「あ。やべっ!」
放課後、部活に励むために着替えようとYシャツを脱ぎ捨てた所で、宮城の口から小さなうめき声が零れた。それは極々小さなうめき声で、談笑を交わしながら着替えをしていた他の部員達の耳には届かないはずだった。
が。どうやら一人の男の耳には入っていたらしい。頭の上から問いかけが落ちてきた。
「何がやべーんだ?」
その問いかけに、よりにも寄ってこの人に聞かれるとはと内心で舌打ちしながら顔を上げた宮城の視線の先には、タオルを片手に軽く首を傾げている三井の姿があった。
馬鹿にしたような、人の失敗を見付けてからかってやろうとするような色がその瞳に宿っているのだろうと警戒していた宮城だったが、見下ろしてくる瞳には含みの色が何もない。どうやら純粋に宮城のうめき声の意味が知りたいだけのようだ。
一瞬のうちで三井の心情を読み取った宮城は、やや警戒心を解いて素直に返す。
「いや、レンタルしてたビデオが今日までだったんすけど、持ってくんの忘れちまって。」
「うわっ、間抜けなヤローだな。それくらい覚えておけよな。」
心の底から馬鹿にしたようなその声音にはカチンと来たが、怒りは収めておく。
このくらいで怒っていてはこの人と会話出来ないのだ。
「・・・・・・・うるさいなぁ。だから、やべーっつってんじゃないっすか。・・・・・・・・あぁ、どうしようかな。マジで・・・・・・・・・・」
取りあえず毒づきながら考え込む。
部の練習は厳しい。体力はそこそこある方だと思っている宮城だが、それでもやはり一旦家に帰ったあとは出掛けたくないと思うのだ。
「う〜〜〜〜〜〜っ。どうすっかなぁ・・・・・・・・・・」
家に帰った後で返しに行くことは労力的には大したことではないのだが、もの凄く億劫だ。忘れさえしなければ家に帰らなくても良かった事だから、余計に。
うなり声を上げながらTシャツを被ったら、三井に軽い調子で助言された。
「んなの、一日延滞料払えばいいじゃねーか。一日程度なら大したもんでもねーしよ。」
「バイトをしてない高校生にはその数百円の出費が痛いんすよ。」
「・・・・・・・そんなもんかねぇ・・・・・・・・・・」
どうやら金に困ったことは無いらしい三井がしきりに首を捻っている。
金銭感覚の違う人にこれ以上何を言っても無駄だろう。そう思った宮城は、小さく息を吐き出したあと、自分に言い聞かせるように頷いた。
「よし。仕方ないから、帰ってから返しに行くか。」
そう自分の行動を決め、汗を拭くためのタオルを鞄の中から引き抜いた宮城は、気合いを入れるように勢いよくロッカーの戸を閉めた。
金属の固い音を響かせて振り向いた宮城は、既に着替えを終え所在なげにパイプ椅子に座り込んでいる三井に視線を投げた。
そして、そうする事が当たり前のように声をかける。
「んじゃあ、行きますか。」
「おう。」
その言葉に軽く頷き返してくる事から、三井が宮城の準備が終わるのを待っていた事が窺える。別に約束した訳では無いのに。
その事が少し、くすぐったい。
部室を出て当然のように隣に並んで歩く。頭一つ分背の高い三井の顔を見て話をすると首が疲れるから、前を見たまま言葉を交わして。
体育館にたどり着くと、そこにはまだ全員集まっていなかった。部活が始まるまでまだ充分に時間があるから仕方の無いことかも知れないが。
ザッと目を通すと、木暮はいた。だが、赤木が居ない。また補講で遅れるのだろうか。頭の良い人間は大変だ。同じ年でも傍らに立つ男とは大違いだ。
そう思いながらチラリと視線を上向けたら、まるでそのタイミングを狙っていたかのように自分の目線よりも高い位置にある唇がゆっくりと開いた。そして、言葉を発してくる。
「そういやお前、何借りたんだ?」
「え?」
突然の質問に何のことだか一瞬分からなかった宮城だったが、すぐに彼の言わんとしていることを察し、言葉を返した。
「普通の洋画っすよ。予告で気になってたやつが準新作になってたから。」
「・・・・・・・・・・・・ふぅん?」
宮城の言葉に、三井は妙な含みのある笑みを見せてきた。
その顔にイヤな予感が胸に沸き上がる。こんな顔を、悪戯を思いついた子供のような顔をしている時の三井はろくな事を言わないのだ。だから、なんとなく腰が引けた。
