サラリと、風が吹いた。
 整えていない髪が、その風でふわりと宙に舞う。
 小さい頃から嗅ぎなれた草と土の匂いが鼻腔をくすぐり、何とも言えない幸せな気分が胸をしめる。
 空高く上がった太陽から溢れる日差しは暖かく、優しい。
 その日差しに身を任せて深い眠りに付きたいと思うほどに。
 この世界を破滅に追い込むような戦いが起こっているとは思えないほど、今自分を取り巻く空気は穏やかだ。
 耳をくすぐる小鳥のさえずりが遠くから聞える。城の喧噪も。
 それらの全てが、そんな戦いとは縁遠く、戦っている事が夢なのではないかと思うくらいだ。
「・・・・・・・・平和だな・・・・・・・」
「いつまでも浸ってるなよ。」
「イタッ!」
 思わず零した一言に速攻で突っ込まれ、その上頭に軽い衝撃を感じたパーシヴァルは、自分の周りに漂う空気を全身で感じるために閉じていた目蓋をゆっくりと開き、声の主を恨めしげに睨み付けた。
「・・・・・バーツ。何をするんだ。」
「ぼさっとしてるから、教育的指導をしてやったんだよ。」
 地面に寝転がるパーシヴァルを見下ろしながらそう告げてくるバーツの言葉に、自然と眉間に皺が寄ってくる。
「良いだろ、別に。俺は疲れているんだ。もう少し休ませろ。」
 そう言い返し、再び目蓋を閉じる。自分に構うなと、態度で告げて。
 言葉にしないパーシヴァルの要求を察しているだろうに、バーツは少しも態度を改めようとはしなかった。むしろ、より強硬にパーシヴァルに詰め寄ってくる。
「良・く・な・い・ぞっ!いつまでも休憩されてたら、おいしい野菜もまずくなる!さっさと起きろっ!」
「・・・・・・・・五月蠅いなぁ・・・・・もう・・・・・。たまの休みくらいゆっくりさせろよな・・・・・」
 そう呟きながら半身を起こしたパーシヴァルは、ふうっと深く溜息をつく。そして、その視界に飛び込んできたモノを見て、ニヤリと笑みを浮かべた。
「・・・・・・よし。こうしよう。」
 いきなりそう告げると、バーツが不思議そうな顔で首を傾げてみせる。そんなバーツの顔を見上げながらニヤリと笑んだパーシヴァルは、勢いを付けてその場に立ち上がると、スタスタと畑の近くに立てかけてある鍬に近づき、手にしたそれを一本、バーツに放り投げた。
 そして、一言告げる。
「俺に勝ったら、言う事聞いてやるよ。・・・・なんでもな。」
 そう言いながら、自分も手にした鍬を、軽く構えて見せた。
 剣を扱う時と同じように。
 だが、実際に持っている物は鍬なので、いまいち格好が付かないのだが。
 そんなパーシヴァルの挑戦をキョトンとした目で見ていたバーツだったが、すぐにその顔には笑みが広がった。
「オッケー。望むところだ。」
 そう返しながら、渡された鍬を棍棒を扱うようにクルクルと回し、ビシリとパーシヴァルの眼前へと突きつける。
 形は様になっているが、持っている物が鍬だから、パーシヴァル同様いまいち格好が付いていない。しかし二人はその間抜けさを全然気にした様子もなく、鍬を突きつけあったまましばし見つめ合う。
「じゃあ、パーシヴァルが勝ったら、俺もなんでも言う事聞いてやるよ。」
「ほほう、それでは、俺が勝ったら畑仕事は手伝わないぞ。」
「良いよ。」
 あっさり頷くバーツの言葉にニヤリと笑みを浮かべたパーシヴァルは、鍬を握る手に力を込めた。
「じゃあ、行くぞ。」
「いつでも。」
 かけた声に応じられ、パーシヴァルは大きく息を吸い込んだ。そして、ゆっくりと息を吐き出し、肺に空気が無くなった時点で、大きく踏み出す。
 そのタイミングを見切っていたのだろう。頭上から振り下ろされる鍬を自分の持つ鍬で弾いたバーツは、鍬の重さを利用するように大きく円を描きながら、パーシヴァルの横っ腹目がけて鍬を打ち込んでくる。
 その攻撃を後方に下がる事で避けたパーシヴァルは、口元を笑みの形に引き上げながら、跳ねるような足取りでバーツの懐に飛び込み、上段から鍬を脳天目がけて打ち込む。
 鍬の先は、地面を耕す時とは逆向きで。
 その攻撃はなんなく避けたバーツだったが、そのすぐ後に下からすくい上げる様に戻ってきた鍬の先には、ちょっとビビッたらしい。冷静にパーシヴァルの攻撃を見つめていた瞳に、焦りの色が浮かび上がった。
「・・・・・・っ!おまっ!危ないだろう!怪我したらどうするんだっ!」
