担任に呼ばれて放課後に職員室に赴いた三井は、本題とは関係ない話も色々と話し混んできたために、部活に赴くのが遅れてしまった。部室に辿り着いたのが、部活が始まる時間になってしまった程に。
遅れた理由はちゃんとあるものの、事前に連絡していないこともあり、三井は大慌てて着替えを済ませ、体育館へと駆け込んだ。
「遅れて悪ぃ! 担任に呼ばれて………てぇ?」
焦る気持ちを表すかのように重い扉を勢いよく開け放ち、怒られる前に言い訳しておこうと拝むようなポーズで言い訳を始めようとした三井だったが、その言葉を途中で飲み込み、ポカンと口を開けた。
そして、かくりを首を横に倒す。
「――――なにやってんだ、お前ら?」
問いかけた先には、バスケ部員の1、2年生が皆、体育館の床の上に正座をさせられていた。部長と副部長。それに、マネージャーを除く全員が。
そして、そんな1、2年生の前には、部長である赤木が胸元で腕を組みながら仁王立ちしている。その姿はかなり威圧的だった。普段から威圧的なところはあるが、ソレに輪をかけて。
これはどう考えても説教モードだ。しかも本気の説教モードだろう。後輩達はいったい何をやらかしたのだろうかと胸の内で考えたところで、それまで1、2年生を睨み付けていた赤木の顔がこちらにむけられた。
そして、低く押し殺した声を投げかけられる。
「三井。お前も正座しろ」
「あぁ? なんで」
「つべこべ言わずに、座れっ!」
訳が分からない命令に眉間に皺を寄せながら不機嫌も露わに言葉を返したら、もの凄い剣幕で怒鳴り返された。
その態度に本気でむかつき、条件反射で怒鳴り返しそうになったが、すぐに思いとどまって口を噤む。今の彼に逆らっても良いことはないだろうから。今までの経験から、こういう態度の赤木に何を言ってもこちらの言葉は通じない。口答えをするなと拳を脳天に叩き込まれるだけだ。
無駄に痛い思いをしたがる趣味はないので、三井はそれ以上言い返すことなく、素直に言葉に従うことにした。
三井が後輩達の後ろに回って正座したのを見届けてから、ザッと1、2年の顔を見回した赤木は、怒鳴りたいのを必死で我慢している表情で口を開いてきた。
「――――もう知っている者もいると思うが………部室に、こんな物が落ちていた」
押し殺した声でそう切り出した赤木は、どうやらずっと握りしめていたらしい物を部員達に見せて来た。
四角い透明の袋に入った、避妊具を。
「ありゃりゃ」
その見慣れた、だが学校の体育館で。しかも部活中に見る機会があるとは思っていなかったものを目にして、思わずそんな声を発してしまった。
この男にソレを発見されてしまった所有者に対する同情の色も込めつつ。
だが、赤木にはそんな同情の色を読み取ることができなかったらしい。もの凄い形相で睨み付けてきた。
「やはり貴様かッ、三井ーーーーっ!」
腹の底から迸らせたのであろうその怒声に、体育館に居た全員が慌てて耳を塞いだ。それでも耳の奥にジンジンと痺れるような痛みが沸いてくる。
その痛みをやり過ごしてから、三井は心底嫌そうに顔を歪め、反論を口にした。
「なんだよ、その『やはり』っつーのは。最初からオレを犯人扱いしてやがんのかよ」
「貴様以外の誰がこんな物を使うと言うんだっ!」
「――――そりゃあ、オレ以外に対して結構な侮辱だぜ、赤木?」
顔を怒りで真っ赤に染め上げながら吠える赤木にそう語りかければ、彼はハッと息を飲み込んだ。しまったと言いたげに顔をほんの僅かに歪める。
だが、すぐにテンションを戻して怒鳴り返してきた。
「話をそらすなっ!」
「別に反らした覚えはねぇよ。オレ以外にも持ってる可能性のある奴は居るだろって言ってンだ」
「――――なんだと?」
三井の言葉を聞き、赤木が疑わしげな瞳を後輩達へと向けた。その視線と言葉をうけ、後輩達は曖昧な笑みを浮かべる。それが必要ないと言うのは情けない物もあり、あると言うとソレの所有者であることを認めたような形になり、赤木に怒られる結果になるかもしれないので、どっちとも言えないのだろう。
桜木だけは、顔どころか全身を真っ赤に染め上げて狼狽えている。ソレの所有者だ等という疑いを持つだけ無駄だろうと言う反応だ。まぁ、彼に関しては、最初から疑う余地も無いだろうが。
