昼休み、体育館にフラリと立ち寄った。
誰もいなかったら練習しようと思って。
だが、近づくにつれて聞こえてくるドリブルの音に、自然と眉間に皺が寄って来る。
「・・・・・・・・にゃろう」
先を越されたかと、対抗意識が沸き上がった。
あの部で自分程練習熱心な人はいないだろうと思っていたから。
「どこのどいつだ・・・・・・・・・」
赤木じゃなかったら追い出してやろう。
そんな事を思いながら扉の中をそっと覗き込むと、そこには見慣れぬ後ろ姿があった。
ほっそりとした身体はそれなりに身長が高そうだ。ボールをつくその手つきには危うさが全くなく、扱いに慣れている事が窺えるから、バスケの経験者だろうと思われる。
だが、あんな後ろ姿の部員は居ない。それくらい、他人に興味のない流川だって覚えてる。
「・・・・・・どこのどいつだ・・・・・・・」
もしかしたら中学でバスケ部だった奴なのかも知れない。高校では真面目に部活をする気も無く、休み時間に立ち寄った体育館で懐かしさにかられてボールで遊んでいる。そんな所だろうか。
だったらさっさと退いて欲しいモノだと思う。自分は真剣にバスケがしたいのだ。遊び気分の奴など邪魔なだけだ。
チラリと時計に目をやれば、休み時間は刻一刻と減っている。別に午後の授業をサボっても良いのだが、サボってバスケをしていたなどと言うことがあの部長に知れたら大変なことになりそうだから、それは避けたい。だからこそ、今すぐにでもボールに触りたいのだ。
「・・・・・・・・・蹴り出すか。」
つい先日この体育館で暴力事件があったばかりだから、あまり派手な事をしない方が良いとは思い一瞬踏みとどまりはしたが、結局流川は自分の欲求を満たすことを優先する事にした。そのために、体育館の中に一歩、足を踏みいれた。
その瞬間。
それまで床に打ち付けていたボールの音が止まり、ボールが男の手の中に収まった。と、思ったら、スラリとした腕が持ち上げられ、頭上にボールが掲げられた。
そして、ほっそりとした指先からスルリと、ボールが宙に放られる。
その動きを見た途端、流川の心臓がドクリと跳ねた。
「・・・・・・・・・すげぇ・・・・・・・・・・・」
綺麗だな、と言う言葉は口から出なかった。声を出して、ネットが揺れる音を聞き逃したく無かったから。
流川が声を飲み込んだ瞬間に、ネットが揺れる音が体育館の中にサクリと響いた。そして、ボールが床を跳ねる音が、響き続ける。
そのボールの音を耳で聞きながら、流川の視線は男の背中から反らすことが出来なかった。今さっき見た、綺麗なフォームが脳裏で何度も繰り返されて。もう一度、あのシュートフォームを見てみたくて。
あんなに綺麗なフォームを持っているのに、なんでこの男はバスケ部に入らなかったのだろうか。湘北バスケ部にとって、十分な戦力になる腕をしていると思うのに。
「勿体ねぇ・・・・・・・・・・・」
思わず呟く流川の目の前で、男が落ちたボールを拾いにゆっくりと足を踏み出していた。
ころころと転がるボールを追いかけ、ソレを掴み取った男は、その場でクルリと振り向いた。自然と、その動きを目で追っていた流川と視線が合わさる。
正面から見た男は、顔面に大きなガーゼを貼っていた。そのガーゼの下で、瞳を大きく見開いている。たぶん、背後に人が居ると思っていなかったのだろう。あのシュートを放つために集中していたために、人の気配に気付かなかったのかも知れない。それ程集中していたからこそ、脳裏に焼き付く程に綺麗なフォームだと思ったのかも知れない。
ボンヤリとそんなことを考えていたら、不意に男が微笑みかけてきた。
ニッと唇の端を引き上げるような笑みで。
「なんだ、お前。一人で昼練か?」
いきなり親しげに話しかけられ、流川は僅かに目を見張った。本当に僅かだったから、男には分からなかったかも知れないが。
そんな流川に、男は軽く首を傾げ、困ったように微笑んだ。そして、ボールを片手にゆっくりと近づいてくる。
近づいて来るに従って、男の容貌がはっきりと視界に入ってきた。
身長はやはり一般的な男よりも高いだろう。流川の視線がそれ程下がらないから180pは軽く越えていると思われる。髪は短く切り揃えられ、前髪が上に持ち上げられていた。
