酒の行方
「無い!」
背後から突然上がった叫び声に、パーシヴァルは何事だと読んでいた本から顔を上げ、壁に備え付けられている棚の中をガチャガチャとかき回しているボルスへと視線を向けた。
その姿は必死で、無くした物が余程大切な物だった事が伺える。
これを無視するのは少し可哀想かと、パーシヴァルは読みかけの本をパタリと閉じ、ゆっくりと腰掛けていたイスから立ち上がった。
「何が無くなったんだ?」
普段となんら変わることの無い口調でそう話しかけると、ボルスは今にも泣きそうな瞳で振り返ってきた。
「ワインが・・・・・・・」
「ワイン?昨日飲んでいたやつか?」
「違う!あんな安物では無い!」
激しく怒鳴られ、パーシヴァルはホンの少し肩をすくめる。
ボルスは安物と言うけれど、昨日彼が飲んでいたワインは一般の家庭では余程の祝い事が無ければ飲まないような高級品だったのだ。
こういうところに、彼が名門貴族の出身だと言うことを意識させられる。どんなに高給取りになっても、自分はあの酒を安物と言うことは出来ないだろう。
「・・・・じゃあ、どのワインが無くなったんだ?」
「トランで作られたやつなんだ。細い青い瓶の・・・・」
「青い瓶?」
言われた言葉に何か引っかかる物を覚えた。
「知っているのか!」
勢い込んで尋ねてくるボルスの視線を受けながら、パーシヴァルは己の記憶を探って見る。どこかで見たような記憶はあるのだが、はっきりと覚えていない。もしかしたら盗まれる前に棚の中でみたのかも知れない。なんとなくその瓶の姿が目に浮かびそうで浮かんで来なかった。
「・・・・いや、気のせいだったみたいだ。」
「・・・・そうか・・・・・。」
ガクリと肩を落とすボルスの様子に、悪いことをしたと少し反省する。
変に期待を持たせてしまった。
「悪いな、役に立てなくて。」
「いや、良いんだ。気にしないでくれ・・・・・・。」
力無く呟いたボルスは、よろける足取りでドアへと歩を進めていく。
この状態でどこに行こうと言うのだろうか。予測の付かない彼の行動に、パーシヴァルは思わず問いかけた。
「どこに行くんだ?」
「・・・・・探偵に調査を依頼してくる。」
「・・・・・・・・それは、止めたほうが良いと思うぞ?」
自称名探偵の少年の姿を思い浮かべ、パーシヴァルは控えめに忠告してみた。彼に頼んでは、解決するものも解決しない。捜し物が大事ならば、彼に依頼すると言うことは得策では無いだろう。
そんなパーシヴァルの胸の内を分かろうともせず、ボルスは力無く微笑み返してきた。
「一筋の光があるなら、それにすがりたいんだよ。」
そう言ってドアから出て行くボルスの姿を見送り、ドアが閉まったところでパーシヴァルは呆れたように呟きを漏らした。
「・・・・・あった光も、消え失せると思うぞ・・・・・?」
数分後、意気揚々と自称名探偵が現れた。
指紋が付くからと白い手袋をはめ、現場検証と言って辺りを調べる様子はそれっぽい。しかし、「ぽい」だけでそれが身を結んでいるとは思えないパーシヴァルだった。
「では、ワインはここに置いてあったと言うんですね?」
「ああ。間違いない。昨日の朝まではあったからな。その後俺は遠征に出ていて、帰ったのは今日のの夕方だ。」
「そして、今無くなっている事に気が付いたと。では、昨夜から今日の夕方ににかけて盗まれたと判断出来ますね。」
もっともらしく頷いて見せてはいるが、ボルスの言葉を復唱しただけのそれは、子供でも言えることだ。実際子供でしか無い彼にはこれが限界なのかも知れないが、仮にも探偵を名乗っているのだから、もう少しまともな事を言って見せても良いと思うのだが。
本当にこんなやつで大丈夫なのかとボルスに視線を送ると、彼は感心したように頷いている。
「・・・・・これは駄目だ・・・・・・。」