三井がそんな事を考えている間に鋭い眼差しで部員一人一人の顔を睨み付けていった赤木は、後輩達の表情からソレは彼等の持ち物ではないと判断したらしい。改めて三井を睨み付けてきた。
「やっぱり貴様のだろう、三井っ!」
「オレんじゃねーって……」
断定口調にウンザリしながら言葉を返す。その言い方が気に入らなかったのだろう。赤木の眦がギリリとつり上がった。
更に何事かを怒鳴りつけようと口を開いた赤木だったが、その言葉を出させる前に三井は言葉を続けた。
「正直に言えば、昔は持ち歩いていた時期もあったよ。けどな、部活に復帰してからはんなもん学校に持ってきたこともねーよ。必要ねーからな」
「――――必要ない?」
「家と学校の往復の間のどこで使うってんだ?」
訝しむように問いかけてきた赤木にサクリと返したその言葉には納得出来る物があったのか、赤木は考えるような表情を浮かべながら黙り込んだ。だが、三井に向けられている瞳は何か言いたげな輝きを放っている。
その何かが、なんなのか。
読み取る事は出来たが、分からないフリをしておく。赤木がどんな顔でソレを聞いてくるのか、楽しみだったので。聞いてこなかったら来なかったで話が終わるだけだ。余計な事を言うよりも手早く片が付くだろう。
チラリと、赤木の視線が手の中の物に向けられた。そして、僅かに逡巡した後、耳朶を赤く染め上げながら言葉を返してくる。
「――――学校で使うことも、あるんじゃないのか?」
「学校で? へぇっ! 赤木は学校でセックスしようと思う奴だったんだ?」
「ダッ……っ! 誰がッ、俺の事だとっ! お前の事だっ!」
「期待に背いて悪いけど、俺は学校とか野外とかでやんのは嫌いなんだよ。強姦されてるような気がするからな」
「ごっ………っ!」
サクリと答えた言葉に、部員全員が息を飲んだ。
三井も密かに顔を歪める。今の言い回しは微妙だったと思って。
だが、「強姦」の一言に対するインパクトがでかかったのか、皆その微妙な言い回しに気付いていないらしい。その事にホッと息を吐き、ヒラリと両手を振った。
「だから、ソレはオレんじゃねーよ。OK?」
「OKじゃないわっ! だったら、誰がコレを部室に持ち込んだと言うんだッ!」
「しらねーよ、ンな事は。部室を監視してるわけでもねぇんだから」
「つべこべ言うなっ! 良いから吐けっ! コレは貴様のだろうっ! 吐くまで部活は始めんぞっ!」
「あのなぁ………無実の奴に罪をなすりつけるつもりか?」
呆れたと言わんばかりにそう返したその言葉は、赤木の怒りに火を注いだらしい。これ以上上がることはないだろうと言うところまで上がっていた眦が更に上がり、顔の赤みが増した。
「貴様ッ………!」
「ハイ」
大きく息を吸い、力の限り怒鳴ろうとした赤木の勢いを殺ぐように、体育館の中に冷えた印象のある平坦な声が響いた。
その声に部員全員がハッと息を飲み、声の方へと視線を向ける。するとそこには、軽く右手を挙げ、真っ直ぐに赤木を見つめる流川の姿があった。
そんな彼の姿を目にして、赤木が数度瞬く。そして、怒りに燃え上がる気持ちを抑えるように深呼吸をしてから、問いかけた。
「――――どうした、流川」
「俺の」
「なに?」
「だから、ソレ。俺のッす」
淡々とした口調でそう告げてきた流川の姿を、赤木は硬直しながら見つめていた。赤木だけではない。他の部員全員が、信じられない物を見るような目で流川の事を見つめていた。
だが、その視線に気付いていないのか。流川はテンションを変えずに淡々と言葉を続けてくる。
「持ち主分かったから、練習始めましょう」
言うが早いか、流川は座り込んでいた床から立ち上がり、ボール籠の方へと歩き出した。
そんな流川の動きを見て我に返ったらしい。赤木が慌てて制止の声を上げた。
「な……何を言っとるんだ、流川っ! いくら練習を始めたいからと言って、そんな、三井を庇うような嘘を………」
「嘘じゃねーっす。他の奴らのじゃないなら、多分俺の」
「多分って………」
「ッてことは、流川。お前はコンドームをいっつも持ち歩いてるって事か?」
赤木が発した言葉を遮るように、衝撃からいち早く立ち直ったらしい宮城が軽い動きでその場に立ち上がり、流川の元へと駆け寄った。
