いつもより早めに朝練が終わったと思ったら、宮城が部員全員で初詣に行く計画を立てたと言いだした。はなからサボる気満々だった流川はそれを右から左に聞き流し、解散の言葉を合図に体育館から足を踏み出そうとしたが、不意に飛び込んできた彩子の言葉にその動きを止めた。
「じゃあ、リョータは木暮先輩と赤木先輩に連絡して。私は三井先輩のところに言いに行くから。」
彼女の口から飛び出した名前に、流川の瞳がキラリと光った。
そして、でれでれと顔を歪めて頷きながら部室に向う宮城が彩子の元から立ち去ってから、彼女に声をかける。
「・・・・・彩子先輩。」
呟くように名を呼ぶと、そこに流川がいることに気付いていなかったのか、彩子が大きく肩を揺らした。そして慌てて視線をこちらにむけ、どこかホッとしたような顔で問い返してくる。
「・・・・・・・・・ビックリした。全然気配ないんだもの・・・・・・・・・何?流川。」
「昼休み。」
「え?」
あまり滑りの良くない口から単語を一つだけ発したが、それだけでは通じなかったらしい。そう言えば、彼に良く「主語述語動詞を繋げて話せ」と言われていた。最近会っていないから忘れていたが。
だから、もう一度問いかける。
「行くんすか?」
「ああ、三井先輩の所に?行くわよ。それがどうしたの?」
その二言だけで話は通じたらしい。さすがに中学時代からの先輩だ。内心でそう感心しながら流川はもっとも重要な言葉を発する。
「一緒に行っても良いっすか?」
「え?どこに?」
「・・・・・・・・三井先輩の所。」
流川の要求は予想外のことだったらしい。彩子がもとから小さくない瞳を大きく見開き、口をポカンと開けている。
確かに、自分がこんな事を言い出すのはおかしいかも知れない。少なくても、彩子が赤木や木暮のところに行くと言っても一緒に行こうとは思わないのだから。だが、流川には三井の所に行きたい理由があるのだ。これ以上ないくらい、重要な理由が。
強い意志をその瞳に宿しながらジッと彩子の顔を見つめれば、彼女にも流川の意思が伝わったらしい。驚きに固まっていた顔がフッと緩み、小さく頷きを返してきた。
「・・・・・・・良いわよ。一緒に行きましょう。その代わり、流川も先輩に初詣に参加してくれるよう、頼んでよね。」
「ウス。」
要求が通って喜びに打ち震えたが顔には出さず、小さく首を倒して見せた。
そんな流川に、彩子が更に言葉を続けてくる。
「じゃあ、今日の昼休みに入ったらすぐに私の教室に向かえに来て。遅れたら置いてくからね!」
「ウス。ぜってぇ遅れねー。」
力強く頷き、彩子の傍らから立ち去った流川の口元には、自然と笑みが浮かび上がってきた。
久し振りに彼に会える事が、嬉しくて。
流川と連れたって出掛ける彩子の姿に騒ぎ出した宮城をハリセンで黙らせ、彩子は廊下を歩いていた。三井のクラスに向けて。
ウィンターカップの県予選で夏の大会のメンバーがそのまま残っている海南に敗退し、三井は引退する事になった。三年になってから公式戦にぽっと出てスポーツ推薦を取れるなんて甘いことが世の中にあるわけもなく。大学でもバスケを続ける気満々の三井は遅まきながら受験勉強に励むこととなった。
宮城や桜木には「今更やっても遅いだろう」と散々言われていたが、本人はそう思っていないらしい。前々から受験勉強をしていたのだと言う言葉は甚だ怪しかったが、とにかく今はバスケではなく勉強に身を入れていると言うことだ。
なので、三井が体育館に来ることはない。赤木や木暮は帰り際に少し顔を出してくれる事もあるのだが、三井は来ない。彼等よりも余裕が無いから仕方ないのかも知れないが、ホンノ少しその事を寂しく思ってるのは自分だけでは無いはずだ。
彩子はチラリと自分の傍らを歩く男に視線を向けた。
何故自分に付いてくると言いだしたのだろうかと、思って。
