その人に会ったときのことは鮮明に覚えている。
一分の隙もなく俺たちの前に立ち塞がったのに、少しも殺気を感じなかったから。
隣にいる大柄な男からは、痛い程の殺気を感じていたのに。
その時は逃げることに必死だったから、「なんでだろう」と思う程度だったけど、後から考えたら凄く不思議に思った。
フーバーに掴まって逃げ出した後に振り返ってみた時、何故彼がホッとしたような顔をしていたのか。その理由が凄く、気になった。
そして、今まで戦ってきた騎士団とシックスクランとハルモニアの人達で手を組み、一つの場所で生活し始めてから、彼とは行動を共にすることが増えた。
最初は人員がいなかったから、遠征に出るときのメンバーはほぼ固定されていた。
信用に足る人物が少なかったから。
そして、集まったどの部族とも確執が起きないよう、シックスクランと騎士団、そして傭兵隊の中から代表を出す形で俺の周りを固める人員が決定されたから。
その人員の中に彼が居たのは、当たり前の事かも知れない。
騎士団の連中に強い悪感情を抱くシックスクランの中に入って穏便に事を運べるのは、彼しか居ないだろうから。
彼は、重さがかなりあるはずの鎧を纏っていても軽やかに歩く。
いつも背筋がピンと伸びていて、前をしっかり見据えている。
物腰は柔らかで、どんな人が相手でも丁寧に応対している。
それは子供でも大人でも、女でも男でも分け隔て無く。
だからだろうか。彼の周りにはいつも人が集まっている。
騎士団の人も、カラヤの人も、傭兵隊の人も。
生まれや育ちなんか関係なく、楽しそうに話している。
誰にでも平等に向けられる微笑み。
とても綺麗な、穏やかな微笑み。
それを見ているだけで、気持ちが和らいだ。
いつも穏やかに微笑んでいるから。静かに喋っているから、声を荒げることなど無いのかと思っていたけれど、そうじゃなかった。
六騎士の人達が集まって昼食を食べている場面に出くわしたことがある。
何を話しているのかは分からなかったけれど、彼はクリスの言葉に苦虫を噛みしめたような顔をしていた。
大げさな程目を眇めたり、目を細めて笑ったり。
今まで見たことの無かった様々な表情がそこにあった。
それが少しショックだった。
自分に見せない顔がそこに多々あったことが。
何故ショックだったのかは、分からなかったけれど。
彼が表情豊かになるのは、騎士団の人達と居るときだけではない。
アンヌと居るときも、クィーンと居るときも色々な表情を浮かべている。
だけど、一番色々な表情を見せるのは、彼と同室の男と一緒にいるときだろう。
剣の腕しか取り柄がないと噂されている、あの男と。
からかったり、笑い合ったり、怒っていたり。
年よりも落ち着いて見える彼が、あの男と相対しているときだけは年相応に見える。
むしろ、年よりも幼く。
それが、面白くなかった。
なんであの男の前だけそうなのだと、不思議に思った。
だけどある日、気が付いた。
彼が男に向ける眼差しが、イクがフランツに向ける眼差しに。
リコがフレッドの向ける眼差しに、酷似していることに。
まったく同じな訳ではない。
その眼差しには、ルースがルルに向けていたような色もあったから。
だけど、分かった。
彼は、あの男の事がスキなのだな。
と。
そう思ったら少し胸が痛んだ。何故かは分からないけど。
そして気が付いた。
彼が持つ表情の大半を、自分は見ることが出来ないのだろうと。
あの包み込むような眼差しは自分には絶対に向けられないものなのだろう、と。
だけど、側にいると錯覚してしまう。
優しい言葉をかけて貰えると、もしかしたらと、思ってしまう。
そんな雰囲気が、彼にはあった。
だからみんな、彼に引かれるのだろうか。
耳に聞き慣れた金属音が届いた。
他の人よりも幾分軽いその音に、自然と口元に笑みが広がった。
声をかければ、きっといつもの笑みを返してくれるだろう。
その笑みを見たくて、そちらに顔を向けた。
取りあえず、彼が笑いかけてくれるだけで良いやと、そう思って。
彼と共にある時の空気が、凄く好きだから。
今はそれを感じるだけで良いと、そう思う。
取りあえず。
今は。
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