城の近くにある湖でブライトを洗ってやっている時、自分に注がれている視線に気が付いた。
一体誰だろうかと瞳を向けてみたら、そこにはパーシヴァルが立っていた。
彼はいつものように鎧を纏っている。と言うことは、未だに仕事中と言うことだろう。彼の仕事は多岐にわたっている様だから、今現在彼がどんな仕事をしているのかフッチには分からないが、少なくてもこんな所に来るような用事は無いはずだ。こんな、湖しか無い場所に。
だからフッチは軽く首を傾げながら問いかけた。
「どうしたんだい?こんな所に来るなんて。」
ブライトを洗う手を止めてパーシヴァルの端整な顔を見つめれば、彼はニコリと、いつもと変わらぬ笑顔を返してくる。
「気分転換のために歩いていたら、フッチ殿の姿が見えたものですから。」
「僕の?」
「ええ。」
軽く首肯してみせるパーシヴァルの言葉に、フッチは更に首を捻った。自分の姿を見かけたからと言って、わざわざここまで足を運ぶ理由が思いつかなかったのだ。
話があるのならば夜を待てば良いことだ。それなりに親しい関係だとは思っているが、だからといって仕事中にわざわざ声をかける程の関わりは無いのだから。
そんな疑問が顔に出ていたのだろう。パーシヴァルはクスリと小さく笑いを零し、その視線をチラリと、フッチの傍らに居るブライトへと向けた。そして、呟くように言葉を漏らしてくる。
「・・・・・・・・ブライト殿も、身体を洗うんですね。」
その言葉に、フッチの顔に苦笑が浮かんだ。パーシヴァルがわざわざここまでやって来た理由が何となく分かったから。
パーシヴァルは自分ではなく、自分の相棒に興味を引かれたのだろう。彼は前々からブライトの事を気にしていたから。
いや、彼に限らず、竜洞騎士団以外の人間は大抵ブライトに多大な興味を持つものだ。ブライトにと言うよりも、「竜に」と言った方が正しいかも知れないが。
ソレは多分、「竜」が彼等の身の回りに居ない生き物だからだろう。フッチにとっては身近すぎる生き物だから、皆がブライトの何にそんなに興味を引かれるのか分からないが。
ブライトに向けられる視線の中には不快なモノもあった。珍獣を見るような目で見る奴や、姿を見ただけで悲鳴を上げて走り去る人間も少なく無い。だが、今のパーシヴァルの瞳にはそのような不快なものは感じない。その瞳には、感心したような、何か羨むような、そんな光が宿っていた。だからフッチはブライトに視線を戻し、己の相棒を愛しげに見つめながらゆっくりと口を開いた。
「まあね。本当は風呂に入れたいんだけど、ゴロウが怒るから。」
「そうですね。ブライト殿が湯船に入ったら、湯が一気に無くなりますからね・・・・・・」
「まぁ、理由はそれだけじゃないんだろうけどね。」
困ったようにそう告げて、止めていた作業に戻る。
目の前にある銀色の首筋を撫でるように洗ってやると、ブライトは気持ちよさそうに瞳を細めた。その仕草に、こっちの気分も良くなってくる。
自然と浮かび上がってくる笑みを抑えようともしないでブライトを見つめていたら、不意に呟きが聞えてきた。
「・・・・・・・・良いですね。」
「何が?」
独り言のような呟きに、ブライトに向けていた視線をパーシヴァルへと向けながら問い返した。その問いに、パーシヴァルはブライトに視線を向けたまま口を開く。
「・・・・・・・・一緒に生きていける動物が傍らにいるのは羨ましいなと、思って。」
それは、いつも飄々として胸の内を見せない彼にしては珍しく、実感のこもっている声音だった。その声音に、思わずジッと見つめ返す。
フッチの視線に気が付いたのだろう。パーシヴァルはブライトに当てていた視線をフッチに戻し、自嘲するような笑みを浮かべて見せた。
「こんな言い方だとブライト殿に失礼かも知れませんが、自分の傍らに揺るぎない信頼が浮かぶ眼差しを向けてくれる動物が居るというのは、その存在だけで癒されものがありますからね。」