 思わずといった感じで抗議の言葉を叫ぶバーツに、鍬を握り直しながら冷たく聞える声でこう返した。
「その時は、紋章で回復してやるよ。」
「・・・・・・・・・それはお優しい事で。」
 嫌そうに返しながら、バーツもまた鍬を握り直す。
 そして、辺りに沈黙が落ちた。
 相手の動きを窺うように、二人はピクリとも動かない。
 剣を握って戦えば、間違いなくパーシヴァルが勝つだろう。だが、今手にしている武器は剣ではない。どちらかというと、コレの扱いはバーツの方が得意としているのだ。ハンデとしては、十分過ぎる位だろう。遊び気分だと、こちらの方が怪我をする。
 パーシヴァルは、気合いを入れ直すようにもう一度鍬を握り直す。
 その瞬間、バーツが大きく踏み込んできた。真っ直ぐに突き入れられる鍬の先を自分の持つ鍬の柄で弾こうとしたパーシヴァルだったが、逆にその柄をバーツの鍬に巻き取られた。
 と、思った時には既に自分の手から鍬が失われ、バーツが横になぎ払った鍬の先に引っかかった状態でプラプラと揺れていた。
「勝負、あったな。」
「・・・・ああ。お前の勝ちだ。約束通り、仕事を手伝ってやるよ。」
 嬉しそうに微笑むバーツにそう返すと、彼はキョトンとした顔でパーシヴァルの顔を見つめ、呆れた声で返してきた。
「何言ってるんだ。畑仕事を手伝うのは当たり前だろう?それは前から決まっていた事だろうが。」
「なんだ。まだ他に何かしろと言うのか?がめつい奴だな。」
 そう言い返せば、言われた言葉が気に入らなかったのか、嫌そうに眉間に皺を寄せられた。
「がめついってなんだよ。当然の権利を主張しただけだろうが。」
「当然かどうかは意見が分かれるところだと思うが・・・・・・・・・。じゃあ、お前の要求はなんなんだ?」
「う〜〜〜〜ん。そうだなぁ・・・・・」
 問い返されたバーツは、腕を組んでしきりに首を傾げている。別に何か考えて発言したわけではないらしい。
 さて、何を言ってくる物やらと、悩むバーツを見つめていると、どうやら名案が浮かんだらしい。彼はポンと大きく両手を打ち鳴らした。
「あれだ。勝利者には、祝福のキスだな。」
「・・・・・・・・・・・はぁ?」
 思いもかけない言葉に、素っ頓狂な声が出てしまった。本気だろうかとその顔を覗き込めば、彼は自分の提案が素晴らしいモノだと言いたげに瞳を輝かせている。
 どうやら、かなり本気らしい。
「・・・・・・・・お前もとうとう俺の魅力に気付いたのか?」 
「何馬鹿な事言ってンだ。」
「痛っ!」
 思わず聞き返した言葉に、呆れたような声で突っ込まれた上に、未だに手にしたままだった鍬の柄で頭を叩かれてしまった。
 しかも、結構強く。
 目の前にチラチラと星が飛んでいる。下手をするとたんこぶも出来ているのではないだろうか。そう思いながら叩かれた箇所を己の手で軽く撫でながら、叩いた本人に恨めしげな視線を向けた。
「・・・・・・・・そう簡単に人を殴るな。馬鹿になったらどうしてくれる。」
「大丈夫。パーシヴァルはちょっとくらい馬鹿になっても十分賢いから。」
 満面の笑顔で言われた言葉は、多分本気だろう。とはいえ、その言葉を素直に喜んで良いモノか悩む。身内の欲目が入っているだろうから。
 とりあえず、その言葉へのコメントは控えて、話を本題に戻す。
「だったらなんなんだ?いきなりそんな事を言い出すなんて。」
「ちょっとした興味。」
「興味?」
「そう。やっぱ、パーシヴァルの初めての男としては、経験を重ねてどれくらい上手くなったのか、気になるところじゃない?」
「・・・・・・・・・初めての男って・・・・・・・・」
「だって、そうだろ?パーシヴァルに初めてキスしたのって、俺だよな?」
「なんでそう思いこんで居るんだ?」
 そんな発言をした覚えはないのだが。不思議に思って首を傾げれば、バーツが自信満々に答えてくる。
「おばさんが言ってた。俺が赤ん坊の時に、パーシヴァルが俺にキスしたって。」
「・・・・・・・・・いつの話をしているんだ。」
 そんな子供の頃の経験など、普通カウントに入れやしないだろう。心底呆れて溜息が零れたが、思わずまともに返答をしてしまう。