流川は基本的に他の人間になど目もくれない。誰が何をしようと我関せずで突き進んでいく。その彼がわざわざ人の後に付いてきてまで三井の元に行こうとしている真意は何なのだろうか。話があるのならば連れたっていかずに一人で赴きそうなのだが。この男は。
大体、流川が三井になんの用があるというのだろうか。三井が引退する前は毎日のように練習後に1On1をしていた二人ではあるけれど、それ以外の接点が思い浮かばない。まさか1On1に誘おうとしている訳ではないだろうかと思ったが、さすがにソレはないだろう。いくら流川でもそんな事はさすがに。誘われても今の三井が応じるとは思えないし。
では何なのだろうか。
考え込んだが、答えは一向に出てこない。他の人よりも長く流川につき合ってはいるが、だからといって流川の思考を理解しているわけではないのだ。
流川と会話があるわけでもないので脳内で色々考えている間に、二人は三年三組までやって来た。
さて、三井はどこだろうかとドアから顔を覗かせた彩子の横を、流川は自分の教室のような顔でさっさと中に侵入していった。
「ちょっ・・・・・・・流川っ!」
いるかどうかも分からないのに、何を勝手なことを、と言おうと思った彩子だったが、流川が迷い無く突き進んでいく場所に見慣れた男の姿を発見し、慌てて後輩の後を追って行く。
突然教室内に侵入してきた長身の一年生に、クラスの者達は驚きに目を見張ったり、黄色い歓声を上げたりしている。だが流川はそんな回りの反応を少しも気にせず、無表情に目的の人物を見つめていた。
その視線か回りの騒ぎに三井もこちらに気付いたのだろう。机の上に広げた参考書に向けていた顔を上向ける。そして流川の存在に気付いた途端、驚きに目を見開いた。
「流川。なんだ、お前。いきなり・・・・・・・・・・・」
「いつ終わる?」
「は?」
「受験。」
短く問われた言葉に、問われた三井のみならず、教室の中にいた者達全員が言葉を失い、室内に妙な静けさが落ちる。
そんな中、彩子は流川の背後で己の額を抑えた。
バスケだけの男だと思ってはいたが、こんな常識的な事柄すら知らなかったのかと、あきれ果てて。
流川の問いに唖然とした顔をしていた三井だったが、すぐにその顔を苦笑に作り替える。
「あ〜〜〜〜、出来ることなら今度の三月までにしてーけどな。もしかしたら再来年になるかもしれねーな。何しろ、スタートした時が遅ぇーからよ。」
ニッと、からかうような瞳でそう返した三井に悲壮感はない。何やら微妙な自信すら窺えるので勉強が上手く行っているのだろうか。それとももう既に諦めモードなのか。彩子が判断つけかねている間に、流川が更に問いかける。
「・・・・・・・・じゃあ、いつ出来んの?」
主語が全く無い問いかけは彩子にも三井のクラスメイトにも分からなかったようだが、問われた三井には分かったらしい。軽く首を傾げながらも言葉を返す。
「あ?バスケか?身体が鈍らないように毎日少しはやってるが・・・・・・・・・・」
「いつ?」
「は?」
「いつやってんの。俺、そんなの聞いてねーぞ。」
三井の言葉に、流川の声が少々尖る。普段の流川を知らない人には分からない程度に。だが、中学の時から付き合いのある彩子にはその微妙な反応が分かり、微かに首を傾げた。
いったい彼は何に対して怒っているのだろうかと。
そんな彩子の疑問には頓着せず、二人は会話を続けていく。
「言ってねーもん。聞いてるわけねーだろうが。大体、俺がやってんのは家帰ってからだぞ。部活してるお前とは出来ねーっての。」
「なら、部活に出ればいい。」
「アホか。俺はもう引退したんだよ。出られるか。」
「取り消せ。」
「ばーか。何訳のわかんねー事いってんだよ。」
駄々をこねるような流川の言葉にからかうような笑みで答えた三井は、そこでようやく彩子の存在に気が付いたらしい。少し驚いたような顔をした後、ニコリと、晴れやかな笑みを向けてきた。
「よお、彩子。お前までどうした?」
