「パーシヴァルっ!!」
聞こえてきた呼び声に、自然と眉が寄る。
少し浮かれた感じのするこの声の持ち主が、顔を見なくても誰だか分かったからだ。
見慣れたく無いのにいい加減見慣れて、聞き慣れたくも無いのに気になれてしまった同室の同僚の声。
誉れ高き六騎士などと呼ばれているのに、烈火の騎士などという格好付けた名で呼ばれているのに、どこか幼さの残る一つ年下の男の声。
その声がこんな響きを持っているとき、大抵馬鹿みたいな事を言い出すと決まっているのだ。
今度は何を言ってくるのだろうか。内心でウンザリしながらも、パーシヴァルは周りの目を気にしてにこやかな笑みを形作って声のほうへを視線を向けた。
「どうしたんだ、ボルス。機嫌が良さそうだが?」
「ああ。まぁなっ!それよりパーシヴァル、今から暇か?」
どうやらここまで走ってきたらしい。多少息を上げながら、ボルスが問いかけてくる。
今日は休みであるボルスは、勤務中のパーシヴァルと違って軽装だ。
鎧の類は一切身につけていない。
そこらの町人と同じように、普通のシャツを羽織り、普通のスラックスを履いている。
とは言え、その値段は普通の町人が買えるような値段でないことは、その生地をチラリと見ただけでも分かるのだが。
そんな高価な衣服を、彼は所々濡らしていた。
得に袖口は酷く、いっそ着替えた方が良いのでは無いかと思うくらいだ。
そんなことを観察していたパーシヴァルが自分の言葉に応えない事に焦れたのか、ボルスが再度問いかけてきた。
「おい、聞いているのか?」
「ああ。聞いてるよ。これと言って急ぐ様な仕事もないが・・・・それが何だ?」
小さく首を傾げて問い返せば、彼は途端に嬉しそうに顔を輝かせてきた。
「そうかっ!じゃあ、ちょっとつき合ってくれっ!」
「つき合うって・・・・どこにだ?」
「いいから、来いっ!」
「ちょ・・・・っ!ボルスっ!」
いきなりパーシヴァルの腕を掴んだボルスは、パーシヴァルに何も告げずに元来た道を戻り始めた。
「急ぐ仕事が無いとは言え、仕事が無いわけでは無いんだぞ?」
「少し位良いだろう。今は戦況も落ち着いているのだからな。」
「・・・・あのなぁ・・・・・。」
この男は本当に状況を把握しているのだろうか。
お気楽な発言に少し目眩を感じた。ここらで少し注意をしてやった方が良いかも知れない。彼は、将来クリスと共にゼクセン騎士団を引っ張っていく地位に着くはずなのだから。
国のためにも、評議会の連中に流されるような馬鹿な男でいて貰っては困るのだ。
「ボルス。お前も少しは・・・・・。」
「よしっ!パーシヴァルっ!鎧を取れっ!」
彼に語りかけようとした瞬間、いきなり振り向いたボルスがそう告げてきた。
しかも、ものすごく嬉しそうに。
いや、嬉しそうと言うよりも、自信満々に。
「・・・・・・・・・何を言っているんだ?」
まだ仕事があると言った自分の言葉を聞いていなかったのだろうか。
ますます騎士団の将来が心配になってきたパーシヴァルの眉間には、更なる皺が寄り始めた。
そんなパーシヴァルの様子に少しも気が付いていないのか、ボルスはテンションも高く言葉を続けてくる。
「鎧を取れと言っているんだ。これまで俺が行ってきた特訓の成果を、今日お前に見せてやるぞっ!」
「・・・・特訓の成果・・・・・?」
胸を張ってそう宣言するボルスの言葉に首を傾げたパーシヴァルは、その時になってようやく自分が連れてこられた場所に気が付いた。
それは、以前子供達にせがまれてボートに乗せる際に来た湖の畔。
小さいボートが何艘か並んでいる所だ。
その事に気が付いたパーシヴァルは、漸くボルスの言いたいことがなんなのか察知する事が出来た。
