流川には気になっている事があった。
全日本ジュニアの合宿から帰ってからずって、気になっている事が。
だが、それを確認する手だてがわからず、一週間もの間なんの対処もしないまま過ごしてきたのだ。
しかし、そろそろここらで限界だ。気になって気になって、この二日ばかり夜に眠れなくなっている。昼に寝ているから良いと言われそうだが、昼寝と夜に寝るのでは意味が違うので大問題なのだ。流川にとっては。
そんなわけで、気になるものはさっさと確かめてしまおうと決意した。その方が絶対に精神衛生上良いに決まっている。夜に眠れるようになるだろう。
流川は大きく頷き、常人よりも長い足を一歩前に踏み出した。目標物に向かって。
迷いを捨てたらタイミングなんか関係なく、やりたいときにやりたい事をやる。それが流川楓という男なのだ。
そんなわけで、流川は目標物の背後に音も無く近づいた。そして、丁度休憩時間に入って無防備になっていた身体に、己の長い腕を回す。背後から抱きしめるように。
「うわっ!」
途端に叫び声が腕の中から沸き上がった。が、そんな事は気にもせず、細い腰に回した腕に力を入れた。すると、腕の中で体がビクリと震えた。
「ちょっ・・・・・・・・おいっ!」
どうやら状況を理解し始めたらしく、腕の中の生き物が弱々しく抵抗しだした。が、その抵抗は腕力で封じてやる。まだ確認し終えていないので。
流川は、抵抗が弱い内にやることをさっさと済ませようとさらに拘束を強め、目の前にある肩に己の顎を乗せた。これでより一層拘束が強まるはずだ。そう思い、腰に回していた腕をゆるゆると動かし、掌で体をまさぐり始める。
「えっ・・・・・・・?おいっ!お前、何やって・・・・・・・・・っ!」
ようやく自分の置かれた状況を完全に理解したのか、腕の中の生き物が本格的に抵抗しはじめた。身長はたいして変わらない生き物の本気の抵抗を押さえ付けるのは、容易な事ではない。
だが、ここで解放するわけにもいかない。まだ確認作業は終わっていないのだから。流川は己の持てる力を総動員して腕の中の生き物を取り押さえ、その体を撫で回した。
掌から、隙間が無いくらい背中に密着させた胸から、抱き込んだモノの体温が流れ込んでくる。
その体臭と体温に、自然と流川の頬が緩む。確認作業をそこそこに、この場でこの身体を押し倒したくなる衝動も、沸き上がってくる。
そんな流川の反応を敏感に察知したのだろう。腕の中の身体に、先程の震えとはと違った意味の震えを走った。
「おいっ!いい加減にしろよ、このやろうっ!」
「・・・・・・・・何やってるんすか?」
生き物が叫んだのと、傍らから第三者の声がかけられたのはほぼ同時だった。その第三者の問い掛けに、生き物は勢い込んで叫び出す。
「なんでも良いから宮城!この馬鹿をさっさと引きはがせ!いいかげん気持ち悪いんだよっ!!」
その言い草にむっとした流川は、嫌がらせのためにも拘束する力を強めてやった。
自分はいつだって、どんな時だってこの身体をこんな風に抱きしめていたいと思っているのだ。そんな気持ちを、腕に抱いた相手に伝えたくて、抱きしめる力を強くした。
だが、その行動はお気に召さなかったらしい。
「・・・・・・・・おい、流川。いいかげんにしねーと、マジでブチ切れるぞ、このやろー。」
それまで大型犬にキャンキャンと吠え立てる小型犬のような反応をしめしていた生き物が、ドスの効いた声音でそう呟きを漏らしてきた。その口調に生き物の本気を感じ取った流川は、名残惜しくはあったが拘束を緩め、生き物を解放する。
途端に飛びすさるように傍らから離れられ、無表情の下でちょっぴり傷つく流川だった。
「で?何やってたんすか?」
状況が落ち着いたことを確認したのだろう。宮城がそう声をかけてきた。その声音も表情も、なんだかやたらと楽しそうなのは気のせいだろうか。
生き物もその態度に引っかかりを覚えたらしいが、それよりも何よりも先程の流川の態度が気に入らなかったらしい。これ以上ないくらい不快そうに、宮城に言葉を返した。
「知らねーよ。流川がいきなり、有無も言わせず抱きついて来たんだからよ。流川に聞け。流川に。」
