食いっぷり

「・・・・・・・お前ら、良くそんなに食えるな・・・・・・・・・・」
 部活後に立ち寄ったラーメン屋で、三井は呆然とそう呟いた。
 四人がけの席には桜木、宮城、そして珍しく流川の姿がある。今日は体育館を早めに閉めなければならなかったので、居残り出来なかったのだ。他の部員はさっさと着替えて帰ってしまい、そう広くない部室に残った珍しい顔ぶれに、三井が帰り道でラーメンを食べていこうと誘ったのは、一時間程前の事。何故か当然の事のように三井が奢る事になって、今に至っている。
 別に奢るのは良い。誘ったときに八割方そのつもりだったから。
 が・・・・・・・・・・
「普通、人の奢りで五杯も食うか?」
 目の前の席に座った桜木の食いッぷりに、怒りよりも呆れを多く感じた。
 確かにこの食いっぷりならばあの人間離れした運動力も、高一のくせに身体だけはデカイ事にも頷ける。
「ふぬ?俺はまだまだ食うぞ、ミッチー。何しろ奢りだからなっ!」
 ワハハっと豪快に笑う桜木の脳みそに「遠慮」の文字は無いらしい。三井は深々と息を吐き出した。
 まぁ、良い。余所様の子供よりも貰っている小遣いの額が大きい自覚はあるし、バスケ部に復帰してからその小遣いの大半を使わずに置いてあるから、蓄えは十分にある。一度や二度奢ることなんて屁でもない。
 とは言え、問題はある。それは、本日の財布の中身だ。ぶっちゃけ、今自分の財布にいくら入っているのか、三井には分からない。それくらい分かっておけと突っ込みを入れたいところではあるが、わからないものはしょうがない。確認しようかと思いはしたが、その行動が金の心配をしているようであまり格好が良くない気がして、やる気が失せた。
 まぁ、足りなかったら堀田を呼び出して立て替えさせておけば良いことだ。と、友人に対してかなり失礼な事を考えていた三井は、桜木の横から飛び出た声に深々と息を吐き出した。
「おっちゃんっ!みそラーメン大盛り、もう一杯頂戴っ!」
「・・・・・・宮城、お前もまだ食うのかよ・・・・・・・・・・」
 その小さい身体のどこにそんなスペースが?と、首を傾げる三井に、そんな失礼な事を考えられているとは思っていなであろう宮城がご機嫌に頷き返してきた。
「今日俺んちに親が居ないんで。折角ならしっかり食っておこうと思って。あ、でも、遠慮して高いのは避けてるんですよ?」
「・・・・・・・そうかい。そりゃあ、ありがとよ。」
 でも大盛りか、と内心で突っ込む。自分よりも十六センチも低いのに、体重だって軽いのに、なんで大盛りラーメンを三杯も食えるのだろうか。
 はっきりいって不気味だ。宮城の腹の中にはサナダムシが居るとしか思えない。だから食べても栄養が身体に回らず、成長しないのかも知れない。
 宮城。可哀想な奴・・・・・・・・
 勝手な想像をして勝手に後輩を哀れんでいる三井の横で、三人目の後輩がゆっくりと手を挙げた。
「・・・・・・・てめーもお代わりか、流川。」
 なんだってそう、同じようなものを二杯も三杯も食えるのだと頭を抱えたくなった三井に、流川は軽く首を振った。そして、改めて店主であるおじさんへと漆黒の瞳を向け、ボソリと言葉を漏らす。
「・・・・・・・チャーハン大盛り。」
「・・・・・・・・・お代わりみたいなもんじゃねーかよ。それは。」
 三井の呻くような言葉に、流川の顔が微かに眉間に皺を寄せた。そうだろうかと、考えるように。
 そんな流川の微かな反応を無視して、三井はガクリと肩を落とした。
「なんだっててめーらはそう、次から次へと炭水化物ばっか食うんだよ。バランスが悪いんだよ、バランスが・・・・・・・」
「え?餃子も食べて良いんすか?」
 三井の呻くような言葉に、宮城が嬉々として問い返してくる。そんな宮城に、三井は力無く手を振って見せた。
「あ〜〜も〜〜〜。好きにしろ。五人前でも十人前でも食いたいだけ頼め。」
「ひゃっほーーーっ!三井サンったら、太っ腹っ!俺、惚れちゃいそうだわっ!」
「・・・・・・・・そいつはどうも。」
