「よおっ!頑張ってるな。」
明るい声が体育館の中に響いた途端、それまで夢中になってボールを追いかけていた部員達の動きがピタリと止った。
「三井サン!どうしたんすか、いきなり。」
その声に一番最初に反応したのは宮城だった。
最後まで残っていた目の上のタンコブの存在を一番邪魔にしていたのは宮城だったが、そのタンコブの引退を一番惜しんでいたのもまた、宮城だったから、それは当たり前の行動かも知れない。
だがやはり、面白くない。キャプテンのくせに練習を放り投げ、当然のように三井の傍らに駆け寄る彼の存在が。
「ぁ?用があるのはお前らじゃねーのか?俺は彩子に呼ばれたから来たんだぜ?絶対来いってよ。」
「へ?アヤちゃん?」
イソイソと集合する部員達の前で、三井と言葉を交わしていた宮城は、彼の言葉に軽く首を傾げ、名前の出た彩子に瞳を向けた。そして、問うように軽く首を傾げてみせる。
そんな宮城の問いかけに、彩子は満足そうに笑みを浮かべて見せた。
「そうよ。晴子ちゃん、アレ持ってきて!」
「ハーイ!」
彩子の指示で小走りに救急セットが置いてある場所に向かった晴子が、スポーツバッグを片手に直ぐさま戻ってきた。
そのバッグを受けとった彩子が、皆の顔を見回しながら意地の悪い笑みを浮かべてみせる。
「さて、皆さん。今日は何の日かしら〜〜〜?」
「今日?・・・・・・・・・・・・あっ!もしかしてっ!」
一瞬だけ考えるように瞳を揺らした宮城だったが、すぐにその顔面に喜色の色を浮かべて見せた。
そんな宮城にニコリと笑い返した彩子がバッグの中に手を突っ込み、小さな包みを一つ、取り出した。
「じゃーーんっ!可愛いマネージャーから愛が溢れるプレゼントでーすっ!」
「うおぉぉぉぉっ!アヤちゃーーーーーーんっ!!!!!!!!」
本気で彩子に惚れているらしい宮城が、目に涙を溜めて喜んでいる。
彩子の手作りなら、あからさまな義理チョコでも嬉しいらしい。なんだかそんな宮城を哀れに思う流川だった。
後輩に哀れみの目で見られているなんて思ってもいないのだろう。宮城は彩子の手から真っ先にチョコを受け取り、綺麗に包装された小箱に頬ずりしていた。
「・・・・・・・・・・・・アホだ・・・・・・・・・・」
思わず本気でそう呟いた流川の傍らでは、晴子の手から渡された物に頬ずりをしている桜木の姿がある。
「・・・・・・・・・ドアホウばっかだ・・・・・・・・・・」
深々と溜息を吐き出した流川は、彩子に強制的に渡された贈り物の扱いに迷いながら、その場に立ちつくしていた。
そんな流川の事などほったらかしにして、三井は彩子と会話を交わしている。
「何だよ、コレのために呼んだのか?」
「そうですよー。先輩ったら、推薦決めたくせにあんまり部活に顔出してくれないんですもの。」
「しょうがねーだろ。色々やることがあるんだからよ。」
ふて腐れたような三井の言葉に、流川は内心で同意を示した。
半ば強引に安西の伝手で決まった推薦入学のため、入学までにクリアしないといけない課題が結構あるらしい。
まずは体力作り。インターハイの時よりもマシになったが、大学で通用する程の体力はまだ付いていない。そのために、毎日ジムに通って筋力トレーニングやら何やらをやっているらしい。
次に学力面。元から馬鹿ではないらしいが、二年間まともに授業を受けていないのであまり成績が宜しくない。だから、一般入試でもそこそこのラインに着ける程度の学力を身につけないとけないいけないらしい。実際の試験は受けないが、既に模試の類は幾つか受け、学校側からオーケーサインを貰ったとかなんだとか言っていた。
勘を忘れないためにバスケもしているらしいのだが、部活に顔を出すとそれに夢中になって他の事が出来ないと言うことで滅多に現われない。そこら辺の事情は、彩子も多少知っていた。だから、あまり強く出られないのだろう。彼女にしては控え目に言葉を発してきた。
「それは分かってますけど。卒業するまではもうちょっと私たちの事も気にかけて下さいよ。」