「犬とか、猫とかの事かい?」
「ええ。」
そう言って頷く彼の瞳に、チラリと寂しげな光が浮かんで消えた。
どこかで辛い別れをしたのだろうか。そんな考えが脳裏に浮かんだが、聞くのは躊躇われ、違うことを口にしてみた。
「ゼクセン騎士団では、犬や猫を飼ってはいけないのかい?」
問えば、パーシヴァルは一瞬視線を俯けた。どうだろうかと、悩むように。
だがすぐに視線は元に戻り、深い色の瞳がフッチへと戻された。
「駄目ではないと思いますよ。頼めば、許して貰えると思います。でも、飼いたくは無いですね。」
「どうして?」
軽く首を傾げて問い返すと、彼は苦笑を返してきた。
「普通は、犬や猫の方が先に死んでしまいますからね。」
「それが嫌なの?」
「ええ。身内の死程、精神的に応えるものは無いですから。」
サラリと言われた言葉だけど、なんだかとても重たい。
その言葉を発したパーシヴァルの面にはいつもと同じ薄い笑みが浮かべられていると言うのに、彼は笑ってなどいないと、そう思う。
彼が過去に辛い別れを体験したのだろうという己の考えは多分間違っていないだろう。何をナクシタのかは分からない。彼の心の内を知るために、それがなんなのか問いかけたかったが、結局フッチは口を噤んだ。
大切なモノと死に別れる辛さは、自分にも良く分るから。彼の傷が新しいのか古いのか、付き合いの浅い自分にはまったく分からないから、下手な事を言わない方が良いと判断して。
変わりに、励ますように語りかける。
「そんなことを言ってても、一目会った瞬間に気持ちが引きつけられて、二度と放したくないって思う存在がいつか現れるよ。」
それは自分が体験したことだから、言葉には説得力がある。それをパーシヴァルも感じたのだろう。彼は軽く首を傾げながら問い返してきた。
「それは、実体験から来る言葉なのですか?」
「ああ。そうだよ。」
軽く頷いた後、フッチはパーシヴァルに向ってニッコリと笑いかけた。彼の気分を引き立たせようとして。
「もしかしたら、気付いていないだけで、もう既に出会っているのかも知れないよ?」
そう言葉をかければ、彼は数度瞬いた。そして、考えるように己の足下に視線を落とし、ゆっくりと眉間に皺を寄せていく。
何か心辺りがあるのだろうかと彼の様子を窺っていたら、その薄い唇が小さく呟きを漏らした。
「・・・・・・・・・・・ボルスか?」
「え?」
思いもしなかった名詞に我が耳を疑い、思わず問い返す。すると彼は軽く首を振りながら、ゆっくりと口の端を引き上げた。
どこか、自嘲するような笑みの形に。
「いやいや。ペット呼ばわりはさすがに悪いですね。今の言葉は聞かなかったことにして下さい。」
「それは良いけど・・・・・・・」
「申し訳ありません。お手数をおかけします。」
ニコリと微笑みながらそう応えるパーシヴァルは、すでにいつもの彼と同じ顔に戻っていた。先程一瞬見せた寂しそうな色の瞳は、もうどこにもない。
その鮮やかな変化に目を奪われていると、パーシヴァルはチラリと背後に視線を向けた。そして、フッチの瞳を見つめ返してくる。
「では、私は仕事に戻ります。お邪魔してすいません。」
「いや・・・・・・・・・・」
首を振るフッチにニコリと笑いかけたパーシヴァルは、流れるような動きでその場から立ち去っていった。その彼の背中が見えなくなった所で、ボソリと呟く。
「・・・・・・・・・いったい、彼等の関係はなんだんだ・・・・・・・・・・・?」
その問いに答えてくるものは居なかった。
ただ、ブライトがそんなフッチを慰めように頬をすり寄せて来ただけで。
「・・・・・・・なんか、面白くないよね・・・・・・・・・・・・」
呟きは湖面に立つ波の音でかき消され、誰の耳にも入ることがなかった。
エライ不発。こんな駄目文でゴメン、フッチ・・・・・・・・・・・涙。
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竜