「そもそも、それが俺のファーストキスだという確証は無いだろう?俺は、生まれ落ちたその日から、毎日のように父親にキスされてたって、母さんが言ってたからな。だから、俺のファーストキスの相手は父さんという事になると思うぞ。」
「大丈夫、ファーストキスは、自分がそうだと言い張ったやつがファーストキスになるんだからな。」
「・・・・・・・なんだ?そのわけのわからない理論は・・・・・」
「おじさんが言ってた。」
「・・・・・・・・・あの人は、ろくな事を言わないな・・・・・・・・・」
 なんだか急に疲労を感じてくる。そうやって妙な洗脳をされた子供が、あの村に何人いるのだろうか。下手をすると、全員洗脳されているかも知れない。妙に発言力が強い人だったのだ、あの人は。
 そんな事を考えている自分が一番彼に洗脳されているという自覚があるのだが。
「まあ、そんなわけだから、俺はお前のファーストキスの相手だと主張するわけだ。だから、初めての男に一発ドカンとかましてくれ。」
 何が『だから』なのだと突っ込みを入れたい気分ではあったが、色気のない言われように苦笑を返すだけに止めた。コレを言ったのがボルスだったら、冷笑一つ向けただけで放置して置くところだが、弟とも言うべきこの幼なじみの要求を断る事など、自分には出来ないのだ。
 要求通りにキスしてやろうかと一歩バーツに近づきかけたパーシヴァルは、その視界の端に映ったものに、一度視線を向ける。そして、それを認識した途端ニヤリと、不敵な笑みを浮かべた。
「じゃあ、これがファーストキスだと言い張れば、ファーストキスになるのか?」
 そう言うなり、視界に映っていた真っ赤に熟したトマトを一つむしり取り、齧り付く。そして、その実をひとかけ口に含むと、そのままバーツの唇に己のそれを近づけていった。
 ゆっくりと舌先で閉じていた入り口を押し開き、囓り取ったトマトをそっと、バーツの口内へと移し込む。
「・・・・・・っ!」
 口内に侵入してきたトマトの欠片に驚いたように目を見張ったバーツだったが、ゆっくりと離れていくパーシヴァルの動きに合わせるように、ゴクリと、欠片を胃の中に流し込んだ。
 その動きを確認したパーシヴァルは、ニヤリと笑いかけながら言葉を向けた。
「やっぱり。ファーストキスは甘酸っぱくないといけないだろ?」
 そう言うと、非難するような瞳で見つめられた。
「だからって、食わせるなよ。一瞬お前の舌を噛むかと思ったじゃねーか。」
「その時は、お前に舐めて治して貰うさ。」
「横着しないで紋章使えよ。」
「勿体なくて使えるか。そんな事に。」
 そう言い返したら、にやりと笑われた。
「貧乏性だな。」
「悪かったな。所詮田舎者なんだよ。」
 むっと顔を歪ませながら、手にしていた囓りかけのトマトをもう一口囓る。
 じんわりと滲み出す甘酸っぱさに、自然と頬が緩んできた。
「・・・・・やっぱり、お前の作るトマトは最高だな。」
「当たり前だろ。注ぎ込んでる愛情が違うからな。」
 自信満々の言葉に、クスリと小さく笑いを零す。そして、彼の自慢の畑へと視線を向けた。生き生きと育った、作物達へ。
 バーツの人となりを表すような、優しい味わいのする作物達へと。
 自分は壊すばかりでモノを生み出す事が出来ないから、どんなに畑を荒らされても、決して諦めずに畑を耕し続ける彼を尊敬してしまう。
 この畑が二度と荒らされない様にするためにも、負けるわけには行かないのだ。
 そう、胸の中で呟いた。
 そして、物思いに耽り始めたパーシヴァルの様子を心配そうに見つめていたバーツへと、ニコリと笑いかける。
 心配しなくても大丈夫だと、言葉ではなく態度で示すように。
「・・・・・・・・・さて。そろそろ働くか。」
「おっ!やっとその気になったのか?」
「ああ。良い運動もして身体も解れたしな。何からやる?」
「そうだな。じゃあ・・・・・・・」
 簡単な指示を出してくるバーツの言葉を聞きながら、ふと、視線を空に向けた。
 戦いの色など少しも見せない、平和な色に染まった青色に。
 























カップリングに非ず。
鍬を使わせたら、ゼクセン一であります。バーツ氏。
微妙に下らなくてすいません・・・・。汗。











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ファーストキス