バーツはまだ眠っている者の多い早朝に、城の敷地内を歩いていた。
 いつもだったら朝起きてすぐに自分が管理する畑へと脇目もふらず真っ直ぐに向っているのだが、今日はそこを目指さずに木々の生い茂る林の中へと足を踏みいれた。
 その足取りには少しの迷いもなく、この道を通い慣れている事が見て取れる。
 程なくして、その足がピタリと止まった。目的のモノを目にしたからだ。
 バーツは、彼にはあまり似合わない重々しい息を吐き出すと、態と足音を荒くして木にもたれるようにしているモノへと、近づいていった。
 そのモノの目の前に不機嫌も露わなオーラをまき散らして仁王立ちしてやったのだが、深い眠りについているらしいモノはピクリとも動かず、目を覚ます気配が無い。余程疲れているのか、はたまた相手がバーツだと気付いていての態度なのか。いまいち判別出来ない。
 疲れていての態度なのだとしたら、それは仕事の疲れなのか、はたまた違った行為での疲れなのか。考え出すと自然に眉間に皺が寄ってきた。
 顰めっ面をそのままに上半身を眠るモノの眼前へと倒したバーツは、自然と尖る声音を取り繕う事をしないで声をかけた。
「おいっ!起きろよっ!」
 半ば怒鳴るような声に、眠っていたモノの眉がピクリと動いた。しかし、目を覚ます気配は無い。
 顰めっ面を更に顰めたバーツは、眠り続けるモノの左耳を引っ張ると、その中に直接怒鳴り込んだ。
「おーーーーきーーーーろーーーーーーっ!風邪を引くぞっ!パーシヴァルっ!」
 さすがにその攻撃は効いたらしい。眉間に皺を寄せ、唸るような声を漏らしたパーシヴァルは、耳を掴んだままのバーツの手を払いのけるように腕を振ると、低い、不機嫌を表す呟きを漏らしてきた。
「・・・・・・・・・・五月蠅いぞ、バーツ・・・・・・・・・・・」
「五月蠅くされたくなかったらさっさと起きろよ。寝るなら部屋で寝ろ。今日は休みだろ?」
 倒していた上半身を引き上げながらそう返すと、数度瞬きを繰り返したパーシヴァルが、未だに眠そうな瞳をバーツへと向けた。
 その時に太陽の光が目に入ったのだろう。眩しそうに目を細めたと思ったら、開きかけた瞳を再び閉じ、身体を弛緩させていった。
「だーーーかーーーらーーーーっ!!起きろって言ってるだろっ!」
 再び眠りの体勢に入った幼なじみの身体を無理矢理引き戻しながらそう怒鳴ると、パーシヴァルは力無い呟きを返してきた。
「・・・・・・風邪を引いても良いから、寝かせてくれ・・・・・・・・・・・・」
「だーーーめーーーーだーーーーっ!いい加減起きないと引きずってくぞっ!」
「・・・・・・・・そうしてくれ。その方が、楽だ・・・・・・・・」
「甘えるなっ!」
 力を入れてくれないからクニャクニャと崩れ落ちる身体をなんとか真っ直ぐに木の幹にもたせかけたバーツは、一仕事終えた満足感にフッと息を吐き出す。
 そして、改めて幼なじみの姿を見下ろした。
 なんの変哲も無いシャツのボタンは全て外され、鍛えられて引き締まった胸筋と腹筋を惜しげもなく太陽の光の下に晒している。
 履いている黒い細身のジーパンのフロントホックも外され、ジッパーは一番下まで下がったままだ。少し湿っているように見える髪の毛はいつものようにまとめられてはおらず、それどころかかなり激しく寝乱れ、葉っぱや細い木の枝が絡まっている。
 バーツがそんなパーシヴァルの状態を事細かに観察しているのに気付いているのかいないのか、寝息を立て始めたパーシヴァルの身体が再び傾げた。
 普段の取り澄ました姿からは想像も出来ない彼の崩れっぷりに苦笑を浮かべたバーツは、パーシヴァルの目の前に座り込むとその髪に絡まった葉や枝を丁寧に取り外していった。
 その感触をむずがるように眉間に皺を寄せ、少し身体を動かしたパーシヴァルだったが、制止の声は上げてこない。だからバーツは、パーシヴァルの髪に己の指を差し入れ続けた。
 ゴミを取り、乱れた髪を手櫛で整えていく。
 どこか安心したようにその手の動きに身を任せて来るパーシヴァルの顔を見つめながら、バーツは僅かに眉間に皺を寄せた。