 こんなことで惚れられても少しも嬉しくないので、おざなりに答える。宮城だって真剣に言っていないだろうから。
 そんな宮城が、早速餃子を五人前注文している姿を視界に収めた三井は、チラリと、テーブルの上に視線を移した。
 そこには、無数のラーメンどんぶりが積み上げられている。その殆どが、後輩達が食したものだ。
 後輩達が次々と追加注文をしていく中、三井は最初に注文したチャーシュー麺しか食していない。はっきりって、それ以上食う気は三人の食べっぷりを見ている内に失せた。彼等の食す姿を見ているだけで、胸焼けを起こしそうになる。
 今、三井の目の前にあるのは、水の入ったグラスのみ。その水すらも、今は飲む気がしない。
 そんな三井の様子に気付いたのだろう。宮城が運ばれたラーメンどんぶりの中身にがっつきながら問いかけてきた。
「どうしたんすか?三井サン。全然食べて無いみたいッすけど。」
「おう、そうだぞー。ミッチー。ミッチーももっと食べなさい。じゃないと、また疲れて倒れるぞ?」
「うるせーよっ。俺は普通に食ってる。お前らが食い過ぎなんだよっ!」
 噛みつくように答えてやれば、宮城と桜木が互いに顔を見合わせた。そして、飽きれたように深々と息を吐き出してみせる。
「イヤイヤ。違うッすよ、三井サン。スポーツマンたるもの、通常以上に食わないとやってけねーんすよ。」
「そうだぞ、ミッチー。この天才を見習ってもっと食したまえ。じゃないと、いつまでたってもガリガリだぞ?」
「俺はガリガリじゃねーっての。ついてるところには付いてるよっ!」
「でも、俺よりも身体薄いっすよ、三井サン。」
「うっ・・・・・・・・・・・」
 宮城に痛いところをつかれて押し黙る。決して貧弱ではないが、そう言われてしまっては言い返せない。それは、毎日のように彼の身体を見て確認している事だから。スタミナも、宮城よりも全然劣っているのを自覚しているだけに反論することなど出来やしない。
 だが、ここで引くわけにはいかない。ここで引いたら彼等のような馬鹿食いをする事を義務づけられかねない。そんなことになったら、自分の繊細な胃袋は早々に壊れてしまうだろう。彼等のような無茶を己の身体に強いたら、絶対に体調を崩す。それは火を見るより明らかな事だ。だから何か言い返そうと口を開いたところで、横から口を挟まれた。
「別に、良いんじゃないっすか?」
 突然発せられた流川の言葉に、その場にいた全員が揃って流川の顔を凝視する。
 その瞳をものともせず、先程運ばれてきたばかりの餃子を一口口に入れ、咀嚼してから流川は再度口を開いてきた。
「センパイは今のままで、良いと思うッす。」
「・・・・・・・・・流川・・・・・・・・・」
 まさかこの男に擁護されるとは思っていなかっただけに、かなり感動した。
 が、その感動は呆気なく吹き飛んだ。次に流川の口から発せられた一言で。
「今のままでも、充分良い抱きごこ・・・・・・・・・・・」
「何言い出すんだっ、お前はっ!」
 言葉と共に、力一杯引っぱたく。
 まったく。この男は油断も隙もない。サラリと恐ろしいことを言ってくる。
 妙な疲れを感じて肩で息をする三井に非難の色を多分に込めた瞳で見つめてくる流川に、三井は負けじとにらみ返した。
 その妙な緊張感が漂う空間を、宮城の声が切り裂いてくる。
「まぁ、確かに筋肉隆々の三井サンは想像しただけでもキモイけどな。」
「キモイとはなんだ、キモイとは。失礼な奴だな。」
 宮城の言い様にも腹が立って、三井は直ぐさま言い返す。その三井の言葉を無視して、桜木が盛大に頷いていた。
「確かにな。試合の後半にヨロヨロしてないミッチーはミッチーじゃねーしな。」
「・・・・・・・・・てめぇら。マジ死にてーらしいな。あぁ?」
 コレはどう考えても馬鹿にされている。ここらで一度締めておかないといけないだろう。そう考えて席を立った三井の隣から、平坦な声がかけられた。
「センパイ。」
「あん?」