ほんの少し会わなかっただけなのに妙な懐かしさにかられた彩子は、一瞬言葉に窮した。だがすぐに己の心を立て直し、三井に負けないように派手に笑顔を浮かべてみせる。
「までって言うか、私の用事で来たんですよ。」
「あん?」
軽く首を傾げて問いかけてくる三井に、彩子は今朝決まった事柄を三井に語った。
赤木と木暮も多分来るだろうと、付け加えて。
「三井先輩も来られますか?」
期待に満ちた眼差しを向けながら問うと、彼は困ったように顔を歪めた後、視線を宙にさまよわせ始めた。
「あ〜〜〜〜。悪ぃ。俺、年末年始は予定入っててよ。」
「え?そうなんですか?」
受験一色に染まっているらしい彼に追い込みとも言う年末年始に予定が入っているとは思ってもいなかったので、素で驚いた。そんな彩子に、三井は申し訳なさそうに、どこか気恥ずかしそうに返す。
「ああ。親の実家にな。二年ばかりろくな事してなかったから、更正したならちゃんと挨拶しに来いって言われててよ。逃げようも無いんだ。悪いな。」
「いえっ、そんなっ!気にしないで下さい。私たちも先輩達の都合も考えずに計画立てちゃったわけですし。」
謝る三井に慌てて手を振った彩子はそこで一旦言葉を切った。そして、ニコリと微笑む。
「三井先輩が参加されないのはちょっと残念ですけど、三井先輩の分まで先輩の合格祈願をしてきますよ。みんなで。」
「おう、サンキュー。そりゃあ、心強いぜ。」
「でしょ?絶対神様だって私たちのお願いを叶えてくれますよ。だから、先輩も勉強頑張って下さいね。」
「ああ。任せろ。俺様は最後まで諦めない男だぜ?」
ニッと口角を引き上げた三井は、ふと何かに気付いたように瞳を宙に向けた。そして、何かを目にして慌ててその場に立ち上がる。
「やっべー!もうこんな時間かよ・・・・・・・おい、お前等飯は?」
「え?まだですけど・・・・・・・・・・」
突然の問いかけにいったい何事だろうかと瞳を瞬く彩子に、三井はどこか得意げな笑みを浮かべた。
「んじゃあ、奢ってやる。学食に残ってるやつに限るけどな。」
「え?でも、そんな。悪いですよ。」
「良いから良いから。おら、流川も。」
「ウス。」
短く答えた流川は、先に立って歩きだした三井の後を素直に付いていった。
そうなると。その場に残された彩子が行うべき行動は決まったようなものだ。
「・・・・・・・・・・まぁ、そう言うならお言葉に甘えますか。」
身体の内側からあふれ出した笑みを抑えることが出来ず、彩子は微笑んだ。
そして小走りに、一般の男性よりもストライドの長い男二人の背を追いかける。
このメンツで食堂に出掛けたら、ものすごく目立つのだろうなと、思いながら。
12月31日の晩。流川は大層に機嫌が悪かった。
いつもは寝ている時間に呼びつけられ、寒い中歩かされているからだ。
全員強制で出掛けようかと言う話になっていた初詣ではあったが、最終的には各々用事があるだろうからと、集合時間厳守の自由参加となった。だが、何故か流川だけが強制参加を言いつけられた。
どれくらい強制参加かと言うと、家に宮城と彩子が向かえにくるくらいの強制っぷりだ。
眠っている所を叩き起こされ、思わず宮城を殴り飛ばして追い返そうとしたのだが、彩子の「あんたは三井先輩に合格して欲しくないのっ!」の一言で渋々ながらも出掛ける事を承諾した。
この間彼が言っていたように今回の受験に失敗されたらたまったものではない。彼が引退してからと言うもの、まともに顔を合わせた事が無いのだ。全て、受験の為に。この状況をあと一年以上も続けられたら自分は確実にキレる。むしろ、あとひと月だって保ちはしない。
別に彼と会って何をしたいわけではない。いや、強いて言えば彼とバスケをしたいのだが、ただその存在を傍らに感じられるだけで満足出来る。そんなささやかな望みすら叶えられない今の状況は、どうにもこうにも耐え難かった。