誰にも聞こえない様な声量でそう呟いたパーシヴァルは、事件の迷宮入りを予測して読みかけの本を手に取った。
依頼者が納得しているのならば、わざわざ口を出すことはない。下らないことに時間を取られるのは無駄と言う物。
巻き込まれるのを避けるため、二人から出来るだけ離れるようにベットの上に腰を下ろしたパーシヴァルは、しおりを挟めていなかった本のページをパラパラとめくり、目的のページをさぐり出した。
出来ることならベットの上に寝そべりたい所だが、今は人の目もある。
姿勢を正して活字を目で追うパーシヴァルの耳に、どう考えても頭の悪そうな会話が聞こえてきた。
「その間、誰かこの部屋に来ましたか?」
「それは分からない。ずっと部屋に居たわけではないから・・・・・。」
「では、泥棒が進入したという可能性が大きいですね。」
「泥棒だと!」
「ええ。高価な物ならばその可能性は十分あります。他に盗まれたものは?」
「とくには・・・・・。」
「では、それだけを狙った、と言うことでしょう。そのワインの話を誰かにしたことは?」
「無いと思うが・・・・・・。」
こんな会話がいつまで続くのだろうか。思わず耳を傾けてしまって、読書に集中出来ない。
そんなパーシヴァルの気持ちを察することなく、二人の会話は続いていく。
「では、盗まれたものの特徴を教えて下さい。」
「深い青色の瓶で、形は普通のワインの瓶よりも細身なんだ。トランから取り寄せた物で、この地方にはそうそうある物ではないはずだ。」
「大きさは?」
「それは普通の瓶と大して変わりない。味は少し甘みが強いんだが、香りが他の物よりも豊かで、上品な味わいがする。一度飲んだら忘れられない味だぞ。」
「・・・・・・・・・?」
また何か引っかかった。
見た記憶も曖昧な酒の味と香りに、何故引っかかりを覚えるのだろうか。
何となくボルスの言葉が気になり始めたパーシヴァルは、活字を見ているふりをして二人の話に気持ちを集中する。
「ワインの色は赤ですか?」
「いや、白だ。だから余計に瓶の青色が映えて見える。」
そう言った後、ボルスは何かを思い出したように両手を打ち合わせた。
「そうそう。瓶には特徴があってな、飲み終わった後に光に好かしてみると、ウラに彫り込まれた文字が見えてくるんだ。」
「・・・・・・・・文字?」
また引っかかった。
思わず言葉が零れてしまったが、二人は気づいていないようだ。
話が途切れる気配はない。
「なんと書いてあるんですか?」
「それは分からない。飲んでみないとな。一瓶一瓶違うことが書かれているらしい。俺がみたのは、何かの詩の一節のような文章だったけどな。」
「・・・・・・・・!」
その一言で、パーシヴァルの記憶が呼び起こされた。
「・・・・・・・まずい・・・・・・。」
あまりにも身に覚えが有りすぎだ。
今まで忘れていたのがおかしいくらいに。
いや、あの状態だったのだから、思い出した事が奇跡に近いのかも知れないが。
さて、どうしたものか。
動揺を表に出さないように注意しながら、考え込む。
本当のことを言うわけにはいかない。ボルスがどれだけ怒り狂うか分かったものではないから。いや、怒ったボルスが怖いわけではない。全然怖くは無いのだが、それをネタにしつこく何かを言ってこられるのも癪に触る。とはいえ、こっそり弁償しようという気もサラサラ無い。
となれば、やるべき事は一つしかない。
「では、聞き込みをしてみましょう。もしかしたら、不審な人物を見た人がいるかも知れませんからね。」
「そうか。俺もつき合うぞ。」
二人揃って部屋を出て行こうとする姿を目で追った。
どうやってこの場から抜け出そうかと考えていたパーシヴァルには、またとないチャンスだ。
「じゃあ、ちょっと出てくるから。」
「ああ。」
