「・・・・・・・・・・・どうします?」
「どうもこうも、起こさないとねぇ・・・・・・・・・」
「どうやってですか?」
「・・・・・・・・・声をかけるとか。」
「・・・・・・・・・そんなんで起きたら苦労しないっす。」
「そんな奴、一発殴れば良いだろ。リョーちん!」
「桜木。なんでもかんでも暴力で片づけようとするのはいけないよ。」
「ふぬっ!」
「さて。どうしようか・・・・・・・・・」
 そう木暮が呟き、その場に集まった者は深く考え込んだ。
 時間は放課後。場所はバスケ部の部室の中。
 これから張り切って練習しようと集まった部員の前で、一人の男が深く眠り込んでいた。
 その名も流川楓。
 三年寝太郎とも、居眠り大魔王とも言われる男だ。
 その男が、部員が集まりざわめき始めた部室の中で静かに眠りこけている。こんなざわついた環境の中で良くもまぁ目を覚まさないモノだと感心する程その眠りは深い。
 それよりも何よりも、いったいいつからココで眠りこけているのかも気になるところだ。
 一番最初に宮城が部室に足を踏み入れたときには既に、部室に置かれたパイプ椅子に深く腰をかける体勢で眠り込んでいたのだから。
「赤木が居たら一喝で起こしてくれるんだろうけど・・・・・・・・・今日に限って補講だからなぁ・・・・・」
「だったら、ゴリと同じ三年のメガネ君が怒鳴って起こせば良いんじゃないか?」
「そうっすね。桜木が起こすよりもその方が穏便に行きそうだ。頼んます。木暮さん。」
「いやぁ・・・・・・・・・俺が声をかけたくらいじゃ、流川は起きないと・・・・・・・」
「何を気弱な事を言っているんだね、メガネ君!」
「そうっすよ!最上級生の威厳を見せてやって下さいよ!」
「ううっ・・・・・・・・・」
 お願いしますと口々に騒ぐ下級生達の言葉に、木暮は腰を引いた。
 だが、逃げ場は無いと気付いたのだろう。深々と溜息を吐いた後、眠りこける流川に近づき、その肩に手をかけてゆっくりと揺さぶった。
「・・・・・・・流川。もう部活の時間だぞ。いい加減起きろ。」
 しかし、その言葉に流川はピクリとも反応を示さない。
 そんな流川の態度に、木暮は自分の言葉に影響力が無いのかとガクリと肩を落としてしまった。
 その内心に気が付いた宮城は、慌ててフォローの言葉をかける。
「気にする事無いっすよ。こいつが傍若無人過ぎるんすから!」
「そうそう。メガネ君の言葉を無視するなんて、不届きものだな、このキツネヤローは。」
「・・・・・・・・ありがとう、みんな。気を使ってくれて・・・・・・・・・・・」
 ほんのちょっぴり目に涙を溜めた木暮がそう言葉を漏らした部室の中に、なんとも言えないほろ苦さが漂った。そして、妙な一体感を感じる。
 そんな空気を打ち破るように、突如部室のドアが押し開かれた。
「ちゅーーーーす。」
 その声に、その場にいた部員全員が一斉に部室に足を踏みいれた男へと視線を向ける。
「な・・・・・・・・なんだよ・・・・・・・・・・・」
 その視線にたじろぐように、男−−−−三井は僅かに後ずさった。
 一瞬赤木が来たのかと期待したのだが、この状況で三井が加わってもさほど状況に変化は無い。そう判断した宮城は、深々と息を吐き出しながら力無く呟き返した。
「・・・・・別に、何もないっすよ。」
「何もないのに、人の事をみんなで見んのかよ。」
 ハブにされたと思ったのか。はたまた皆で自分の悪口を言っていたと思ったのか。それとも宮城の口の利き方に腹を立てたのか。三井はムッと顔を歪ませる。
 その表情の変化を見た宮城は、小さく溜息を漏らした。
 眠りこける流川を起こすのも一苦労だが、怒りに任せて怒鳴り出した三井を宥めるのもまた面倒くさい事なのだ。
 だから、さっさと言葉を返しておく。
「流川のヤローが声をかけても揺すっても起きないからどうしようかって、考えてただけっすよ。」
「そんなもん、一発殴れば起きるんじゃねーの?」
 事も無げに言い放つ三井の言葉に、宮城も木暮もその他の部員も溜息を吐いた。
 桜木以外は。
「やはりそう思うか。ミッチー。」
