正規の部活が終わった後、いつものように流川が歩み寄ってきた。そして、いつものように軽くボールを差し出してくる。
「1On1、お願いします。」
「おう。」
いつもの台詞にいつものように軽く返した三井は、モップがけが終わったばかりの綺麗なコートに足を踏みいれようとした。だがその動きは、背後から伸びてきた流川の手によって手首を捕らえられた事で押しとどめられる。
「・・・・・なんだよ。」
いつもと違うその反応に眉間に皺を寄せながら問いかけると、流川は感情の色が窺えない瞳でじっと見つめ返してきた。
そして、ボソリと言葉を落とす。
「賭け、しませんか?」
「賭け?」
「ウス。」
唐突な提案に軽く首を傾げれば、流川はカクリと首を倒してきた。
いつもと違う二人のやり取りに帰りかけていた部員達の足が止まり、不思議そうにコートの中を見つめてくる。その視線をまったく気にした様子も無く、流川は言葉を続けてきた。
「一本勝負で、負けた方が勝った方の言うことを一つ聞く。」
どうだ、と問うように流川が微かに首を傾げた。心なしか瞳は不安そうに揺れている。その瞳を見つめながら、三井はしばし考え込んだ。流川が何を求めてそんなことを言い出したのか、その真意を探るために。
バスケと寝ることで脳みその殆どがしめられている流川のことだ。そうたいした要求はしてこないだろう。金銭が関わるようなことは絶対にあり得ない。たぶん、この身一つで解決出来る範囲の要求だろう。その要求も、突拍子もない事ではないと思う。所詮は流川の考えることだ。多分、自分の想像の範囲内だろうと、三井は思う。それでもしばし迷う。簡単に言うことを聞いてやるなんて優しいマネはしたくないから。
一度視線を流川から反らしてチラリと周りを眺め見てみれば、部員達が興味津々といった顔で見つめている。ここで断ったら最上級生としての面目が立たないだろう。
三井は大きく頷いた。そして、再度流川の漆黒の瞳を見つめる。
「良いぜ。乗ってやるよ、その勝負に。攻守の交代はあるのか?」
「いえ、無しでお願いします。」
「じゃあ、お前がオフェンスな。」
自分から勝負を挑んでおいてディフェンスに回ることはしないだろうと判断し先にそう告げた三井は、ゆっくりとした足取りでコートの中を進んでいった。
ゴールの近くまで歩いていった三井は、ゴールを背にするようにクルリと向きを変え、軽く腰を落としてニヤリと笑む。
「・・・・・来いよ。」
その言葉に頷くように小さく首を動かした流川は、手にしたボールでドリブルを始めた。
流川が何を狙っているのか知らないが、簡単に負けてやる気はない。実力的には流川の方が上ではあるが、短い時間にディフェンス一本だけならば自分にも勝機がある。一本勝負ならばいつも以上にこの一本に集中することが出来るし、体力の温存を考えないで全力で立ち向かえるから。
三井は、流川を見つめる瞳に力を込めた。僅かな動きも見逃さないように。
いつにない程体育館に緊張が落ちた。見守っている部員全員が息を殺して勝負の行方を見守っている。広い体育館に響くのは、二人のバッシュが床を鳴らす音と、ボールの音。
毎日のように繰り返されている二人の戦いを部員がちゃんと見たことは今まで無かった。一番最初のやり合いを、宮城と桜木と彩子が見ていた位で。
数ヶ月振りに目の当たりにした二人の戦いを、宮城は呼吸をするのも忘れる程に見入っていた。
「二人とも、あんときよりも上手くなってんじゃねーのか?」
思わず言葉が零れた。
流川は分かる。彼はまだまだ成長するだろうと思っていたから。身長だってまだ伸びているし、十年に一人と言われる程の逸材だ。上手くなっていても驚きはしない。その流川の動きをきっちりと抑えている三井に、宮城は驚きを隠せない。
元々上手い人だった。二年物ブランクがあったのに、それを感じさせるのは体力面だけだったくらいだ。しかも、試合を一つこなす事に腕が上がっていた。試合の勘を取り戻したのかも知れない。体力が無く、コートの上でへばっていても妙に頼ってしまったりもした。でも、年が年だ。それ以上の成長はないだろうと思っていた。
思っていたのだが・・・・・・・・・・・
「抑えてんじゃねーか。しっかりよぉ・・・・・・・・・・」
すげーなと、内心で呟く。そして、彼が残ってくれて良かったと心の底から思い、ホッと息を吐き出した。
正直、今の一・二年だけで冬の選抜を目指すのは厳しい。点を取れるのが流川一人だから。いくら流川でも、多人数に囲まれれば動きも鈍る。桜木はまだ本調子じゃないから負担をかけられない。二人を潰されたら、打つ手がない。悪いが、他のメンバーで海南や翔陽にあたったら完敗もいいところだろう。
