SNOW
夜中にふと目が覚めた。
そんなことは良くあることだ。騎士団に入ってから眠りが浅くなった。疲れている時でも、それは変わらない。ホンノ少しの物音でも目が覚める。
今日は何に意識が引っかかったのかと、パーシヴァルは隣で眠る男を起こさないように気を付けながら、ゆっくりを体を起こす。
暖かな毛布の中から肩を出しただけで、大気の冷たさが身に染みた。
最近気温が下がり始めていたが、今日はとくに低い気がする。こんな日に目を覚ましてしまったことを後悔しても、時は既に遅い。冷えた大気のせいで既に眠気は飛んでしまっている。
この状態で再びベットの中に潜っても、眠れることは無いだろう。
小さくため息を吐いたパーシヴァルは、そっと寝台から足を下ろし、ゆっくりと窓辺へと近づいていった。
「・・・・ああ、だからか・・・・・。」
外を見て、ボソリと零す。
窓の外には、真っ白な雪がふわふわと舞い上がり、周りの物を全て真っ白に塗り替えていた。
だから、今日はこんなに寒いのだ。
部屋の中にいても、微かに吐く息が白く見える。素足で踏みしめている床も冷たく、体の心から冷え切って来る感じがした。
「・・・・どうせ冷えるなら、外に行ってみるか。」
そんなことを考え、パーシヴァルはブーツと厚手のコートを着用して、こっそりと部屋から出て行った。
時間は分からないが、城内は静まり返っている。パーシヴァルの歩く音だけが廊下に響き渡り、何となく悪いことをしている気がしてきた。
出来る限り足音を立てないように歩を進めたパーシヴァルは、大きな扉を手にかけ、自分がすり抜けられる位の隙間を作り出した。
「・・・・凄いな・・・・・。」
思わず言葉が口から零れる。
本当に辺り一面真っ白なのだ。足跡一つ付いていない、汚れのない白が目の前に広がっている。
誘われるように、パーシヴァルは一歩前に踏み出した。
一点の曇りも無かった綺麗な白に、少しずつ汚れが出来ていく。
パーシヴァルが踏み出す一歩ごとに。
何もかも覆い尽くす白。
緑の草むらも血塗られた真っ赤な大地も、全て覆い尽くす、浄化を促すような白。
その中に、自分が汚れを作っていく。
「・・・・ああ、そうか・・・・・。」
自分が作った汚れを見て、ようやく思い至った。
自分は汚れているのだ。
剣を握る手は血で染まり、多くのモノが綺麗だと褒め称えるこの体は、男達の情欲で汚れている。
体の中にも外にも、綺麗な部分など少しもない。
そんな自分は、雪の白さで覆い隠せないほど汚れているのだ。
広げた手のひらに降りた雪が瞬く間に消え失せるのは、自分を白く塗り替えられないからか。
辺り一面真っ白に染まる中、自分だけが汚れたままだ。
「・・・・ふふふっ・・・・。」
小さく笑いが零れる。
何を感傷的になっているのか。
そんな生き方を望んだのは、自分自身だというのに。
嫌ならば、最初から騎士になどならなければ良かったのだ。
村でバーツと共に畑を耕し、作物を得る。そんな生活を選べば良かったのだ。
「そんなこと、出来はしないけどな。」
今更そんな生活を選べない。
平和な生活をするには、今の自分は汚れ過ぎている。
空を見上げれば、雪は留まることなく降りてくる。
少しでも汚れた自分の存在を隠して貰いたかった。心優しい人達が迎えてくれる故郷に帰る事が出来るくらいに。
見上げた顔に、雪は優しく降りてくる。
雨と違って。
「・・・・何をやっているんだ?」
いきなり背後から掛かった声に、パーシヴァルの身体は大きく震えた。
慌てて振り返ると、そこには寒そうに身を縮めているボルスの姿がある。
「ボルス・・・・何故ここへ?」
「それは俺の台詞だ。こんな寒々しいところで何をやっているんだ?というより、こんな時間に起き出したりするな。ビックリしたぞ。」
ふて腐れた顔でそう切り返してくるボルスに、パーシヴァルは困ったように首を傾げて見せた。
「悪い。起こしてしまったか?」
「ああ。こんな寒い日にいきなり湯たんぽにいなくなられたんだ。どんな寝汚いヤツでも目を覚ますぞ。」
「・・・人を湯たんぽ代わりにするなよ。」
「べつに良いだろ。暖房が効いていないんだし、お互い様だろ。」
ムッと頬を膨らませながら、ボルスはゆっくりと距離を縮めて来る。
パーシヴァルの足跡しかなかった雪の上に、もう一つの足跡が刻み込まれていく。
その様をボンヤリ見つめていたパーシヴァルの目の前に、不意に一本の手が伸ばされてきた。
「肩に雪が積もってるぞ?いったいどれだけ長い間ここに居たんだ。」
自分の身体にその手が掛かりそうになった瞬間、パーシヴァルは思わずその手を払ってしまった。
「パーシヴァル?」
不思議そうに問い返してくるボルスの目を、正面から見られなかった。