 騎士なんか辞めてしまえ。






 そんな言葉が口から飛び出しそうになる。
 意に添わない行為を強要してくるような上司がいる職場に留まる必要が、あるのかと。






 自分と一緒に村に帰ろう。







 そう言いたいけれど、言えない。言ってはいけないと、思っている。
 自分の強い希望を含むその言葉は、彼の心に負担をかけるだけだと、分かっているから。
 何故意に添わない行為を続けるのか、聞いた事がある。この城に来る前に。村が襲われる、ずっと前に。その時は、仕方の無い事だと言っていた。上を目指すには、あの閉塞された空間で上手く生きていくためには、仕方の無い事だと。
 疲れたような、何かを諦めた瞳で、そう言った。
 今は、どうしようもない事なのだと言う。長い時間をかけ繰り返してきた事を簡単に取りやめられる程、自分の心は強くないのだと。例えその後に悔やむ事になっても、自己嫌悪に陥ろうと、身体が望む事を振り切る心の強さが無いのだと。そう言っていた。
 自嘲するような瞳で。遠くにある何かを見つめているような、そんな瞳で、そう言っていた。
「でも、お前は強いと思うぜ?」
 眠る男の頭を優しく撫で上げながら、そっと囁く。
 パーシヴァルは、彼を一個人と捉えるどことか、「人」としても扱っていないような連中の中で、しっかりと「自分」と言う物を持って生きているのだから。
 自分だったら、耐えられないだろう。そんな生活は。
「だから、お前は強いんだよ。・・・・・・・・・お前が思っているよりも、ずっとな。」
 尊敬と労りと、そして溢れんばかりの愛情を込めてパーシヴァルの額に口づけを落とす。
 その温もりを感じたのだろう。パーシヴァルがうっすらと目蓋を開いて見せた。
 その瞳を覗き込んだバーツは、いつもと同じ一点の曇りも無い笑みをパーシヴァルに向ける。
「ほら、いい加減起きろよ。今日は収穫を手伝ってくれる約束だろ?」
 そう言いながら、パーシヴァルの頭を軽く叩く。
「・・・・・・・あぁ・・・・・・・・・・そう言えば。」
「早くしないと。メイミが待ってるんだよ。ほら、早くっ!!」
「・・・・・・・・・分かったよ・・・・・・・・・・・」
 怠そうに頷いたパーシヴァルは、背中を預けていた木の幹からヨロヨロと身体を引きはがした。そして、緩慢な動作で大きく伸びをするとようやく、バーツへと向き直る。
「・・・・・・・ったく。変な約束をするもんじゃ無いな・・・・・・・・・」
「早寝早起きは人間の基本だぜ?」
「お前は早すぎだ。」
 そう返してくるパーシヴァルの瞳はまだ眠そうだ。半分目蓋が閉じている。
 それでもヨロヨロと足を動かし始めた彼の様子に小さく笑みを零したバーツは、その傍らに並び、歩調を合わせて歩いていく。
「俺はお百姓さんだからな。早くてナンボだ。」
「そりゃそうかも知れんが・・・・・・・・・・・」
「まぁ、ちゃんと礼はするからさ。しっかり働いてくれよ!」
 そう言い返して背中を思い切り強く叩いてやる。予測していなかった攻撃と眠さで少しよろけたパーシヴァルだったが、すぐに体勢を整え、苦笑を返してきた。
「分かったよ。・・・・・・・・・・・・・・それにしても、今日はやたらと怠いな。」
「ヤリ過ぎ何じゃないの?」
「そんなにやってないよ。」
「じゃあ、もう年なんだよ。」
「・・・・・・・・・・お前。手伝うの止めるぞ。」
 目を据わらせてドスの利いた声で返されたバーツは、クククッと喉の奥で笑って返す。
「ウソウソ。パーシヴァルはまだまだ若い。肌のきめも細かいしなっ!」