だが、三井が居る。三井にマークを付けない馬鹿な学校はないだろうから、その分流川のマークも薄くなる。厚いままでも、流川と三井に人員を割かれた状態なら他のメンバーだってそれなりの仕事が出来るだろう。ゲームの組み立てがしやすくなると言うものだ。
それだけじゃない。口は悪いし態度もでかいし先輩風を吹かせたりするが、三井は部員の指導もちゃんとしてくれる。流川の相手もしてくれる。彼が居なかったら自分は激しくてんぱっていただろうと思う。アレもコレもと考えて、何も出来なくなっていただろう。だから、密かに感謝の念を送っていた。面と向かっては言えないけれど。
「・・・・・・・・あぁっ!」
勝負を見守る部員達の間から、悲鳴のような声が飛び出した。
フェイントをかけた流川が、三井の横をすり抜けようとしたのだ。
「させるかっ!」
ファール覚悟で手を伸ばした三井だったが、その動きを予測していたのか、流川はギリギリのところでその手を逃れ、バランスを欠いた状態でボールを宙に放り投げた。
ボールはリングにぶつかり、ゴロゴロとリングの上を周り続ける。そのボールが皆の見守る中、バサリと音をたててネットを通過していった。
「おおっ!」
「スげぇ・・・・・・・・」
「さっすが流川。あの体勢で決めやがった・・・・・・・・・」
静まり返っていた体育館に、部員達のどよめきの声が響き渡る。そんな中、ぺたりと床に腰を下ろしながら荒い息を吐いていた三井の口から、悔しげな声が漏れた。
「・・・・・・・くそっ!絶対止められると思ったのに・・・・・・・・」
「まだまだ甘いっす。」
「てめーに言われたくねーってのっ!」
転がったボールを手に取り、三井の傍らまで歩み寄ってきた流川が吐いた言葉に、三井は荒い息を吐きながらも激しく食ってかかった。そんな三井の態度に少々呆れたような顔をした流川は、右手を三井へと差し出した。捕まって立てと言うように。
宮城はそんな流川の気遣いに少々どころかかなり驚き、目を見張った。宮城だけでなく、その様を見ていた部員全員が。
だが、手を差し伸べられた三井本人は少しも驚いていないらしい。平然としたものだった。もしかしたら、それは1On1が終わった後には良くある事なのかも知れない。
そんなことを考えていた宮城の耳に、微かに苛立ちを含んだ声が聞えてきた。
「俺はまだ疲れてんのっ!」
偉そうにそう告げながら、三井は差し出された流川の手を軽く払う。 そんな三井の態度に、流川の眉間に深い皺が刻まれた。剣呑な空気に、これはもしかしたら殴り合いになるのだろうかと思ったが、その考えは杞憂に終わった。流川はそれ以上の反応も見せず、おもむろに三井の目の前にしゃがみ込んだ。その行動には三井も驚いたようだ。大きな目を見開いて瞬きを繰り返している。
「なに・・・・・・」
「勝負の景品。」
「あ?」
「くれ。」
言葉短に要求してくる流川の意思はくみ取りにくいが、どうやら三井に言うことを聞けと言っているようだ。三井も言葉の意味に気づいたのだろう。イヤそうに息を吐き出した後、仕方なさそうに頷いた。
「分かったよ。何でもしてやるよ。何がして欲しいんだ?」
男らしくキッパリと言い切る三井の言葉で、皆の視線が流川へと集まった。自分から言いだしたのだから、三井にして貰いたいことがあったのだろう。いや、もしかしたら三井の持っている物で欲しい物があるのかも知れないが、なんとなくそれは無いような気がした。流川に物欲なんてものが無さそうなので。だから、三井に何かの行動を求めるのだろうと、宮城は勝手に判断した。
一体何をして貰いたくて勝負をふっかけたのだろうか。バスケと睡眠以外の欲求が無さそうな流川だけに、皆興味を引かれて流川の動向を窺った。
部員が見守る中、流川がおもむろに口を開く。
「キスして下さい。」
その端的な一言で、体育館はシンと静まりかえった。言われた三井はポカンと、アホのように口を大きく開けて流川の顔を凝視している。
「・・・・・・・・・・・・は?」
「キス。」
「・・・・・・・・・・・誰に?」
「俺に。」
「誰が?」
「センパイが。」
キッパリと告げられた言葉に、三井は固まったまま動き出すことが出来ずにいる。三井だけでなく、宮城や他の部員達も。
いきなり何を言い出すのだろうか、この男は。彩子や晴子ならまだしも、なんでゴツイ身体の男にそんな要求を。
皆の脳裏にそんな言葉が駆けめぐったことだろう。