「分かった分かった、善処するよ。」
「本当ですか?」
戯れるようにそう会話を繰り広げる二人の様子に、ちょっと腹が立った。
だからワザワザ二人の目の前に歩み寄る。そして、短く告げた。
「つき合って。」
「はぁ?」
「練習。」
言いながら、顎でコートを指し示す。その尊大とも言える態度に唖然としていた三井だったが、その顔にはすぐに苦笑がこぼれ落ちた。
「オッケー。つき合ってやるよ。」
そう言うが早いか、三井は直ぐさま学ランを脱ぎ捨てる。
「おっしゃーっ!んじゃ、やるか。宮城っ!」
「・・・・・・・あんた、その格好でやんの?」
Yシャツにスラックス、それに普通の上履きと言った三井の格好に、宮城は呆れたようにそう声をかけた。そんな宮城に、三井は口元を引き上げてみせる。
「全力でやる気ねーもん、すぐ帰るからな。」
「ふぅ〜〜〜ん。まぁ、良いっすけど。着替えなかったこと、後で後悔させてやりますよ。」
「おう。やれるもんならやってみろ。」
不敵な笑みを浮かべる三井の言葉を合図にするように、体育館に熱気が戻った。
いつもよりも楽しげな雰囲気がある、熱気が。
結局最後までつき合った三井は、皆と連れたって部室に足を運んでいた。帰りに飯でも食って帰ろうという事になったのだ。
後輩達が汗に濡れたTシャツを脱ぎ捨てている中、三井はおもむろに口を開いた。
「そー言えば流川。お前に渡すモンがあったんだ。」
その言葉に、上半身裸のままの流川が漆黒の瞳だけを三井の方へと、向けてきた。
「はい、これ。」
放り投げるようにして渡した物は、同じクラスの女に渡された小箱だ。
それが何か認識した途端、部室の中の空気がザワリと揺れた。
「三井サン、あんた、まさか・・・・・・・・・」
「何考えてんだ、馬鹿。預かりモノだよ、預かりモノ。」
何かを恐れるように一歩後退した宮城に、三井は素っ気なくそう返す。そして、手にしたモノをジッと見つめている流川へと、意地悪く笑いかけた。
「俺に頼んでまでお前に渡したいってんだ。よっぽどお前の事が好きなんだろ。受け取るだけ受け取ってやんな。」
そう言いきり、流川の反応を待つ。すると彼は、ムッと顔を顰め、渡された物を三井に突き返してきた。
「・・・・・・いらねぇ。」
「いらなくても貰っとけってんだ。怪しげな手作りじゃなくて市販のものだから安全性が高いし、食いものだからすぐ無くなるし。邪魔にならないモンだから良いだろ、受け取ってもよ。」
「そう言う問題じゃねー。こんなん、迷惑。」
「ああん?」
「俺は自分が好きな奴以外からコウイウの貰う気はないっす。」
「なんだとっ!流川っ!」
流川の冷たい一言に反応したのは三井ではなく、宮城だった。
彼は羽織ったばかりの流川のYシャツの胸ぐらを掴み上げると、噛みつくような勢いで怒鳴りつけてきた。
「ソレじゃあお前はアヤちゃんの事が好きだと言うのかっ!このヤローーっ!」
「・・・・・・・・なんでそうなる。」
「アヤちゃんの手作りチョコを貰っただろうがっ!」
訝しむような顔で宮城に言い返した流川だったが、直ぐさま返された宮城の叫びで合点がいったらしい。一度小さく頷き、宮城に揺るぎない視線を向け直した。
「アレは義理だから良い。気持ち入ってねーし。」
「・・・・・・・・・お前。何も考えてないようで結構考えてんだな・・・・・・・・」
流川の言葉が意外だったのだろう。宮城が呆けたようにそう返した。
そんな宮城の態度に少々ムッとしたらしいが、流川は結局何も言わずに着替えを再開させてしまった。
そんな流川の態度を内心でほくそ笑みながらも、三井はあえてこう告げる。
「お前のポリシーはどうでも良いんだよ。とにかくコレは受け取れ。」
「ぜってーヤダ。」
「なんで?」
「・・・・・・・・人に頼む根性が気にいらねー。」
「んなの、お前相手なんだから仕方ねーんじゃねーの?」
本当の本気で不愉快そうに呟いた流川の態度は頑なだ。