ボルスの言葉にニッコリと笑い返したパーシヴァルは、二人の気配が消えたのを確認してから、こっそりと部屋から抜け出した。
目指す場所は同僚の部屋。そこにボルスが行くかは分からないが、彼よりも速くたどり着かねばならない。
足早に城内を歩き、目標の部屋の前にたどり着いたパーシヴァルは、少し乱暴に部屋の戸をノックした。
戸はすぐに開かれ、部屋の主であるレオが驚いたようにこちらを見つめてきた。
「どうした、パーシヴァル。」
そう声をかけてくるレオの背後を窺ってみる。どうやら彼の同室であるロランの姿は居ないようだ。その事に少し安心した。口止めする相手は、少ないに限る。
「すいません。ちょっと良いですか?」
「あ、ああ・・・・。べつにかまわんが・・・・・・。」
ニッコリと微笑むと、彼は僅かに狼狽えながら身体をずらして部屋の中へと導いてくれた。その事にもう一度微笑みかけ、パーシヴァルは部屋の中へと足を踏み入れた。
ザッと見回してみたが、室内の様子は昨夜と変わりない。目的の物も、少しも場所を違わずに置いてある。
「ロラン卿は?」
「昨日から交易に出かけている。明日まで帰らんはずだが?」
それがどうしたのかと目で問いかけてくるレオの言葉に、パーシヴァルはホッと胸を撫で下ろした。
と言うことは、口封じが必要なのはレオだけと言うことになる。それだけなら容易い。
「・・・・・それは良かった。」
呟きながら、パーシヴァルはおもむろに目標物へと手を伸ばした。
青い、細身の瓶へと。
開いた瓶の口からは、豊かな香りが漂ってくる。
中身が少しも無いというのに。
光に透かしてみると、微かに見える文字の影。
ボルスが必死に探していた物が、ここにあった。
「どうかしたのか?」
首を傾げて尋ねてくるレオに、パーシヴァルは軽く首を振って見せた。
「いいえ。なんでもありませんよ。なんでもね・・・・・。」
呟きながら、パーシヴァルは手にした瓶を床の上に落とし、力一杯踏みつけた。
「おいッ!パーシヴァルっ!」
激しい破壊音に、レオの叫びが被さる。
飛び散った破片で頬が切れたが、そんなことに構いもせず、パーシヴァルは割れた瓶をさらに踏みつけ、破片を小さくしていく。ソレが原型を止めないようにするために。
「何をやっているんだっ!怪我をしているではないかっ!」
怒鳴りながら身体を拘束してこようとするレオの手を軽くかわしながら、パーシヴァルはなおも破片を踏みつけ続けた。
べつにボルスに怒られるのが怖いわけではない。ばれて弁償させられる事になった時に、払える確信がないのだ。
『誉れ高き六騎士』などと言われているが、たいした給料を貰っているわけではない。
少なくても、自分は。
素直に謝れば許してくれるだろうが、レオと一緒に飲んだというのも気が引ける。
そんなことを考えながら黙々と破片を踏みつけていたパーシヴァルの耳に、再び怒鳴り声が聞こえてきた。
「いい加減にしろっ!」
「うわっ!」
言葉と共に腰から抱え上げられ、宙に浮いた身体は近くにあったベットの上へと放り投げられた。
突然のことに驚き目を瞬いていると、視界をレオの顔が塞いでくる。
「何を考えて居るんだっ、お前は!昨日の行動も分からなかったが、今日のお前もわけがわからんぞっ!」
怒りも露わに言葉をかけてくるレオに、パーシヴァルはうっすらと笑みを浮かべる。
時間が経つにつれ、昨夜の事が鮮明に思い出されてきた。
昨日の夜、その前の夜に半ば無理矢理の形で自分を抱いたボルスへの怒りが唐突に沸き上がり、ストレスを発散させるために酒場でクィーンと飲んでいた。しかしそれでも怒りは収まらず、嫌がらせにボルスが大事にしている酒の一本でも飲んでやろうと先ほどの酒を手にしたのだ。
最初は一人で飲んでやろうと思っていたのだが、その酒のあまりの上手さに一人で飲むのが勿体なくなり、かなり良い感じに酔っぱらった状態でレオの部屋に押しかけた。