「ああ。優しく起こしてやろうなんて甘い事を考えてるから手間がかかるんだろ。怒鳴って椅子から蹴落としゃ、いくらそいつでも起きんだろ。」
 賛同者を得て機嫌が良くなった桜木が嬉々として言葉をかければ、三井は大きく頷き返す。そのやり取りに、宮城はまたも深々と息を吐き出した。
「・・・・・・・・・それで暴れられたら厄介じゃないっすか。」
「こんな所で寝こけてるこいつが悪いんだろ。自業自得だ。」
 サラリと言い切った三井は、それ以上会話をするつもりが無いと全身で示しながらさっさと着替えに取りかかる。
 シャツを脱いでTシャツに着替えてからスラックスを脱ぎ、ハーフパンツを履いて、足にサポーターを巻く。
 鞄からタオルを取り出してチャックを閉め、用の無くなった鞄をロッカーの中に放り込むんで扉を閉めた三井は、体育館に行こうと足を動かしドアへと向った。
 だが、その足は途中でピタリと止まり、ゆっくりと振り返る。
「・・・・・・・んだよ。お前ら。」
 苛立たしげな声を、視線を部室内に振りまきながら、三井は言葉を続けた。
「俺にどうしろって言うんだよ。」
 その三井に、宮城は真剣そのものの目つきで言い返す。
「なんか案を出して下さいよ。ずるがしこい事考えるの、得意でしょ。」
「・・・・・・・・てめぇ。なんだ、その言い草は。」
 宮城の言葉に三井の瞳はギリリとつり上がった。
 二年間の不良生活の成果で、その表情はなかなかに怖い。
 だが、宮城も負けていなかった。
 視線を反らしたら負けだと言わんばかりに三井の顔を睨み付ける。
 しばし、部室の中に緊迫した空気が流れた。周りで見守る者達も、息を飲んで事の成り行きを見守っている。
 先に根負けしたのは三井だった。いや、根負けしたのではなく、さっさと部活をしたかっただけかも知れないが。
「・・・・・・・・分かったよ。起こせば良いんだろ、起こせば。俺が起こしてやるよ。」
「本当っすか?」
「ああ。いつまでも下らない事に時間をかけてらんねーからな。」
 深々と、何やら疲れを滲ませた溜息を吐いた三井は、部員達が見守る中、眠りこける流川の方へと、足を踏み出した。
 そう広くない部室なので、数歩歩けば目的地に辿り付く。流川の傍らで足を止めた三井は、眠りこける流川の顔を見つめながら、彼の左肩に手を乗せた。
 揺さぶったくらいじゃ、起きませんよ?
 そう内心で語りかけた宮城の目の前で、三井は己の顔をゆっくりと、流川の首筋へと下ろしていく。
 いったい何をする気なのだろうかと息を殺して見守る部員達の耳に、三井の甘い囁き声が聞えてきた。
「・・・・・・・・・流川。いい加減起きねーと、襲うぜ?」
 途端。
 流川の全身がビクリと跳ねた。そして、勢い余って椅子から転げ落ちる。
「流川っ!!」
 そのあまりにも派手なアクションに驚いて駆け寄ると、流川はその目を大きく見開きながら床の上にひっくり返り、言葉を吹き込まれた左耳を手の平で覆っていた。
 何やら顔が上気しているように見えるのは、気のせいだろうか。
 そんな流川の姿をタダ一人ニヤニヤと意地の悪い笑みで見つめていた三井が、言葉を発してきた。
「起こしたぜ?これで良いのか?」
「え?あ、はい・・・・・・・・・・・・」
「じゃあ、俺は先に行ってるからな。おめーらもさっさと来いよ。」
 それだけ言い置いて、三井はさっさと部室から出て行ってしまった。
 その後ろ姿を呆然と見送っていた部員達だったが、すぐにハッと意識を引き戻す。
「大丈夫か、流川。怪我とか、どっか痛いところとかあるか?」
「・・・・・・・・・いえ。別に何も・・・・・・・・・・・」
 木暮の問いに、流川は小さく首を振る。
 手の平で、耳を押さえたまま。
「・・・・・・・・今・・・・・・・・・・・・」
「あ、ああ。三井サンだよ。お前を起こしてくれって言ったら、妙な言葉を囁きやがった。ったく、あの人はいったい何を考えて・・・・・・・・・・・・」
「舐められた。」
「へ?」
「耳。」
 その言葉に、部室にイヤな沈黙が落ちる。
 妙な寒々しさと緊張感が漂う沈黙が。
 その空気に気付いているのかいないのか。流川が尚も続けてくる。
