放課後、洋平はフラリと体育館へと足を向けた。
 不純な動機で入部して、いつの間にか真剣に部活に打ち込むようになった友の様子を見るために。
「・・・・・・・・あれ?」
 近づくにつれ、いつもだったら聞えてくるボールをつく音が、今日に限って聞えてこない。
「部活が休みだとは、言って無かったんだけどな・・・・・・・」
 丁度休憩中なのだろうか。首を傾げながら、洋平はそっと、中を窺った。
 そこには、いつもの喧噪も熱気もなく、目立つ体躯の男達の姿も無い。
 ただ、シンと静まりかえった空気だけが漂っている。
「やっぱ、休みだったのか・・・・・・・・?」
 だったら一緒に帰れたものを。何故花道は黙っていたのだろうか。
 なんとなく気分が悪くなった洋平は、不機嫌を表すようにムッと顔を歪めて見せた。
 その途端、横合いから声がかけられた。
「今は全員ロードに出てるぜ?戻ってくるのは、30分くらい後だ。」
「えっ?」
 誰かが居るとは思っていなかったので、自然と身体がビクついた。
 慌てて声の方へと視線を向けると、そこには壁にもたれるように体育館の床に座り込み、クククッと喉で笑いながら肩を揺らしている細身の男の姿があった。
「・・・・・・・・ミッチー・・・・・・・・・・」
「ミッチー言うな。失礼な奴だな。俺は二年も年上なんだぜ?」
 不愉快そうに顔を歪めてそう言って返して来たが、それ程機嫌を損ねている訳ではないらしい。目の奥が笑っている。
 いや、その笑いは先程の洋平の反応に対して向けられたものかも知れないのだが。
 だから、洋平の機嫌は更に悪くなる。
「・・・・・・・だったら、なんでアンタはここにいるわけ?さぼり?それとも、遅刻?」
 敵意も露わにそう問いかければ、三井は小さく肩をすくめて見せた。
「今の俺には、無駄に身体を虐める事よりも、ボールとゴールの勘を取り戻す事の方が大事なんでね。別メニューなんだよ。」
「そう言う割には、練習してなかったみたいだけど?」
「今は丁度休憩中なんだよ。」
 洋平の言葉は、ことごとく軽く交わされた。
 いつも花道と馬鹿な会話を繰り広げている、この男に。
 なんだかいつもと勝手が違う気がしてきた。というか、この男が纏う空気がいつもと違う。
 いつも花道と共に鬱陶しい程の明るさを振りまいているのに、今は妙な薄暗さを感じるのだ。妙な吸引力を持った、薄暗さを。
 何がどう、いつもと違うのだろうか。
 周りに人が居ないからだろうか。
 なんだか無性に気になって、洋平はジッと、二つ年上の男を観察した。
 その瞳に、三井は小さく鼻で笑い返してきた。そして、挑戦的な眼差しを向けてくる。
「お前にとって、桜木ってどんな存在よ?」
「え?」
 いきなりの質問に、一瞬素の表情を浮かべてしまった。それを慌てて取り繕い、いつも浮かべている底の分からない笑みを浮かべて返す。
「どんなって、大事なダチだよ?」
「へぇー・・・・・・・・・・・・」
 その返答に、三井はニヤニヤと笑いながら洋平の顔を見上げてくる。
「・・・・・・・・なんだよ。」
「いや、なんでも?」
「言いたいことが有るならはっきり言えよな。気分悪いぜ、そう言う態度は。」
「言っても良いのか?」
「そう言ってるだろ。勿体ぶんな。」
「じゃあ、言うけどよ。」
 そこで一旦言葉を切った三井は、スッと瞳を細くして、口角をニッと引き上げた。
「嘘をつくんじゃねーよ。」
「嘘?何が嘘なんだよ。」
「お前が桜木をダチだと思ってるって事がだよ。」
 言われた言葉に、ドクリと、心臓が大きく跳ね上がる。
「・・・・・・・・嘘じゃねーよ。」
「嘘だよ。」
「何を根拠にそんな言いがかりつけてくんだよ!」
「お前の目。」
 キッパリと言われた一言に、怒鳴りかけた言葉を噤む。
 そんな洋平の様子を満足そうな笑みで見つめ返した三井は、実に楽しそうに言葉を続けてきた。
「時々、射抜くような目でボールを見てるぜ?ゴールもよ。」
「何を言って・・・・・・・・・・」
「ムカツイてんだろ?正直さ。」
「ムカツクって、何に・・・・・・・・・・」
「だから、バスケットに。」