酔っぱらいすぎると記憶を飛ばす傾向にあるので、ついさっきまで忘れていたが。
事の顛末を明確に思い出したパーシヴァルは、クスクスと笑いながら仏頂面のレオの顔を覗き込んだ。
「良いじゃないですか。その分、楽しめたでしょう?」
酒盛りの事ではなく、その後の情事のことを仄めかしてレオの首に腕を伸ばす。
「・・・・っ!・・・・お、お前・・・・・!」
年甲斐もなく真っ赤になって動揺するレオの様子に笑みが浮かぶ。
男の自分相手にこんな反応をしているから、いつまで経っても嫁が貰えないのだ。
凄くいい人だと言うのに。自分が女だったら、自分やボルスよりも彼を選んでいるだろう。世の女性の人を見る目の無さにため息が漏れる。
「もしよろしければ、これからお相手させて頂きますけど?」
軽く首を傾げ、口の端を少し持ち上げて笑う。
ボルスが部屋に帰ったときに戻っていなかったら訝しまれるとは思うが、いくらでも言いくるめられる。やましいことのあるレオも、自分に話を合わせてくれるだろうし。
誘うように瞳を覗き込めば、望んだように唇が降りてくる。
男という生き物を誘うのは簡単だな。
そんなことを考えながら、パーシヴァルは与えられる快楽へとその身を委ねていった。
「どこに行っていたんだ?」
案の定、部屋に戻った途端ボルスのそう言われた。
少し詰問するような口調に、苦笑がこぼれ落ちる。
「レオ殿に誘われて、飲みに出ていた。」
端的に返し、ベットに腰をかけた。
二日続けてレオの相手をしたので、さすがに身体がきつい。その前の日はボルスとしたし。
昔は毎日やっていた。一晩の相手が一人で無い事も、日常の事だった。そのせいで疲れはたまってはいたが、ここまで身体がキツイと思ったことは無かったような気がする。
続けて出来る体力が無くなってきていると言うことなのだろうか。それとも、身体が緩やかな肉体交渉の間隔に慣れてきていると言うことなのか。
毎日やりたいとは思わないが、体力が低下したのだと考えると年を取ったみたいで、何となく嫌だった。
ボンヤリと考え込んでいると、いきなり目の前にボルスの顔が突き出された。
「・・・・・・なんだ?」
「いや、なんか、疲れてるみたいだなと思って。」
心配してくれたらしい。
だったら自分に欲情するのは止めてくれと言いたくなったが、そこはグッと堪える。
彼の秘蔵の酒を飲んだことを後悔してもいなければ反省もしていないが、黙っていたい身としては、彼の気持ちを穏やかな物にしておきたい。
「飲み過ぎただけだ。それより、例のワインは見つかったのか?」
聞くまでもなく見つからなかったことは分かっているが、聞かないのもおかしい。
そう思い一応話を振ってみると、ボルスは途端に悲しそうに顔を歪ませてきた。
「それが、どこにもないんだ。聞き込みもしてみたが、誰も不審な者をみていないと言うし・・・・・・。」
「そうか。残念だな・・・・・。」
項垂れたボルスの頭をそっと撫でてやる。
落ち込ませる原因を自分で作っておいて自分で慰めるのもどうかと思うが。
「過ぎてしまったことは諦めろ。その酒は、お前の口に入らなかった運命だったんだよ。」
「・・・・・・パーシヴァルっ!」
いつになく優しいパーシヴァルの様子に感動を覚えたのか、ボルスはいきなり抱きついてきた。
一日二回はかなりきついなぁ、と考えながらも、パーシヴァルは押し倒してくるボルスの背中に自分の腕を回すのだった。
翌日、無くなったワインの事など忘れたように上機嫌になったボルスの背後で、次はどれを飲んでやろうかと画策しているパーシヴァルの姿があったとか。
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