「・・・・・・・・その言われ方も、嫌な感じがするぞ・・・・・・・・・・・・・」
「そう?褒めたんだけどな。顔は言うまでも無いことだけど、バランス良く筋肉が付いてて引き締まってて、身体のラインも綺麗だし。パーシヴァルがもてるのも分かる気がするな。」
 そう返すと、パーシヴァルは驚いたように瞳を見開いて見せた。だが、その顔はすぐにからかいを含む笑みへと取って代わる。
「なんだ?お前も俺の身体に興味があるのか?なんなら一回やってみるか?」
「お前が抱いてくれって言うなら、抱いてやるけど?」
「誰がお前に言うかよ。」
「何?俺よりも兄ちゃんの方がマシって事?」
「ボルスよりもお前の方が大事って事だよ。」
「・・・・・・・・・・そんなの、当たり前だろ。」
「まぁな。」
 ムッとしながら文句を言えば、パーシヴァルはニッと笑い返してきた。
 そして、瞳に真剣な光を宿して見つめ返してくる。
「バーツ。」
「何?」
「お前が今、ここにいてくれる事が、凄く嬉しいよ。」
 真剣な瞳と真剣な声音に、思わず足が止まる。
 それに倣うように、パーシヴァルの足も止まった。
 すぐに言葉を返せず、バーツはその場に立ちつくしていた。そんなバーツの様子を見つめながら、パーシヴァルも黙ってその場に留まる。次のバーツの言葉を待つように。
 やがて、バーツの顔に笑みが広がった。太陽よりも尚明るく、暖かいと感じる笑みを。
「・・・・・・・・そっか。」
 そう、短く返す。
 自分の存在が彼の役に立っている事が、たまらなく嬉しくて。
 嬉しさの余り、ソレしか言葉が浮かばなくて。
 そんなバーツの内心がパーシヴァルにも伝わったのだろう。彼は、くすぐったそうに小さく笑みを浮かべると、自然な動きを装ってバーツから視線を反らした。そして、小さく呟き返してくる。
「・・・・・・・・大分遅くなったな。急ぐぞ。」
「ああ。そうだな。」
 その呟きに頷いたバーツは再び歩を進め始めた。先程よりも、ほんの少し歩調を早めて。
 だがバーツはパーシヴァルの横に並ばず、僅かに斜め後ろをついて歩いた。その角度から大切な幼なじみを見つめ、彼の名を口にする。
「パーシヴァル。」
「なんだ?」
 僅かに振り向き、軽く首を傾げてくるパーシヴァルに、自分の思いの丈を込めて微笑んだ。そして、彼に向って一言告げる。
「大好きだぜ。」 
 その唐突な言葉に一瞬驚いたように目を見張ったパーシヴァルだったが、すぐに心の底から嬉しそうな、偽りの無い笑みを向けてくれた。
 そして、柔らかい声音で一言、返してくる。
「・・・・・・・・・・俺もだ。」
 その笑みと言葉に、バーツは嬉しくなった。
 彼に自分の存在が認められていることが。
 今現在、彼の支えになっていることが。
 その事が、彼の笑みと言葉で実感出来て、嬉しくなった。
 彼に『大事な人』が出来ても、彼を大好きだと思う事が、彼に幸せになって貰いたいと言う思いが変わることは無いだろう。大切な幼なじみへの愛が薄れる事など、あり得ないから。
 だから、自分は死ぬまで彼の支えでありたい。
 彼の『一番』を望んでいるわけでは無いけれど。
 それでも、彼が自分の隣で笑っている。その日常が。今、この瞬間が。たまらなく嬉しい。
 世界の平和よりも何よりも、パーシヴァルの幸せを願っているから。


 誰よりも、強く。
























深い思いは不変のモノ














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深い愛