 律儀に反応をしめして流川の顔を見下ろす。すると彼は、割り箸で餃子を一切れ摘み上げ、三井の方へと差し出してきた。
「美味いっす。」
「・・・・・・・・・・・は?」
「食って。」
「・・・・・・・・なんで?」
「美味いから。」
 しばし立ち上がったままの姿勢で睨み合う。ここで「なんで」と聞いても同じ言葉が返ってきそうだ。多分、「イヤダ」と言っても同じ事だろう。
 壊れたレコーダーか、お前は。と内心で毒づく。同じ言葉しか繰り返せないなんて、九官鳥と同じだ。そんな事を考えながら、三井は流川の顔をジッと見つめた。
 多くを語らない口よりも、向けられた漆黒の瞳の方が雄弁だ。
 食が細いから体力が付かないのだ。体力がないと居残りに付き合えない。自分との時間が減る。それはイヤダから体力をつけろ。そのために食え。
 そう語っている。多分。
 三井は深々と息を吐き出した。そして、渋々と椅子に腰を下ろし、流川の方へと顔を向け直す。
「分かったよ。食えば良いんだろ、食えば。」
「うす。」
 漆黒の瞳が嬉しげにキラリと光ったのを眺めながら、口を大きく開ける。それを待っていたかのように直ぐさま放り込まれた餃子を咀嚼すれば、それは確かに美味かった。
 できたてだから余計にそう思うのだろうが。
「もう一つ食う?」
「いや、いらねー。残りはお前らで食えよ。」
 軽く手を振ってそう告げたところで、はたと気が付いた。自分達に突き刺さる視線に。それは、そう広くはない店中から集まっていたが、より強力なものは目の前の二人から発せられている。
 三井は冷や汗を垂らしながら、恐る恐るそちらの方を見やった。そこには、思っていたとおり驚愕したように大きく瞳と口を開いている後輩の二人の姿が。
「・・・・・・・・三井サン。あんたって人は・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・んだよ。」
「流川にまで世話を焼かせるなんて・・・・・・・・・・・・ホント、魔性の男っすね。」
「なんだ、そのふざけた呼び方はっ!」
「いや、あんたにピッタリ。堀田達もそんなあんたにやられたんだな、きっと。」
 うんうんと一人で納得したように頷く宮城の横で、今度は桜木が身を乗り出してきた。
「いかんぞ、ミッチー!流川なんぞに関わったら、あの流川軍団の闇討ちに合うかもしれん。さっさと別れたまえっ!」
「はぁ?何言ってんだ、お前は・・・・・・・・・・。そんなことよりも、さっさと餃子を食っちまえよ。温かい方が美味いぞ?」
「・・・・・・・・・・ふぬ。」
 どうやらその提案は魅力的だったらしい。気持ちがぐらついたらしい桜木の様子を見て、三井の脳裏に名案がうかんだ。
 直ぐさま割り箸を手にした三井は、皿の上から餃子を一つ摘み上げると、ソレを桜木の方へと差し出した。
「ホラ、食ってみろよ。美味いぜ?」
「そうかそうか。そこまで言うなら食ってやろう。」
 嬉しそうに、どこか偉そうにそう返してきた桜木が、嬉々として差し出された餃子を口にした。三井の差し出す箸から直接。
 ソレを見て、宮城が呆れたように溜息を吐いた。そんな宮城に、三井は声をかける。
「お前も食わせて欲しいか?」
「遠慮しておきますよ。」
 呆れたような口調でそう返した宮城は、自分で餃子を食べ始める。食物に意識が戻った桜木と、争うようにして。
 店中から集まっていた視線もそれに合わせてスッと無くなった。その事にほっと息を漏らす。そして、隣から恨みがましい瞳で見つめてくる流川に軽く笑いかけた。
「おら、お前も食え。美味いんだろ?」
 悪戯めいた笑みを向けてやれば、流川は小さく舌打ちをした。だが、すぐに餃子争奪戦へと加わる。
 取っ組み合いをし始めそうな彼等の姿を傍らから見つめながら、三井は笑みを零した。
 なんとなく、幸せだなと。そう思って。




























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