「・・・・・・・・・な、なんすか?」
「別にぃ?」
「その顔が何もない顔なわけ無いじゃ無いっすか。とっとと吐いて下さいよ。気持ち悪いから。」
そう突っ込まなければそれで話が終わるだろうと分かっているのに突っ込まないと気が済まない自分に内心で呆れながらそう問いかければ、三井はからかうような笑みを深めてみせた。
「そうかいそうかい。じゃあ聞くが。本当は違うもん借りたんじゃねーの?」
「なんすか、それは。そんなウソついてどうするんすか。」
「それはほら。人に言ったらちょっと恥ずかしい系だったりすればウソの一つや二つつくんじゃねーの?」
「人に言ったら恥ずかしい・・・・・・・・・・・?」
「そ。アダルトビデオとか。」
何故か、三井がその一言を発した時だけ体育館が静かになり、モノが少ないだだっ広い空間に、その言葉が異様なほど良く響き渡った。
思わず周りを見渡せば、体育館の入り口付近で桜木軍団と談笑をしていた晴子は大きく目を見張って頬を真っ赤に染め、桜木軍団は興味津々といった瞳でこちらに視線を向けている。
ボールを出していた石井は何事だと目を見張り、安田と木暮はポカンと口を開けていた。
流川は感情の色を窺わせない表情でこちらをジッと見つめていて、桜木は恐ろしいほどに顔面を朱色に染め上げ、口をワナワナと振るわせていた。と、思ったら、凄い勢いでこちらに駆け寄り、三井の胸ぐらを掴み上げてきた。
「み・・・・・・・・みみみみみみっちーーーーーーーっ!いきなりなんて事を言うのだね、君はっ!!!!!!!」
「はぁ?何を焦ってんだ、お前は。」
「何をじゃないっ!こんな明るい時間に、そんな、晴子さんの前でそんなハレンチな言葉をーーーーーっ!」
面白いぐらいに動揺を丸出しにした桜木が、殴りかかる勢いでそう三井に捲し立てている。だが、そんな叫びを向けられた三井は、少しもその剣幕に怯えた色を見せない。怯えるどころか、桜木の言動に訝しげに眉を寄せて見せる。
「ハレンチって・・・・・・・・・別にそんなん気にする事でもねーだろうが。この場で裏モノの無修正ビデオを流してるわけでもねーし。」
「ミッチーーーーーーーっ!」
真っ赤になって騒ぐ桜木の様子が面白くなってきたのか、三井がワザワザ桜木の動揺を煽るような事を口にし始めた。
「あ〜〜〜〜〜もしかしてお前、アダルトビデオとか見たことねーのか?」
「なっ!何をいきなり、そんなことを、晴子さんの前でっ!」
三井の一言に、桜木はこれ以上赤くならないだろうと思っていた顔をさらに赤らめた。そして周りの。というよりも、晴子の目を気にしてバタバタと手を振ってみせる。
そんな桜木にしなだれかかるように肩に手を回した三井は、顔を桜木の耳元に近づけ、そっと囁く。
「なぁ、桜木。お前、ビデオで抜ける?」
「な・・・・・・・・・・・っ!」
「抜けるだろうなぁ、その様子じゃ。10分と保たねーんじゃねーの?経済的だよなぁ、それって。羨ましいこった。」
桜木の身体にもたれながら小さく首を振った三井は、馬鹿にするような、からかうような笑みを桜木へと向けている。
完全に桜木をおちょくっている三井の態度に、宮城は盛大な溜息を吐いた。さっさと桜木を救出してやらないと、頭に血が昇り過ぎて倒れるかも知れない。そうなると湘北バスケ部としては大きな痛手を受ける事になる。なにしろ紅白戦をするにギリギリの人数しかいないのだから。だから、これ以上桜木が壊れる前に助け船を出してやらねば。 そう考え、宮城は口を開いた。
が、宮城が言葉を発する前に、桜木軍団がワラワラと三井と桜木の周りに集まり、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら語り出した。
「良く分ったな、ミッチーっ!」
「花道はすげーぜー?こらえ性がないからなぁ。」
「良くもまぁ、そんなにって感じだぜ。体力が有り余ってるからな。」
「あの調子で生身の女を相手にしたらどうなることか。心配でならねーよ。」
「てっ・・・・・・・・・・てめーらっ!」
口々にそうコメントを寄越してくる友人達に、桜木は頭から血を吹き出すのでは無いかと思われる位に顔を紅潮させている。そんな反応を返せば返すほど、周りの人間が喜ぶだけだと言うのに。