 そこで一旦言葉を切った三井は、洋平の様子を窺うように軽く首を傾げてきた。
 そして、喉の奥で小さく笑う。
「大事なオトモダチを取られちまったんだからな。」
「・・・・・・・・・あんた・・・・・・・・・・・・・」
 揶揄するような響きを持つ言葉に、洋平は知らない内にギュッと、拳を握り締めていた。
 そうしないと、目の前の男を殴りつけてしまいそうで。
 そんな洋平の内心の葛藤に気付いたのだろう。チラリと拳に視線を向けた三井は、背後の壁に気怠げに背中を預け直し、反対側のゴールに視線を向けながら言葉を発してきた。
「・・・・・・・・分かってると思うが、アイツの邪魔はするなよ。」
「邪魔って・・・・・・・・・・・・」
「アイツは今ではもう、湘北の大事な戦力だ。余計な事を考えさせて調子を崩したくねーんだよ。」
「・・・・・・・余計な事って・・・・・・・・・・・・」
「桜木が大事なオトモダチだって言うなら、その物騒な視線をどうにかしろ。いつかはアイツにもばれるぜ?」
 言いながら前方に向けていた視線を洋平へと戻してくる三井の瞳に射抜かれ、身体が大きく震えた。
 何故かは分からない。怒りのためか。はたまた自分でも分かっていた事を再認識させられたせいか。
 何にしろ、妙に覚めた瞳で見つめてくる三井の顔から視線を反らす事が出来ない。
「・・・・・・・・そんな、ヘマはしねーよ。」
「どうだかな。」
 精神力を総動員して言葉を返せば、馬鹿にするように鼻で笑われ、洋平の身体に怒りの炎が駆けめぐった。
「なんで、アンタに・・・・・・・・・・・・」
「あぁ?」
「アンタに、そんな事を言われないといけねーんだよっ!」
 絞り出すような声でそう叫べば、三井はほんの少しだけ瞳を細めて見せた。その眼差しに同情するような色があるように思ったのは、洋平の被害妄想なのだろうか。
「俺は、全国制覇をしたいんだよ。」
 三井が、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「いや、俺たちは、かな。」
 微かに首を傾げながら。
「だから、そのために必要な事はなんでもする。」
 自嘲的な笑みを浮かべながら。
「散々迷惑かけたからな。俺に出来ることは、率先してやろうと思ってるんだよ。」
「・・・・・・・・で?俺に牽制をかけてきたってわけ?」
「そ。」
「・・・・・・・俺は、邪魔なのかよ。」
「そういうわけじゃねーけどよ。」
 困ったように微笑んだ三井は、それまで座っていた床から腰を上げた。その動きは緩慢で、彼が疲れ切っている事が窺えた。
 出戻り部員である彼には、全国を目指したハードな練習はオーバーワークなのかも知れない。
 その彼が、ゆっくりとした足取りで洋平の正面へと、歩いてきた。
 そして、身長差を埋めるように軽く腰を屈めて洋平の顔を覗き込むと、整髪料で固めた頭を、その細く長い指でかき混ぜてきた。
「最近ちょっと、苛ついてただろ?」
「・・・・・・・・俺が?」
「そ。お前が。」
「別にそんなことねーけど?」
「そうか?俺には、我慢の限界に達しようとしているように見えたんだけどねぇ?」
「・・・・・んだよ、それ。勝手な判断するなよな。」
 目の前の男を睨み付けながら自分の頭部にある手をたたき落とした。
 そんな扱いをされたというのに、三井は気にした様子もなく。逆に楽しげに見つめ返してくる。
「そうか?」
「そうだよっ!」
「なら、良いんだけどよ。」
 ムキになって否定する洋平の言葉を笑顔で聞き入れた三井は、一度真っ直ぐに伸ばした上半身を再度屈めて洋平の顔を覗き込んできた。
「我慢の限界に達しそうだったら、お兄さんに相談しなさい。解決方法を一緒に考えてやるからよ。」
「余計なお世話だよっ!」
「そう言うな。それであの時の借りを返せるってもんだからよ。」
 ニッと、影の無い笑みを浮かべてみせる三井の言葉に一瞬返す言葉を失った。
 意外に繊細な心を持った男だとは思っていたが、どうやら未だにその事を気にしていたらしい。
 人前ではそんな素振りを見せたことは無いのに。
