたら、小さく笑われた。まるで駄々をこねる子供を見つめるような瞳で。
 そして、毛布の中に収まっている腹の辺りを軽く叩いてくる。
「下らない事を言ってないで、さっさと寝ろよ。今はとにかく休め。それがお前の仕事だ。」「・・・・・・・分かったよ。」
 ふて腐れたように呟いて目蓋を閉じたら、急に眠気が襲ってきた。
 身体が疲れているという事だろうか。
 眠りに落ちる瞬間。頭に暖かいモノが触れてきた。
 多分、パーシヴァルが髪の毛を指で梳いているのだろう。滅多にパーシヴァルからボルスに触れてくることが無いだけに、その程度の接触がやたらと嬉しい。
 優しい刺激が、先程の夢を彷彿させて。彼に愛されていると、錯覚出来て。


 いつか、本当のお前の両親に会わせてくれるか?
 例えただの同僚としてでも、自分の事を紹介してくれるか?
 お前のことを、もっと良く知りたいんだ・・・・・・・・・・・・



 声にならない思いを胸に抱きつつ、ボルスは眠りに落ちていった。
 今度の夢も、良い夢であるように、祈りながら。


























一部パラレル。時空を越えたボルス君の話で。
珍しく初々しいパーシヴァル。






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ボルス卿の不幸で幸いの一日