宮城は深々と息を吐き出した。本気でここら辺で収めておかないと、赤木が来たときに自分まで怒られかねない。何しろ事の発端は自分なのだから。あんな言葉の星で怒られるのは理不尽というものだが。
とは言え、そうなる可能性が無いわけではないので話の矛先を変えてやろうと思った。思ったのに、その前に水戸が口を開いてしまった。
「そう言うミッチーはどうなんだ?」
「あ?俺?」
「そう。やっぱ、ビデオ見てイタしてたりするわけ?」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながらそう問いかけてくる水戸の言葉に、皆の視線が一斉に三井に集まった。その視線をモノともせず、三井がサラリと言ってのける。
「いや、ビデオなんか見ねーよ。」
キッパリと、あっさりと。なんの気負いも照れも無く言ってのける三井の言葉は少々以外だった。怒鳴り返す位の事はすると思っていたから。
意外と冷静な三井の態度に首を傾げていた宮城の目の前で、三井は尚も言葉を続けてきた。
「今更ビデオなんか見てもな。まぁ、内容の馬鹿さとかには笑えるけど。」
その言葉に、水戸の瞳がキラリと光る。
「へぇ。ビデオよりも生身の方が良いって事かい、そりゃ。」
「二択の問題ならな。ってか、俺はもうしばらくその手の事は遠慮してーからな。」
「何?セックスにはもう飽きたってか?」
「まぁな。」
周りの状況が見えていないのか。二人は妙に楽しげにそんな会話を繰り広げている。
そんな会話に縁が無さそうな他の部員達は、ただただ呆然と事の成り行きを見つめることしか出来ない。
その視線をモノともせず、桜木にしなだれかかったままでいる三井がゆっくりと、口を開いた。
「飽きるまでセックスしてーなら、紹介するぜ?そう言う奴。」
「いらねーよ。俺は愛の無いセックスはしたくねーからな。」
「へぇ・・・・・・・・・・・。結構古風なんだな、お前。」
「純情なんだよ。」
「だとよ、桜木。」
何故か三井がそこで桜木に話を振った。
振られた桜木はわけも分からず、三井と水戸の顔を交互に見つめている。
そんな桜木に口角をゆっくりと引き上げた三井が、囁くように問いかけた。
「お前は?」
「・・・・・・・・・・・え?」
「お前は、愛のある奴としか、やる気ねーの?」
「ソ・・・・・・・・・そりゃあ、まぁ・・・・・・・・・・・・・・」
顔を紅潮させながらギクシャクと答えた桜木に、三井がうっすらと微笑みかけた。そして、真っ赤な頭を軽く叩いてから身体を放す。
「ま。頑張れよ。青少年。」
そう言いながら水戸の隣を通り抜け、桜木に対して行ったのと同じように頭を叩いた。そして、固まっていた部員達にいつも浮かべる、ガキっぽい笑みを浮かべて見せた。
「おら。ボケッとしてんな。そろそろ赤木が来るぜ?」
「あっ・・・・・・・・・・・ぅ・・・・・・うすっ!」
部員達がそれぞれに短く答えてワラワラと動きを再開させ、ボールの音が体育館に戻ってきた。その音を聞きながら桜木軍団に視線を向けると、彼等は定位置である入り口へと戻ったところだった。
彼等がまだ顔を赤くしている晴子に何か語りかけている。その中で水戸だけが体育館の中を見つめていた。三井のことを。
その熱い視線に気付いているのかいないのか。三井はまったく気にした様子がない。
「・・・・・・・・わけわかんねぇ・・・・・・・・・・」
二人の間に何かあったのだろうか。いや、あったのだろう。そうじゃないなら、水戸が三井を見つめる視線が強すぎる。
「・・・・・・・・・・まぁ、俺には関係ねーけど。」
喧嘩さえしなければ。
問題さえ起こさないのならば、部活が行えるのだし。
とは言え。
「・・・・・・・・・・・なんでこんな話になったんだか・・・・・・・・・・・・・」
そう零しながら深々と息を吐き出した。
三井の思考はさっぱり分からない。
もしかしたら今日は虫の居所が悪かったのかも知れない。
水戸に絡むくらいだから。
そう呟きながら、宮城はコートの中に入っていった。
二度とビデオは忘れないようにしようと決意しながら。
微妙話。
微妙に「秘めた思い」から繋がってる感じがしないでもない。←自分で書いたのに曖昧なんかいっ!
ブラウザのバックでお戻り下さい。
なんでだろう