あの時、ボートをまともに操作する事の出来なかったボルスが、特訓を繰り返してボートを扱えるようになったのだと、言いたいのだろう。そして、その特訓の成果をパーシヴァルに見せたいと。
なんとも迷惑な話だ。
彼は休みだから良いかも知れないが、勤務中の自分には、ボートに乗って湖面に向かうなどと言うことは仕事をさぼっている事に他ならないと言うのに。
「・・・・・あのな、ボルス。俺は・・・・・。」
一言言ってやろうと口を開いたパーシヴァルだったが、ボートを扱えるようになったという自信と、その事をパーシヴァルに褒められるだろうという期待に満ちたボルスの瞳に見つめられ、続ける言葉を飲み込んだ。
ここで甘やかしたら、彼のためにはならない。分かっているが、断りの言葉を言うことを躊躇われる。
八つ当たりをするとき、彼の落ち込む顔を見ると気分が良くなる事が多いが、そうではないときにはなんだか子供を虐めたような気分になって後味が悪いのだ。
「・・・・・少しだけだからな・・・・・。」
結局は承諾してしまう自分の甘さに内心で舌打ちしつつも、彼の望む言葉を発してしまう。
「ああっ!分かっている!」
心底嬉しそうに頷くボルスの様子は、25の男とは思えない幼さがある
そんな彼の様子に苦笑を浮かべながら、パーシヴァルは鎧の留め金へと手を伸ばしていった。
ギコギコと音をたてて、ボートが湖面へと踊り出していく。
確かに、ボルスの操船するボートは以前の様に同じ場所をグルグル回る様な事はしなくなった。しかし、胸を張ってボートを扱えると宣言する程の事は無いと、パーシヴァルは思う。
チラリと視線を前に向けると、そこには真剣な眼差しでオールを扱うボルスの姿がある。
その顔は、戦場に向かうときと同じくらい真剣だ。
「・・・・・何をそこまでムキになっているのか・・・・。」
「何か言ったか?」
「別に何も。」
思わず零れた呟きに言葉を返され、誤魔化すように首を振る。
その言葉に訝しげな視線を向けたボルスだったが、すぐに操船のほうへと意識が戻っていった。
先ほどと変わらぬ真剣な顔に戻ったボルスをしばらくの間観察していたパーシヴァルは、フイっとその視線を外し、湖面に反射する日の光を目で追い始めた。
緩やかに流れる風で揺らめきたつ湖面。そこに反射する光。
小さい頃から、その情景は変わりない。大きな戦が起っているなどと言うことが信じられないくらい、穏やかな光景だ。
戦いが激しくなったら、この情景も変わってしまうのだろうか。
身体をボートの縁によしかからせて、湖面に指先を触れさせた。
冷たい感触が指先に伝わってくる。
ボルスの不器用な動きで流れる水の感触が。
「おい、あまり身を乗り出すと危ないぞ。」
「大丈夫だ。これくらいの距離、落ちたところで泳いで帰れる。」
「・・・・・・そう言う事では無く・・・・・。」
ムッと顔を歪ませたボルスに、ニコリと笑いかけた。
意地の悪さを含ませない自分の笑み一つで彼が言葉を失うことが分かっていながら、ワザと。
思惑通りに何も言葉を告げられなくなったボルスの様子に、気づかれない様に笑みを零す。
視線を流せば、岸から随分遠くまで来ていた。ボルスにしては頑張ったと思う。前回の駄目っぷりを考えると、大した進歩だ。しかし、これ以上先に進まれては帰りが怪しくなると言う物。
自分が変わればすぐに帰り着けるが、たぶんそんなことは死んでもしないだろう。
プライドが高い男だから。
とは言え、そろそろ戻らないと仕事に支障を来す。ここら辺が潮時だろう。
そう考えたパーシヴァルは、視線を岸に向けたままボルスへと語りかけた。
「・・・・・随分旨くなったんだな。」
「そうだろう!暇を見つけては、特訓したからなっ!」
嬉々として答えるボルスの様子に、自然と口元に笑みが浮かび上がってくる。