これはもう、何をどう言っても受け取らないだろう。そう判断した三井は、諦めを示すように大きく肩を落として見せた。
「・・・・・・勿体ねぇなぁ・・・・・・・・結構可愛い子だったのに・・・・・・・・」
そんな事少しも思っていないのにワザワザ口にする。そして、行き場を無くした小箱の包装をむしり取った。
「ちょっ・・・・・・・三井サンっ!」
慌てたように宮城が制止の言葉をかけてきたが、あっさりと無視して箱を開けてみると、そこには見るからに高そうなチョコレートが四つ程収まっていた。デパートで一ついくらで売っている奴だ。
今日という日に大量のチョコレートを貰うであろう流川には、量よりも質で勝負をかけたらしい。化粧がケバイ割には頭が回る。
そんな失礼な事を考えながら、三井はその中の一つを己の口の中に放んだ。
「アーーーーっ!三井サン、なんて事をッ・・・・・・・・!」
途端に上がった非難の声に、三井はしかめ面を返す。
「うっせーな。預かったからには始末をつけるのが筋ってモンだろうが。」
「高そうだから食っただけじゃないんスか?」
「ちげーよ。・・・・・おい、流川。かなり美味いぜ、コレ。お前も食ってみろよ。甘いもんは疲れた身体に良いんだぜ?」
「いらねー。」
「ハーン・・・・・・・・頑なだねえぇ・・・・・・・・・・」
そんな頑固さは嫌いではないが。
そう内心で呟きながらもう一つチョコレートを手にした三井は、残り二つが入っている箱を宮城の手の中に押しつけながら座していた椅子から立ち上がった。そして、ゆっくりとした足取りで流川の傍らへと、歩み寄る。
「でも、食ってみろよ。絶対に後悔しないから。」
「しつこい。」
それ以上言ったら殴るぞ言いたげな流川の瞳に薄く笑み返した三井は、手にしていたチョコレートを己の口の中に放り込んだ。そして、自分よりも数センチ高い位置にある目の前の男の首に腕を回してその頭を固定すると、ゆっくりと顔を近づけていった。
「ちょっ・・・・・・・・・・・・三井サンっ!」
三井が何をしようとしているのか気付いたのだろう。慌てたような宮城の声を耳に届いた。その声を聞きながら、驚いたような流川の顔を瞳に入れながら、三井は流川の唇に己の唇を押し当てた。
そして、舌先で流川の歯列を割り、繋がった口内に溶けかけたチョコレートを放り込む。
己の口内で溶けたチョコレートの甘味と苦みの全てを流川の口内に送り込むように、舌で口内を舐めとり、流川の舌に絡みつける。
流川の口内で溶けたチョコレートの甘味が三井の口内にも広がったのを味覚で捕らえ、ホンの少し表情を和らげる。
逃がすまいとするような流川の舌から逃れ、ゆっくりと唇を放す。そして、漆黒の瞳を見つめながらうっすらと瞳を閉じた。
「どうだ?美味かっただろ?」
「・・・・・・・・ウス。」
極々小さな声で、小さな首の動きで同意を示してくる流川に笑いかけた。
「もう一つ食うか?」
「センパイが食わしてくれるなら。」
「二度とやるかよ。ばーかっ!」
くつくつと笑いながら突き刺さる視線の先に顔を向ける。
そこには、驚愕のあまりに瞳と口を開きっぱなしにしている部員達の姿があった。
「お前らもやって欲しいか?」
「・・・・・・・・・誰が。」
冗談めかして問いかければ、苦虫を噛みつぶしたような顔の宮城にそう返された。その答えに軽く肩をすくめた三井は、もう一度椅子へと腰を下ろした。
「おら、とっとと飯くいに行こうぜ。こんなチョコレート一つじゃ腹にたまらねーよ。」
腹にはたまらないが胸には結構たまったかも知れない、などと考えてしまった自分に、苦笑が浮かぶ。
「まぁ、バレンタインだからな。 」
たまにはコウイウのも良いかも知れないと、そう思いながら三井は室内を見回した。大切な後輩を達の目にするために。
某100題ネタから微妙に続いてます。
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甘い口づけ