忌ま忌ましげに吐き出された生き物の言葉を受け、宮城が改めて流川へと、視線を向けて来る。
「んじゃあ流川。いったいなんだって三井サンに抱き着いたりしたんだ?」
妙に楽しげに問いかけてきた宮城の後ろで事の成り行きを見守っている生き物−−−−三井が、睨み付けるようにしながら流川の言葉を待っている。下らないことを言ったら承知しないぞと、言いたげに。
そんな感情の色が違う四つの瞳に見つめられた流川は、取り繕う事もせずに深々と溜息を吐き出した。
抱き着いたくらいで、何故こんなにも問い詰められねばならないのかと。そう思って。
別にやましいことは何も無い流川は、二人の態度に納得のいかない物を感じつつも、素直に口を開くことにした。
「・・・・・・・・・・・痩せたかなと、思って。確認してみただけっす。」
「痩せたって・・・・・・・・・・・・三井サンが?」
「うす。」
「それで、確認するために抱き着いて、三井サンの体を撫で回してたわけ?」
「うす。」
流川は力強く頷いた。まったくもってその通りだったから。その様を、宮城と三井の二人が不気味なものを見るような目付きで見ている事に気付きもせずに。
「・・・・・・・・で?確認出来たのか?」
「うす。ちょっと、前より筋肉付いてたっす。だから見た目細くなった。締まって。」
言いながら、先程の感覚を思い出した流川の頬が微かに緩む。なかなかに良い感じの抱き心地だったから。
以前の身体も良かったが、筋肉で更に締まってしなやかさが増してそうなこの身体も大いに宜しい。この先の事を考えると、なんだかやたらと胸が騒ぐ。
だが、未発達の表情筋は本人が思っているよりも活動をしてくれなかったらしく、端から見ていた宮城や三井には気付かれなかったようだ。
二人共、遠い目になった流川の様子を訝しげ見つめている。だが、それ以上流川からの反応は無いとみたのだろう、宮城がニヤニヤと、意地の悪い笑みを浮かべながら言葉をかけてきた。
「・・・・・・・・ほほう。そんな違い、良く分かったな。俺は全然気付かなかったぜ。」
感心したような。だけどどこかからかうような宮城の口ぶりに、流川は自慢げに頷いて見せる。
「合宿でしばらく見て無かったから、分かった。それに・・・・・・・・・・」
「それに?」
「センパイの身体に関しては、スペシャリスト。」
「この大馬鹿野郎っ!!」
言った途端に、三井に力いっぱいボールを投げつけられた。
顔面に。
さすが3Pシューターだけあって、そのコントロールは素晴らしい。
寸分違わず顔の中心にヒットしたその攻撃は、予測していなかった事もあり、かなり効いた。思わずクラリと目を回す程に。初めて会った時の桜木のパンチくらいには効いた。そんな事を脳内で考えていた流川に、三井の罵声がぶつけられる。
「てめーは本当に、ろくな事言わねーなっ!ずっと黙ってろ。このっ、大馬鹿野郎っ!」
流川が目を回している事など気にした様子も無く、三井は肩をいからせながらその場を立ち去ってしまった。
黙っていれば、人にばっか喋らせて何様のつもりだとか言って騒ぐ癖に。いったい自分にどうしろと言うのだろうか。
なんとも難しい男だ。
まぁ、とにかく。今日は余計な口を開かないようにして置くかと、頭を回しながらも心の内で頷く流川だった。
そんな流川に、宮城が呆れたように呟いた。
「・・・・・・・・お前。からかうなら相手を見てからかえよ。」
「・・・・・・・うす。」
からかったつもりも無ければ、相手が三井だから行った行動だったのだが。とは言え、別に言う必要もないだろうと思ったので黙っておく。先程三井に余計な口をきくなと言われたばかりだし。
そんな流川の内心に気付きもしなかったのだろう。宮城はろくな反応を示さない流川の様子を呆れたように、そして何やらどっと疲れが吹きだしたと言わんばかりに肩を落としながら呟きをもらす。
「まったく。この問題児どもを纏めるのは一苦労だぜ」
と。
あんたには言われたくない。
と言う突っ込みは、胸の内だけに留めておいた流川だった。
アホな流川も結構好きです。
確かめたい