彩子に引きずられながらそんな事を考えていた流川の耳に、除夜の鐘が聞えてきた。辺りに鳴り響く重く鈍い音は。毎年紅白すら見ないで眠りに付く流川には聞き慣れない音だ。
その鐘の音が鳴り響く中、湘北バスケ部一行は神社の中へと、足を踏みいてていく。
神社の中には既に結構な人が集まっていた。良くもまぁ、こんな夜中にと呆れかえってしまうほど。世の中にはもの好きが多いらしい。年を越えてすぐにお参りしようが、日が昇ってからお参りしようが、一週間後にしようが大した違いは無いだろうに。そもそも、お参りしたところで何が変わるわけではない。そんなモノに頼らないと手に入らない様なモノを求めるのが間違っている。本当に欲しいのなら、無駄な労力をかける前に手に入れられるように努力すればいいのだ。
眠気でボンヤリしながらそんなことを考えていたら、彩子がチラリと、腕時計に目をやった。
「あと、10秒。」
何が、と思ったが、すぐにそれが日付が変わるまでの秒数だと思い至る。
彩子の言葉に、時計を持っている者達が皆チラリと、己の時計に目を向けた。そして、楽しげにカウントを取り始める。
「5.4.3.2.1・・・・・・・・・」
そして、0になった瞬間。
「誕生日オメデトウっ!流川っ!」
全員の声がハモり、どこかでクラッカーの鳴る音がした。
「・・・・・・・・・・・・え?」
何を言われたのか分からずにしばしその場に固まった流川の顔を、彩子がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら覗き込んできた。
「な〜に間抜けな顔してるのよ。忘れてたの、自分の誕生日!」
「・・・・・・・・・ウス。」
カクリと、頷き返す。本当に忘れていたのだ。年を取ろうが取らなかろうがあまり関係無いから。
生まれた日が日だからなのか。家族がそう言う事に興味が無いのか知らないが、流川には誕生日を祝った覚えがない。プレゼントを貰う変わりに毎年お年玉を奮発して貰っている位で。
それに、小さい頃から友達など作った覚えのない流川には、大勢に囲まれて誕生日を祝われた記憶がない。だから突然のこの出来事に、ただただ固まる事しか出来なかった。
そんな流川の動揺っぷりに、回りはあまり気付いていないらしい。
「反応が薄いよなぁ・・・・・・。折角祝ってやってんのによぉ。」
「まぁ、流川が盛大に喜ぶとは思ってなかったけどさ。」
「でももう少し反応が欲しいところだよな。このために集まったっていうのもあるんだし。」
等と言い合いながら苦笑を交わしている。喜んではいないが、盛大に驚いている身としては反応が薄いと言われると大いに心外なのだが、わざわざ宣言するのもおかしいので黙っておく。
「あの、流川君っ!これ、誕生日のプレゼント・・・・・・・・・・・」
顔を真っ赤に染め上げた赤木妹が、何か包みを差し出してきた。
一瞬いつものように「いらねー」と切り捨ててしまおうかと思ったが、傍らから睨み上げてくる彩子の視線でその言葉をグッと飲み込んだ。そして、渋々と差し出されたモノを受け取る。
「・・・・・・・・・・どうも。」
とりあえず、礼は述べながら。何かされたときには礼くらい言えと、日頃から五月蠅く言われているのだ。三井に。
ここで何も言わずに受け取り、赤木妹が変な反応を示そうモノなら桜木が騒ぎ、その騒ぎが三井の耳に入り、後で怒られる羽目になるのもイヤだった。ソレを理由に会えるのならそれでも良いかと思ったが、折角会えたのに説教だけされるのも酌に触る。
そう思って発した言葉なのに、赤木妹はこれ以上無いくらい顔を赤らめ、嬉しそうに微笑んだ。その顔を見て桜木が頭から湯気を出し、食ってかかってこようとしていたが、何故か一緒に初詣にやって来ていた桜木軍団に取り押さえられこちらに向ってくることはない。
そんな桜木の様子に深々と溜息を吐いた赤木が、気を取り直すように視線に力を込めると、部員全員に視線を巡らせた。そして、一言告げる。