幾分目つきは鋭く、お世辞にも人相が良いとは言いがたいが造作は整っている。左頬に大きなガーゼが貼られ、顔の至る所には絆創膏が貼られているので今現在は少々見栄えが悪いけれど。それでも綺麗な顔をしていると思う。
何をそんなに男なんぞの顔をジロジロと観察しているのだろうか。
自分の行動に小さな疑問を感じて首を捻った流川の目の前まで歩み寄ってきた男は、その手の中にあったモノをスッと、流川の前に差し出してきた。
「・・・・・・・おらよ。」
何やら恥ずかしげに、かなりぶっきらぼうにそう呟かれた言葉に、流川は思わず己の手を差し出していた。その手の中に、ボールがころりと、転がされる。男の体温が移ったかのように、ほんのり暖かいボールを。
「予鈴までそんなに時間無いから、ほどほどにして置けよ。」
流川にボールを渡した時点でバスケから興味が失せたのか、男がそんな言葉をかけてきた。そして、ゆっくりと足を踏み出す。
通りがかりに軽く肩を叩かれ、流川は慌てて振り返った。
「おいっ!」
「あん?」
思わず言葉をかけると、男は訝しげに眉間に皺を寄せながら、首だけで振り返って見せた。
その薄い色彩の瞳をジッと見つめながら、流川は何故自分が彼を呼び止めたのだろうかと必至に考えていた。反射的に声が出てしまったから、呼び止めた理由が自分にも分からなくて。
なかなか言葉を発しない流川の態度に、男は眉間に皺を寄せた。そして、つまらなそうに言葉を発してきた。
「用がないならもう行くぞ。じゃあな。」
それだけ言って軽く手を振って見せた男は、流川が先程入ってきたのと同じドアから体育館の外へと、出て行ってしまった。
残された流川の胸に、なんとも言えない寂しさが沸き上がってきた。
「・・・・・・・・・誰だったんだ、あいつ・・・・・・・・・・」
多分、二年か三年だろう。なんの根拠もなくそう思う。だからといって、なんの解決にもならないけれど。
フラリと。足を一歩踏み出した。
先程渡されたボールを軽くつきながら。先程男が立っていた位置まで歩いていく。
3ポイントラインの外側。そこにたどり着いた流川は、二三度ボールをついた後に両手でボールを挟み込み、スッと、頭上に掲げてみた。そして、先程の男と同じように空中に放る。だが、そこから先は同じでは無かった。
ガンっ!という音を響かせながら、ボールがリングにぶち当たったのだ。
「・・・・・・ちっ!」
それなりに本気でゴールを狙っていたのに、僅かな差でリングからボールが弾かれ、思わず舌打つ。そして、有らぬ方向に転がっていったボールを拾うために、常人よりも長い足を一歩前へと、踏み出した。
程なくして追いついたボールを拾い上げ、その茶色い球体を掌に馴染ませながらゴールに視線を向けた流川は、ボソリと呟いた。
先程見た男のシュートフォームを思い浮かべながら。
「・・・・・・・・ホント、勿体ねーな・・・・・・・・・・・」
あんなに綺麗なフォームを見たことは無いのに。お手本にしたいくらいに教科書通りに綺麗なフォームなのに。それなのに今バスケをしていないのは、勿体ない。
そう強く思った流川だったが、だからと言って何か行動しようと思う程外交的では無い。部に誘うなど、出来るはずもない。やりたくないモノを無理矢理やらせる趣味は無いのだから。
「仕方ねぇか・・・・・・・」
呟きながらボールをつく。
自分に言い聞かせるように。
だけど、先程みたフォームが脳裏から離れなかった。
それを振り切ろうと頭を激しく振ってみたが、あまり効果が無かった。
ダンクでも決めたら気分がスッキリするかと思い、思い切りよくリングにボールを叩き付けても、男の姿態が脳裏から消え去ることは無かった。
「・・・・・・・なんだんだよ。ったく・・・・・・・・・・・・」
自分の不可思議な状況に悪態を付く。そんなことをしても状況が改善する訳がないのだが。それでも漏れる言葉を留めることが出来なかった。
流川が男の名前を認識したのは、その日の放課後の事だった。
自覚無く恋が芽生えた瞬間。
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初遭遇