【F】







 彼女は自分が認めた、唯一の女だった。
 戦士の村のしきたりなんかどうでも良いが、自分の剣の名にしても良いと、そう思える位には信頼していた。
 好意もあったと、今更になって思う
 それは、男女間の情欲の混じる愛ではなかったが、自分以外の人間を認めていないフリックには、それだけでも大事なことだった。
 何をするでもなく、流されるように生きていた自分に、契約という形にしろ生きる目的をくれた。
 偽りの姿ではあったが、その生活を楽しんでいた自分が確かにいたのだ。
「・・・途中リタイアは、無いよな・・・・・」
 カクの酒場で一人飲んでいたフリックは、誰にも聞こえないような音量で、ボソリと呟いた。
 初めて訪れた本拠地で、オデッサの死を知った。
 一瞬言葉を失った自分に、少なからず驚いた。
 多くの人間を何の感慨もなく切り捨ててきた自分が、たった一人の人間の死に驚愕を感じている事に戸惑った。
 どう反応して良いのか、とっさに判断出来なかった。
 こんな時、『青雷のフリック』はどんな反応をするべきなのか。
 珍しく混乱する頭で必死になって考えた。
 多分、ヘマはしていない。
 恋人の死の知らせに動揺する若者を、ちゃんと演じていられた。
「・・・・演技でも、なかったか・・・・。」
 自嘲の笑みが口元にうっすらと浮かぶ。
 半ば本気で、ビクトールに食ってかかってしまった。
 彼の責任で無いことは分かっているのに。力を認めていただけに、その場にいて守り切れなかった彼に腹が立った。
 まだ彼女と共にいたかった。
 彼女といると、心が落ち着く自分がいたから。
 彼女の屈託のない笑みが、脳裏によぎる。
 一人の人間にこんなにも固執している自分に、自嘲的な笑みが浮かび上がった。
「・・・・どうして欲しいんだ。お前は・・・・・。」
 腰の剣に、そっと問いかけた。
 答えは分かっている。
 契約は、彼女の願いが叶うまでの期間。
 彼女が死ぬときまでではない。契約は終わってはいないのだ。
「・・・・契約金、踏み倒されたな・・・・。」
 そんなことは初めてだった。何があろうと、今までは仕事の分はきっちり取り立ててきたのに。
「こんな事なら、死んだときの支払い方法も話し合っておけば良かった。」
 金が欲しくて引き受けた仕事では無いが、恨み言の一つも言いたくなる。
「薄情な恋人だよ、まったく・・・・。」
 くくっとのどの奥で笑った。
 彼女は今頃、先に逝っていた婚約者と楽しく過ごしているのだろう。
 それなのに自分は、これからも与えられた仮面を付け続けなければならない。
「割に合わないな・・・・。この先誰が『俺』と話をしてくれるって言うんだ?オデッサ。」
 文句を言いながらも、フリックはこの先の自分の道を決めていた。
 それが彼女の望みだから。
 これから先、彼女以上に自分の心を捕らえるものは現れないだろうから、そんな彼女の望みくらい、叶えてやってもいいだろう。
「この貸しはでかいからな。俺があの世に行ったときは、覚悟して置けよ、オデッサ。」
 そう呟く顔には、うっすらと楽しげな笑みが浮かんでいた。 



















【B】






「お前のせいではないんだろう。」
 そう語る男の瞳の静かさに、ビクトールは小さな違和感を感じた。
 もっとごねると思っていたと言うのもある。
 それ以上に、恋人に対して過保護なくらい気にかけていた男が、この短時間で気持ちの整理を付けていると言うことに違和感を感じたのだ。
 言葉におかしいところはない。
 新リーダーを認めることは出来なくても、亡き恋人の夢を叶えるため気持ちを切り替えたと、そう言う言葉も分からないではない。
 だが、何かがおかしいとビクトールの野生の勘が告げていた。
「・・・フリック・・・・?」
 思わず問いかけた言葉に、フリックは穏やかな瞳を向けてきた。
 恋人を失った悲しみを写しているわけでもなく、怒りを無理に押し込めているものでもない。
 風一つ吹いていない湖面のように穏やかな青色が、そこに広がっている。
 その瞳を見た途端、ビクトールの背筋に冷たい汗がしたたり落ちた。
 感情が読みとれないのに、いや、読みとれないからこそうすら寒いものを感じる瞳だ。
「なんだ?」
 なかなか次の言葉を続けないビクトールに焦れたのか、フリックが僅かに眉を寄せながら問い返してきた。
 その問いにハッとなったビクトールは、取り繕うように言葉を発した。
「・・・・・泣いていいんだぞ?今日くらいは、誰もその事を咎めやしない。」
 言われて初めてその事に気づいたというように、フリックは目を見開いた。ショックを受けすぎて、そんな簡単な事も忘れていたのだろうか。
「・・・・ああ。ありがとう・・・。」
 儚げな笑みと共に言われた言葉に、ビクトールの心臓が大きく脈打った。
 彼の口から初めて礼をいわれたからだろうか。
 それとも、初めて自分一人に向けられた笑顔が、思いの外綺麗だったからだろうか。
「・・・いや。じゃあ、俺は先に戻っているから・・・・。」
「ああ。手間をかけてすまない。」
 小さく微笑むフリックの顔を正視出来なくて、ビクトールはフイっと視線を床に逃がしながら宿屋を後にした。
 何を男相手に動揺しているのか。顔は綺麗でも、自分とひけを取らないくらい腕の立つ剣士相手に。
「・・・・・俺も、オデッサの死に動揺してんのかな・・・・・。」
 自嘲的な笑みを浮かべながら、ビクトールは湖面へと視線を向けた。
 夜の湖は真っ暗で、先ほど分かれた青年の瞳と同じ色を見せてはくれない。
 その事を残念に思いながら、ビクトールは足早にカクの村を去っていった。













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死別