「明けましておめでとう。」
それを合図に、皆が口々にその言葉を発し始めた。
その様をボンヤリと見つめていた流川は不意に肩を叩かれ、チラリと視線を向ける。
「ねぇ、流川。」
流川の漆黒の瞳を正面から捕らえた彩子が、軽く首を傾げ、口元を引き上げながら問いかけてくる。
途切れた言葉の先を瞳で促すと、彼女は僅かに瞳を細めながら言葉を発して来た。
「あんたには、自分の誕生日を祝って貰いたい人、いる?」
「祝って貰いたい人?」
「そ。好きな人。今つき合っている人じゃなくてもさ。片思いの人でも。もう16なんだから、一人や二人いるんでしょ?オネイさんに言ってご覧なさいっ!今日は新年であんたの誕生日なんだから。今日から献血だって出来るのよっ!無礼講よ、無礼講っ!」
妙な絡み方をしてくる彩子の言葉にどういう理屈だと突っ込みを入れたくなった流川だったが、突っ込みを入れる前に考え込んだ。
言われて気が付いたのだ。そう言えば、世間一般では誕生日なるものは家族や友人に祝って貰うだけでなく。恋人からも祝って貰う日なのだと言うことを。
むしろ、恋人がいるなら家族や友人より先にソコがくるだろう、と。
なのに、自分の思い人は祝いの言葉すらくれない。なんて薄情なやつなのだろうか、あの人は。妙なところでまめな人だから、日付が変わった途端にメールなり電話なりをしてきそうなモノなのに。
大体、バスケの練習をしている事をつい最近まで自分に黙っていたと言うのは何事だろうか。練習する暇も無いから自分にも会う暇が無いと言っていたくせに。だから用事も無いのに自分の所に来るなと人に釘を刺していたのに。言っていることとやっていることが矛盾しているではないか。
考え始めたら、沸々と怒りが沸いてきた。
「・・・・・・・・・・・ムカツク。」
「え?何が?」
突然の言葉に、彩子が瞳を瞬いた。その瞳は言葉の意味を示せと言っていたが、答えてやらないといけない義務はない。だから流川は顔を歪めて押し黙った。
そんな流川の反応に何か言いたげな顔をした彩子だったが、大きく息を吐き出す事でその言葉を打ち消し、呆れた色が大いに含まれた笑みを浮かべてきた。
「まぁ、良いけどね。ほら、さっさと行きましょ。今年の湘北の全国制覇と、先輩達の大学合格を祈願しにっ!」
「・・・・・・・・・・・ウス。」
明るい彩子の呼びかけに、流川は不承不承ながら頷いた。
誕生日に祝いの言葉一つ寄越してこない人の為にわざわざ祈ってやるのも腹立たしかったが、彼には合格して貰わないと困るから。
賽銭を投げたところで合格出来る学力が突然付くわけでもないから、この行動に意味があるとは思えなかったのだが。
初詣のあと、流川の誕生日を理由に夜明けまで騒いだ湘北バスケ部の現役組は、浜辺で初日の出を拝んだ後ようやく解散した。
眠る隙さえ与えられずにその輪の中に引きずり込まれた流川は、眠気のあまりに頭痛を催した身体をよろけさせながら、なんとか家へとたどり着いた。
重い身体に鞭を打って階段を上り、自室に戻った流川は、着替えもせずにベットの上に倒れ込み、そのまま意識を手放した。そして空腹のあまりに夕方一度目をさまして軽く腹を満たし、近所のバスケコートで軽く汗を流した後夕食を食べ、八時になる前には再び眠りの世界へと飛び込んでいった。
その眠りを遮ったのは、聞き慣れた電子音だった。
眠っていたい時には目覚ましの一つや二つや三つや四つでは起きない流川だったが、この音だけには素早く反応する。暗く深い場所に落ちていた意識が浮上してくる前に手がベットの中から伸びて音の出所をまさぐり、微妙に震えながら精一杯の音を発しているソレを掴み取る。
結構前から所有している機械だったが、反応を示すのは今の所ただ一人に対してだけだ。そもそも流川がコレを持っている事を知っている人間すら少ないのだが、その数少ない人間である家族からの着信もメールの受信も全てサイレントにしているので流川がその場で気付くことは皆無に等しい。