自分と同じように剣を振るっていても、ボルスは綺麗なままだと思うから。
「・・・・・汚れてるから・・・・・。」
思わず本音がこぼれ落ちた。
綺麗なボルスが自分に触れたら、触れた先からボルスも汚れていきそうで嫌だった。
彼には綺麗なままで居て欲しいから。
だから、触れられたくなかった。
「何言ってるんだ。どこも汚れてはいないだろう。これは汚れてると言わないで、濡れていると言うんだよ。」
どこか自慢げにそう応えるボルスの言葉に、パーシヴァルは俯けていた顔をゆっくりと上げる。
視線の先には、いつもと変わりないボルスの笑みがある。
雪の白さに負けない、綺麗で無邪気な笑顔が。
「ホラ、いい加減帰るぞ。俺はこれ以上ここにいたら凍死する!」
パーシヴァルの肩に軽く積もった雪を払いのけた後、ボルスは動こうとしないパーシヴァルの手を取り、強引に引っ張った。
「見ろ、手もこんなに冷えているではないか!このままだと風邪を引くぞ。」
偉そうにそう叱りつけてくる。
なんだか不思議な物を見ているような気分で、パーシヴァルはボンヤリとボルスの背中を見つめ続けた。
「・・・・おい、どうしたんだ?なんか様子が・・・・・。」
なんの反応もないことを訝しんだのか、ボルスが足を止めて後ろを振り返ってくる。
一瞬パーシヴァルの顔に向けられた視線は、次の瞬間その後ろへと流れ、照れたような、喜んでいるような笑みを浮かべてみせる。
「二人の足跡が並んでいる情景って言うのも、なんだか良い物だな。」
「え?」
言われて振り向くと、確かにそこには寄り添うように並んでいる二人分の足跡が見えた。
しかし、パーシヴァルには何が良いのか分からない。
問いかけるような視線を向けると、ボルスは照れたように言葉を寄越してくる。
「一緒に歩いているって感じがあるだろ。共に戦い、共に生きてる。お互いを支え合っているような気がしないか?」
「・・・・ボルス・・・・・・」
「俺が勝手に考えている事だけどな。」
照れくさそうに微笑んだボルスは、再び前を向いて歩き始めた。
パーシヴァルの手を引いて。
チラリと後ろを振り返る。
真っ直ぐに続いている、二人分の足跡。雪の上のそれは、自分の物もボルスのものも大差ない。
共に居ても良いのだろうか。
綺麗なモノのそばに。
「・・・・・ボルス・・・・・」
「なんだ?」
問いかけに、彼は少しだけ背後に視線を向けてきた。
声をかけたのは良いが、その後に続く言葉が思い浮かばない。
怪訝そうな顔をするボルスに、パーシヴァルは薄く微笑みながら首を振った。
「・・・・なんでもない。」
「・・・・そうか?」
軽く首を傾げながらも、ボルスはすぐに視線を前に戻した。
サクサクと、新雪を踏みしめる音が辺りに響く。
ハラハラと舞い降りる雪の音に耳を傾けながら引かれるままに足を動かしていたパーシヴァルに、ボルスが前を向いたまま言葉をかけてきた。
「・・・ここの風呂って、いつでも開いているんだよな?」
「ああ。早朝の二時間は掃除で閉まるが・・・・それが?」
なんの脈絡もない質問に首を捻りながらも、パーシヴァルは頷いて返す。
その応えに安堵したような息を吐いたボルスは、少し早口に形ながら一つの提案をしてきた。
「じゃあ、このまま風呂に行こう。ちょっと、身体が冷えすぎたからな。このままじゃ眠れないだろう。」
目の前にあるボルスの耳や首筋が真っ赤に染まっている。
それは寒さのせいなのか、珍しく風呂に誘った事に照れているからなのか。パーシヴァルには判別付けることが出来なかった。
しかし、自分に対する気遣いからの言葉であることだけは確かだ。
その事が、冷えた身体にホンワカとした暖かみを与えてくれる。
「・・・そうだな。たまには、お前と二人で風呂に入るのも良いかも知れないな。」
凍えた身体を溶かすように、自然と笑みが浮かび上がった。
愛とか恋とかいう感情があるわけではない。
そうではないが、彼の存在で自分の心が救われていく気がするのは確かなこと。
「こんな事では、離れられなくなるな・・・・」
「何か言ったか?」
「いや。」
小さく呟いた声に反応して視線を向けてくるボルスに、笑みを返す。
本人には言えない事。
だけど、心の中ではそっと祈る。
この心穏やかな時を、少しでも長く過ごさせてくれと。
誰にともなくそっと祈り、パーシヴァルは真っ白な雪が降りて来る空を仰ぎ見る。
発光している様に輝く雪で、明るくなった空を。
「・・・光が、落ちてきてるみたいだな。」
「ああ。寒いけど・・・・綺麗だな。」
ボルスの言葉に、素直に頷ける。
繋がれた手の温かさが、何となく嬉しかった。
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