この素直さが、羨ましくも憎らしい。
「ああ、良く分かったよ。頑張ったな。」
ニコリと笑いかけてやれば、彼は面白いくらいに顔を赤く染め上げて見せた。
本当に、面白いくらいに反応が素直だ。
自分には、一生こんな反応をする事は出来ないだろう。素直な心など、どこかに投げ捨ててきてしまったから。
物事を真っ直ぐに見ることの出来なくなった自分に自嘲的な笑みを浮かべながら、パーシヴァルは静かに腰を上げた。
狭くて不安定なボートが、その振動で揺れる。
倒れないように注意しながらボルスに向かって顔を近づけたパーシヴァルは、驚いたように目を見開いているボルスへと、触れるだけの口づけを与えた。
一瞬触れただけですぐに元の位置に腰を下ろしたパーシヴァルは、チラリとボルスの顔色を窺った。
彼は、顔面を真っ赤に染め上げ、信じられないモノでも見るような目でこちらを見つめている。
湖の上とはいえ、誰が見ているのか分からない昼間の野外でパーシヴァルからソウイウ接触をしてきた事に驚いているのだろう。夜、部屋に二人きりでいるときにも滅多にやらないことなのだから、なおさらに。
こういう反応が返ってくるおもしろさがあるからこそ、ボルスへの口づけを頻繁にやろうとは思えないのだが、そんなことは当の本人は分かっていない。
「パ・・・・パーシヴァルっ!!」
「頑張ったご褒美だよ。こんなところだしな、とりあえずはそれくらいだが。」
「・・・・・・・・・・・・とりあえず?」
パーシヴァルの言葉の裏にあるモノの正体を突き止めようとするかのように顔色を窺ってくるボルスに、パーシヴァルは微笑みかけてやった。
誘いの色を含んだ、そんな笑みで。
途端に、ボルスの顔色はこれ以上ないと言うくらいい紅潮した。
そんなに興奮して大丈夫なのだろうかと、見ているこちらが心配するくらいその顔色の変化は凄まじいモノがあった。
「・・・・おい・・・・。」
「じゃあ、岸に戻ったら、もっと色々・・・・・。」
パーシヴァルの問いかけなど聞こえていないのか、ボルスがブツブツと呟いている。
処女の少女の様な反応をするくせに、やることはしっかりやろうとしているからなかなか逞しい。
半ば呆れつつ、パーシヴァルは視線を湖面に移しながら呟き返した。
「それは、お前の行動しだいだな。」
「・・・・どういう、意味だ?」
「俺のその気が無くなる前に陸地に戻ったら、考えてやるよ。」
湖面に向けていた視線をチラリとボルスに向けながらの言葉に、ボルスはオールを握っている手に力を込め直す。そして、先ほどよりも早い動きで漕ぎ出した。
その単純さに、気づかれぬよう口元に笑みを浮かべながら、パーシヴァルは再び湖面へと指先を触れあわせた。
冷たい水を、指先で切っていく。
ボートがたてる波よりももっと小さい波が、パーシヴァルの指先から作り上げられていく。それが、なんとなく楽しかった。
視線を上げれば、そこには真剣な眼差しのボルスがいる。
手を伸ばせすぐに届く距離に。同じベットで眠るときよりも距離があるのに、すぐ近くにいるような気がするのはなんでだろうか。
「・・・・・ボルス・・・・。」
「何だ?」
名を呼ぶと、すぐに言葉が返ってくる。
自分に真っ直ぐに注がれる視線が、なんだかくすぐったい。
何故そう思うのか、分からなかったが。
「・・・・・いや、何でもない。」
小さく首を振り返せば、彼は微かに首を傾げて見せた。
そんな彼に微笑み返し、もう一度視線を湖面へと向ける。
たまには、こんな時間と距離も良い。
そんな思いを抱きつつも、ボルスには伝えず、パーシヴァルはその思いをそっと自分の胸の内にしまい込んだ。
日の光に輝く湖面と、ボルスの金色の髪を見つめながら。
プラウザのバックでお戻り下さい。
湖面