だから、音が鳴っているという事はあの人からの連絡に間違いない。
だから流川は精一杯素早く反応したのだが、半分眠った状態の精一杯などたかが知れている。
「・・・・・・・・・・・・ウス・・・・・・・・・・・・・・」
着信してから通話ボタンを押すまで何分かけたのか分からないが、なんとか自分の携帯を耳に押し当てながら声を発すると、その耳元からこれ以上無いくらい大きな叫び声が響き渡った。
「こらっ、てめーーーっ!何回コールさせれば気が済むんだよっ!」
「・・・・・・・・・・・・・・寝てた。」
なのに反応した自分を褒めて欲しかったのだが、相手はそんな優しい男では無かった。
「ンな事分かってんだよっ。良いから、さっさと下に降りてこいっ!制限時間は一分なっ!」
「・・・・・・・・・・は?」
「い・い・か・らっ!早くしろっ、このノロマっ!!」
耳を劈くような叫び声は携帯に当てている耳と、当てていない方の耳から聞えてきた。
その事に驚き目を見開いた流川は、慌てて窓辺へと駆け寄る。そして、眼下に見知った人影を発見し、さらに瞳を大きく開く。
「・・・・・・・・・・すぐ行くっす。」
それだけ言い、通話を切る。そして、家族が起きるかも、等という気遣いを全くせずに階段を駆け下り、玄関の戸を思い切り良く開いた。
「・・・・・・・・・・三井センパイ・・・・・・・・・・・・」
その明け放たれたドアの前に立っている人の姿を視界に捕らえた流川は、小さく彼の名を呟いた。なんでこんな時間に彼がいるのか分からなくて。
いったいどうしてと瞳で問いかける流川に、三井は優しさの滲み出している笑みを向けてきた。そして、甘さの滲む声で、囁く。
「ハッピーバースデイ。流川。」
そう囁いた途端、三井が一歩前に踏み出して二人の距離を縮め、驚きに固まっている流川の首に己の腕を巻き付けた。そして、そっと唇を寄せてくる。
少し冷たい感触の唇が流川のそれと重なったのと同時に、どこからともなく軽やかな曲が流れ出した。
それは、バスケ以外に興味が無い流川ですら知っている曲。
誕生日を祝う曲。
その曲が鳴りやむまで流川に口づけを与えていた三井は、メロディーが途切れたのを合図にするように唇を放した途端、ニヤリと口角を引き上げた。そして何故か、ガッツポーズを取る。
「よっしゃぁっ!さすが俺様。ナイスタイミングっ!」
「・・・・・・・・・・・は?」
「今のだよ、今の。一応狙っちゃいたが、ここまでタイミングが完璧だと怖ぇよな。なんかもう、今年の幸運を全部使い果たした気分だぜ。こりゃ大学落ちるかもな。」
言いながら、実に嬉しそうに流川の顔を覗き込んできた三井は、先程までの浮かれていた声を消し去り、落ち着いた声音で再度、語りかけてきた。
「誕生日おめでとう、流川。コレで一つ、差が縮まったな。」
「・・・・・・・・・・・センパイ・・・・・・・・・・・・」
「ま、すぐにまたその差は広がるんだけどよ。お前がまだ16ってーのも、なんか不気味だよな。」
クスクスと軽い笑いを立てた三井は、未だに事態が分からずに目を白黒させている流川に向って言葉をかけてくる。
「曲がりなりにもオツキアイしているわけだから?誕生日はその日にちゃんと祝ってやりたかったんだけど、どう考えても一番最初に『オメデトウ』を言える状況じゃ無かったからよ。どうせならその日の一番最後に言おうって決めてたんだよ、俺。」
そこで一旦言葉を切った三井は、一つだけ付け加える。
「ああ、でも、一応年明け早々に祝ってはやったからな。こっそりと。」
「・・・・・・・・・・ウス。」
どう返して良いのか分からず、ただただ頷きを返すことしか出来ないでいる流川に小さく微笑みかけてきた三井は、流川の首に再度腕を巻き付け、ゆっくりと顔を寄せてきた。