そんな宮城に、流川が軽く首を振る。
「いや、最近は」
「前は持ち歩いてたって事か? なんで? 振られたのか?」
好奇心丸出しで問いかける宮城に、流川は一瞬訝しげな表情を浮かべた。なんでそんな事を聞いてくるのか分からないと言いたげに。だが、別に隠すことでもないと判断したのだろう。すぐに首を振り、サクリと答えを返した。
「どうせ家でやるから。持ち歩く必要ねー」
「じゃあ、家に一杯あるってわけか」
「一杯はねぇっす。使う分だけ」
「無くなったら買い足すってか? くーーーっ! 流川っ、てめぇいつの間に彼女作ったんだ、こらっ! 俺に断りもなくっ!」
何やら興奮してきたらしい。宮城は流川の背中を力任せに叩き始めた。そんな宮城に迷惑そうな顔を向けた流川は、少し低めに声を零す。
「なんでセンパイの許可がいるんすか」
「運動部の縦社会ってーのはそう言うもんなんだよ、覚えとけっ! ――――で、美人?」
「ウス」
興味津々と言った宮城の問いかけに、流川は間髪入れずに頷き返した。その答えに、宮城の気配が一瞬尖る。多分、軽く嫉妬でもしたのだろう。
だがすぐに気を取り直したのか、先程と同じように好奇心で瞳を輝かせながら問いかけ続けた。
「美男美女のカップルってか? っかー! 羨ましいねぇ。で、どっちから告白したんだよ」
止まらぬ質問攻撃に、流川は迷惑そうにほんの少しだけ眉間に皺を寄せた。だが、答えない限り解放して貰えないと思ったのか。はたまた誰かに聞いて貰いたいという気持ちがあったのか、普段の彼には有り得ない程素直に口を開きかける。
だが、その答えが口から発することはなかった。桜木の絶叫が、体育館の中に響き渡ったために。
「ああっ! 晴子さんっ!!」
その言葉に桜木が駆けていった方向へと視線を向けると、体育館の入り口に倒れ伏している晴子の姿があった。
「は…晴子っ! どうしたんだっ!」
妹の姿に桜木の言葉でようやく気付いたのか。桜木に続いて赤木も慌てて彼女の元へと駆け寄っていった。他の部員達もワラワラとそちらへと足を向けていった。
そんな姿を見送りながら、三井は床に胡座を書き直し、入口にできた人だかりを観察した。
いつから居たのか分からないが、晴子は流川の話に衝撃を受けて倒れたのだろう。彼女が居るという話を聞いただけでショックを受けて気を失うくらいだから、ミーハーな気分ではなく、本気で好きだったという事だろうか。
「ありゃりゃ」
それは気の毒にと思いながらも、軽い声を漏らした。そんな口の利き方をしたら、普段だったら誰かに諫められたり突っ込まれたりしているところだろうが、今は皆晴子の元へと行ってしまったので周りに誰もいない。小さく呟いた三井の声が耳にはいることもなく、突っ込みが入る事もない。
桜木と赤木が大騒ぎしながら倒れた晴子に声をかけ、抱え上げた。どうやら保健室に運び込むようだ。まぁ、それが一番懸命な行動だろうなと思いながらその行動を見守っていたら、不意に誰かが肩に手をかけてきた。
その慣れた感触に誰の手なのか察していたが、それでもあえてチラリと視線をそちらに向ければ、ソコには漆黒の瞳を真っ直ぐにこちらに向けている流川の姿があった。
「センパイ」
真っ直ぐにこちらを見つめながら、ゆっくりとした口調で呼びかけてくる。その短い一言で彼の要求を察し、クスリと小さく笑みを零す。
そして、右手をゆっくりと男の目の前へと差し出した。
「うし。やるか。あっちはしばらく終わりそうもねぇしな」
「ウス」
かけた言葉に、他の人間には分からないだろうと思う程度に微笑みが返された。そして、差し出した手を握りかえされ、ゆっくりと床上から引き上げられる。
その力に逆らわずに身体を立ち上がらせながら、ニカリと笑い返す。
そして、勢いが尽きすぎてよろけたフリをして、少し高い位置にある唇に己の唇を触れあわせた。
切れ長の瞳がキョトンと丸くなる。
滅多に見られない年相応に、可愛いと思えるような表情にクツリと喉の奥を振るわせた三井は、驚きに固まっている流川の肩を軽く叩きながら、その横を通り抜けた。
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