「なんだってまた、そんなことを・・・・・・・・・・・・」
小さな呟きが体育館の中に響いた。
最初に衝撃から立ち直ったらしい三井の声だ。そんな三井の声に、流川が事も無げに言葉を返す。
「別に、なんとなく。」
「何となくで男とキスしたいなんて言うなよな。変態さんだぞ、そりゃ。」
心の底から呆れかえったようにそう返した三井は、流川の顔をじっと眺め見た。
と、思ったらすぐに視線を天井に向け、何かを考え込む。
そして、小さく呟いた。
「まぁ、良いか。」
何が良いのだと宮城が突っ込む前に三井の手が流川の首に掛かり、彼の顔を自分の方へと引き寄せる。
「三井サンっ!」
三井の行動の意味を悟って部員がギョッと目を剥く中、三井と流川の唇は重なり合った。
すぐに離れると思ったその交わりだったが、10秒経って20秒経っても離れる気配が見られない。
どうやら冗談じゃなくてマジもんのキスをしているらしい。最初は身の置き所迷っていた流川の手が、いつの間にか三井の首にかかり、その深度を増している。
「・・・・・・・・・・ふっ・・・・・・・・・・・・・・」
鼻にかかった甘い響きの声が静まりかえった体育館の中に響いた。はっきり言って、どっちの声か分からない。むしろ、どっちの声とも思いたくない。部活の先輩と後輩の、しかも男の艶声など聞きたくもない。というか、学校の体育館でコレはマズイだろう。男女でもどうかと思うのに、男同士だ。バレたら何がどうなるか分からない。さっさと止めなければ。下手すれば部活動停止とかいう処分が下されるかも知れない。そう思って周りを見回してみたが、皆呆気に取られた顔で固まっていて、何かアクションを起こしそうもない。
皆が動けないのならばキャプテンである自分がどうにかしなければ。己の心を奮い立たせた宮城は、大きく頷いた後に大きく息を吸い込んだ。そして、言葉を絞り出す。
「ちょっと・・・・・・・・・・・」
緊張のために掠れそうになる声を必死に制御しながらそう声をかけた途端、それまでこれ以上無いくらいくっついていた二人がゆっくりと距離を取った。そして流川が、ぺたりと床に尻を落とす。
「どうだ?」
濡れた口元を拭いながら意地の悪い笑みを浮かべる三井を、流川が恨みがましい瞳で見つめ返した。
「・・・・・・・・ムカツク。」
「ケケッ!お子様がオレ様に張り合おうなんざ、10年早いんだよ。修業積んでから出直しな。」
そう告げながらその場に立ち上がった三井は、尻に付いた埃を払うような動作をしてから腰を折り、未だにその場に座り込んでいる流川へと、己の顔を近づけた。
「俺の腰を砕かせられるようになったら、次の勝負を受けてやるよ。」
唇が触れあわんばかりの近距離でそう囁いた三井はじわりと瞳を細め、ゆっくりと口角を引き上げた。そして、勢い良く腰を引き戻す。
身体を真っ直ぐに立たせた三井は、呆然と事の成り行きを見守っていた部員達へと視線を流し、ニヤリと、悪戯を成功させた子供のような顔で微笑みかけてきた。
「見せもんは終りだぜ?とっとと帰れ。」
「ぁ・・・・・・・・・・はい・・・・・・・・・」
その言葉に背を押されるように、部員達はフラフラと体育館から出て行った。放心状態の晴子は、彩子に背中を押されている。彼女にはとくに刺激が強かったのだろう。何しろ惚れている男が自分の目の前で男にキスを要求した上にかなりハードな口づけを交わしていたのだから。
深々と息を吐き出した宮城は、三井へと視線を移した。悪びれ無く、普段とまったく変わらない態度でボールをついてリングにボールを放り込んでいる先輩へと。
「・・・・・・・・・・ほどほどにして下さいよ。」
「おう。」
軽く答えてくる言葉は、何を意味しているのやら。
再度深々と息を吐き出した宮城は、床に座り込んだまま恨みがましい瞳で三井の事を見つめている流川へと視線を向けた。
「からかうなら、相手を選べよ。」
小さく呟き、背を向ける。これ以上この場に残っている気が起きなくて。
元々居残りは好きじゃないから滅多にやらないのだが、今日は精神的疲労が強すぎて本気で何もやりたくない。
「鍵、お願いしますね。」
「おう。お疲れさん。」
宮城は軽い返事を寄越す三井にプラリと手を振ってからゆっくりと足を踏み出した。
扉を閉めた体育館の中で流川が立ち上がり、三井の身体を抱き寄せたことに気付きもしないで。
まだまだそちらのテクでは敵いません。
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賭け