未だに驚きから解放されてはいなかったが、先程よりも余裕の出来た流川は自分の身体に寄り添うように近づいてきた細い身体に腕を回し、強く抱きしめる。そして、今度は積極口づけを交わした。
与えているような、与えられているような。いつも以上に甘い口づけに夢中になっていたら、再度電子音が闇の中に響き渡った。
その音に流川の首に回されていた腕を放した三井は、心底イヤそうに顔を歪めて舌打ちすると、尻のポケットにしまってあった携帯を取り出し、耳に当てる。
「もしも〜〜〜〜〜〜し。」
やる気のない応対に、携帯の向こうから甲高い声が響き渡った。それを耳から携帯を放すことでやり過ごした三井は、向こうのテンションが幾分収まったのを見計らってからようやく口を開く。
「うっせーな。誰も戻らないなんて言ってねーだろうが。用事があったから出掛けたんだよ。そう、用事っ!嘘じゃねーって、大事な用があったんだよっ!」
言い訳を聞き入れて貰えないのか、段々キレ気味にそう捲し立てた三井の言葉に、流川の口元にほんのりと笑みが浮かび上がった。
自分の誕生日当日に直接『オメデトウ』と言うことが三井にとって大事な用事だったと聞いて。
恋愛経験に乏しい流川には分かりにくいが、やはり自分は三井に愛されているのだと、勝手に確信する。
「あ〜〜〜も〜〜〜〜っ!分かったよ。今から戻るよ。あぁ?時間?知らねーよ。朝までに戻れば良いんだろ?・・・・・・・・ああ。んじゃぁな。」
どうやら話は付いたらしい。忌々しげに舌打ちしながら通話を切った三井は、ポケットの中に携帯を押し込んでから流川の瞳を仰ぎ見た。
「ってわけだから、俺はまた向こうに行かなくちゃなんねーんだわ。悪いな。時間取れなくて。」
「いや、別に。」
来てくれただけで十分だ。
そんな思いを込めて見つめ返すと、三井はクスリと笑いを零した。
「本当なら秘め始めでもってところだが、まぁ、それは受験が終わってからの話だな。」
「・・・・・・・・ヒメハジメ?」
聞き慣れない単語に問いかければ、三井は驚いたように大きく目を見張った。だがすぐにその顔はからかいの笑みへと変わり、流川の漆黒の瞳を覗き込んでくる。
「知らなかったら知らないでかまわねーさ。大した知識でもねーしよ。」
軽く触れるだけの口づけを言葉の後に寄越してきた三井は、何のことだか分からないと眉間に皺を寄せている流川の頭を軽く叩く。
「んじゃ、俺はもう行くわ。次に会えるのは・・・・新学期か?ま、風邪引いたりすんなよ。」
家の敷地の外へと向う三井の後を追いながら、流川も言って返す。
「それは俺の台詞っす。」
「俺はそんなに柔じゃねーっての。」
まったくもって説得力のない言葉を返してきた三井は、家の前に止められた見知らぬバイクへと近寄ると、慣れた動作で跨った。
「それは?」
「借り物。バイクの方が電車より速くて小回り利いて良いからな。」
ニッと口角を引き上げた三井は、メットを片手に取ると、空いた手の指先で流川の事を呼びつける。何事だろうかと近づくと、いきなり首筋を捕まえられ、噛みつくように口づけられた。
呆然としながらその場に固まった流川の身体を突き放すようにしてどけた三井は、さっさとメットを被り、エンジンキーを回す。
静寂の落ちていた住宅街に唸るようなエンジン音が響き渡る中、メットの向こうの三井の瞳が僅かに細められた。笑みの形に。そして軽く右手を振った後、マシンは飛び出すようにして道路の向こうへと消えていった。
そのマシンのエンジン音が聞えなくなるまでその場で見送っていた流川は、急に吹き付けてきた風に寒さを感じて身体を震わせ、一度小さくくしゃみを落とす。そしてもう一度道の向こうに視線を向け、口元にほんのりと笑みを浮かべた。
つれないけれど優しい年上の恋人の姿を脳裏に描きながら。
,誕生日だからラブラブで。
ブラウザのバックでお戻り下さい。
ハッピーバースデイ