「・・・・・・・・・別に、あれはアンタのためじゃ無くて・・・・・・・・・・」
 花道にバスケを続けさせる為にやったんだ、と言おうとした言葉は、途中で遮られた。
 柔らかな感触に唇を塞がれた為に。
「なっ!!!」
 突然の事に一瞬思考が停止しかけたが、すぐにその感触を取り払うように自分よりも長身を男の身体を突き飛ばした。
 その攻撃に二三歩背後に後退した三井は、楽しそうに、からかうように問いかけてきた。
「あ?もしかして、ファーストキスか?」
「んなわけねーだろっ!!」
「そうだよなぁ。お前、もてそうだもんなぁ。じゃあ、別にそんなに驚く事も無いんじゃねーの?」
「男にいきなりキスされりゃぁ、誰だって驚くだろうがっ!」
「ソレは一理あるな。」
 洋平の反論にうひゃひゃと楽しそうに笑いを零した三井は、クルリと踵を返して洋平に背中を向けた。
 そして、籠に収まっていたボールを一つ、手に取る。
 体育館の中に、三井がボールをつく音だけが響き渡った。
 一定のリズムを刻む音が。
 その音を響かせながらコートの中を歩いていた三井が、3Pラインに来たところでクルリと向きを変えた。
 そして、素早くボールを宙に放る。
 放物線を描いた茶色いボールは、程なくしてネットを揺らす音を響かせた。
 その音を満足そうな笑顔で見つめながら聞いていた三井は、ボールが床の上を跳ねる音を気にした様子もなく洋平の方へと、視線を向け直す。
 そして、からかうような笑みを浮かべてこう、口にした。
「まぁ、とにかく。そっち方面で困ったことがあったら相談しろよ。お前の周りにいる奴らよりは、話が通じると思うぜ?」   
 その言葉に、内心で頷く。
 確かに、こんな自分の胸の内をあの気の良い仲間達に語るわけにはいかない。この思いが一般的では無いと、分かっているだけに。
 だから、自然と言葉が零れた。
「・・・・・・まぁ、困ったことが出来たらな。」
 そんな事が起る分けないけれど。
 大切なトモダチの為なら、自分の思いなど簡単につぶせる自信があるから。
 今までずっと、捻りつぶしてきた思いなのだから。
 だから、桜木の晴子への思いを応援する事だって出来るのだ。
 それでも何故か、三井の言葉に嬉しさを感じる。
 誰かが自分の思いを分かっていると言うことに、なんとも言えないむず痒さと安心感を感じながら。
「・・・・・んじゃ、俺帰るわ。」
「おう。気を付けて帰れよ。」
「ミッチーもな。あんまり無理すんなよ?」
「うるせーよ!クソガキ!!」
 怒りを表すように眉をつり上げているけれど、別に怒って居るわけではないようだ。
 瞳の奥には笑みの色が見て取れるから。
 体育館から足を踏み出しながら、初めて一対一で言葉を交わした二歳年上の男の事を考えた。普段は花道と一緒になって馬鹿騒ぎをしている、男の事を。
 遠くから見ている時には気付かなかったが、彼は自分が思っているよりもずっと大人なのではないだろうかと考えた。
 花道と馬鹿な事を言い合っていても、花道のように本当に何も考えずに大騒ぎしているわけでは無いのかも知れない。
 彼の静かな瞳を間近に見て、なんとなくそう思った。
「・・・・・・・・・どう、相談に乗ってくれるつもりなのかねぇ・・・・・・・・・・」
 それが、ほんのチョッピリ気になった。
 それを知るために彼に声をかけてみようかなと、思う程に。
 背後から、ボールをつく音が聞えてくる。
 その音にチラリと視線を流しながら、小さく呟く。
「安心しな。言うつもりはねーからよ。」
 彼等が全国制覇を成し遂げることを夢見ているのは、自分も同じなのだから。
 大切なトモダチの足を引っ張るようなマネは、絶対にしない。
 ずっと昔からそう胸の内で呟いていた言葉を、洋平は再度胸に刻み込んだ。
 自分は、彼の一番の親友の席を得ている事だけで満足しているのだから、と。
























洋花ベース。しかも片思い。
三井が何やら怪しいお兄さんに・・・・・・・・・・











                     ブラウザのバックでお戻り下さい。



秘めた思い