「しかも・・・・・・・・・」
「しかも?」
「・・・・・・・・囓られた。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・マジ?」
 宮城の問いに、流川はコクンと首を倒してみせる。
 室内に満ちた沈黙に、更に妙な空気が混ざった。
 その空気を全身で感じ取りながら、宮城は内心で溜息を吐き出した。
 あの人はいったい何を考えているのだろうかと、そう思って。
 普通、部の後輩を。しかも同性の奴を起こす為に、あんな言葉を囁いたり、耳を舐めたり囓ったりはしないだろうに。
 まぁ、確かに居眠り大魔王と呼ばれている流川が一発で起きたのだから、その突飛な行動に感謝しないといけないのだろうが。
「・・・・・・・・・・じゃあ、流川が起きた事だし。俺たちも体育館に行くぞ。流川もだ。ほら、早く着替えた着替えた。」
 木暮にせかされ、皆どこか呆然としながらもぞろぞろと部室から出て行く。素早く着替えを終わらせた流川も、皆から少し遅れて付いていった。
 なんとなく流川の着替えを待っていた宮城は、彼の後を歩くようにして体育館へと向う。
 チラリと流川の様子を窺うと、彼は未だに舐められて囓られたらしい左耳を己の手の平で覆っていた。いったいどんな舐め方をされたのか、少々気になる。そんな宮城の耳に、流川の呟きが聞えてきた。
「・・・・・・・ビックリした・・・・・・・・・・・・」
 それはそうだろうと、内心で頷く。独り言だったようだから返事を返さずに。
 自分もあんな事をされたら一発で目が覚めるだろう。三井にそんな事を言えば、経験が無いからだろうとか経験値不足じゃねーのとか言って馬鹿にされるだろうから言わないが。
 それにしても、あんな起こし方をすぐに思いつく三井の思考に首を傾げる。自分には絶対に思いつかないだろうから。もし仮に考えついたとしても、実行に移したいとは思わない。
 自分よりデカイこの後輩の耳を舐めたり囓ったりするなどと言う事は。例え人並み以上に整った顔をしているとは言え、流川は所詮男なのだから。
 良くもまぁ。なんの抵抗も無くあっっさりとしてのけるモノだと、妙な感心をしてしまう。人に嫌がらせをする事に命を賭けているとしか思えない。
「・・・・・・・・・怖い人だ。」
 色々な意味で。
 大好きなはずのバスケ部を本気で廃部に追い込もうとしていた事だし。
 並みの精神構造では無いのは確かな事だ。
 あの人だけは本気で怒らせないようにしよう。そう胸の内で呟く。
 呟きながら、宮城は流川の背中を軽く叩いた。励ますように。
「これに懲りたら、寝る場所と時間は考えろよ?」
「うす。」
 コクリと頷く流川は、未だに耳を手の平で覆っている。
 余程ショックを受けたのだろう。少々同情を感じてしまった。
 だから、さらに言葉をかけてやる。少しでも流川の気持ちが浮上するために。
「まぁ、さっきの事は犬に噛まれたと思って綺麗さっぱり忘れて部活に励んでいこうぜ。」
「・・・・・・・・・別に・・・・・・・・・」
「あ?」
「イヤじゃ無かったすけど。」
 まさかそんな答えが返って来るとは思っていなかった宮城は、一瞬返答に困ってしまった。そして、いくら考えても良さそうな言葉が浮かんでこない。
「・・・・・・・・・・・そうか・・・・・・・・・・・」
 なんと言って良いのか分からず、結局そんないい加減な言葉を返した。
 三井も三井だが、流川も流川だ。理解出来ない。
「・・・・・・・まぁ、とにかく今は部活に専念だぞ。流川。」
「うす。」
 頷く流川の背中を力を込めて叩いた。
 流川の為にと言うよりも、自分のために。
 なんだか妙な衝撃を受けている自分の心に気付きたくなくて。
 宮城はことさら明るい声を出して流川に話かけ続けたのだった。





























男心は複雑で。





               




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