眠れない。
訓練が厳しいせいか、寝台に入ったらすぐに睡魔が襲ってくるボルスだったが、今日はなかなか眠りにつくことができなかった。明日も厳しい訓練が待っている。少しでも早く眠りにつき、今日の疲労を取って置かねば訓練に響くというのは分かっているのだが、身体が言うことを聞いてくれず、途方にくれていた。
「・・・仕方がない。少し、動いてくるか。」
寝間着のままで城内をうろつくのは他の騎士達に示しが付かなくなるので、ボルスは簡単な格好に着替えた。腰に剣を差したボルスは、静まりかえった廊下へと足を滑らせた。
いつも人でにぎわう城内も、夜中にもなれば静まりかえっていた。こんな遅くに部屋から出歩いたことのないボルスは、見慣れた城内を新鮮な気持ちで見て回った。
歩き続けていたボルスは、サロンの前にたどり着いた。いつも入り口に経っている見張りの兵士もこの時間には姿を消すらしい。人影を見ることはない。
扉の前に立ったボルスは、見慣れぬ入り口に視線を注いだ。
騎士のためのサロンとは言っているが、実際は上級の騎士専用になっているため、ボルスはほとんど足を踏み入れたことがない。
「・・・さすがに、こんな時間だったら誰もいないだろう。」
脳裏に小さな冒険心が芽生えたボルスは、音を立てないように注意しながらそっと扉を押し開いた。
そっと中に足を踏み入れると、広々とした空間が広がっていた。
大きな窓から差し込む月明かりに輝く甲冑に目を奪われながら歩を進めていたボルスに、突如声をかけたれた。
「・・・・誰だ?」
「うわっ!」
誰もいないと思いこんでいたボルスは、その声に飛び上がって驚いた。激しく脈打つ心臓を押さえながら慌てて声の方に視線を向けると、窓の横にすらりとした人影を発見することが出来た。
先ほど視線を向けたときに気づくことが出来なかった自分に恥ずかしさを感じながら、ボルスは人影の方へと身体を向けた。
「すいません。人がいるとは思わなくて・・・・。」
ここにいると言うことは、上司に当たる身分の者だろうと考えたボルスは、一歩前に踏み出し深々と頭を下げて見せた。それに対する人影の反応は、ボルスの想像したものと少し違っていた。
「・・・ボルス卿?」
「そうですが・・・・私のことをご存じでしたか。」
「ええ。有名ですからね、あなたは。若手騎士の中でも、特に将来有望だと。」
逆光になっていて彼の顔を見ることは出来ないが、微かに笑ったのが気配で分かった。
「・・・・実力よりも、家の力が大きいとおっしゃりたいのですか?」
回りから良く言われることだ。貴族の多い騎士団の中での人事だから、家の力が大きい者ほど重要な役職に就くことは良くある。そう言う点で、名門出であるボルスは、将来を約束されているようなものだ。しかし、ボルスはそう言った理由で権限を持ちたいと思ったことはない。そう言われるのが嫌で、毎日必死に訓練しているのだ。
陰口は叩かれ慣れているが、初対面の相手に言われるのは、例え上司であろうと気分が悪い。その思いが顔に出ていたのだろう。窓辺の男から、先ほどと違った印象の笑みを感じ取った。
「いいえ。剣の腕を含めての話しですよ。確かに、家柄も含まれての話しになってしまいますがね。」
何がおかしいのか、クスクスと小さく笑いをこぼした彼は、微かに首を傾げてボルスの顔に視線を注いできた。
「それで、ボルス卿はどうしてここに来られたのですか。今はもう、他の兵士は眠っている時間だと思いますが。」
「ちょっと、眠れなくて・・・・。」
「あれだけ訓練して、まだ体力がおありなんですか。・・・・本当に、騎士という人種は体力がありますね。」
「・・・・どういう意味ですか?」
「こちらの話しですよ。」
笑みを含んだ声でそう告げた彼は、今まで寄りかかっていた壁から背中をはがし、ゆっくりとした動きでボルスの方へと向かってきた。
いままで話しをしていた相手が誰なのか、自分が失礼なことをしていなかったかと緊張に身体を堅くしていたボルスは、顔をはっきり確認出来る距離に来て息をのんだ。
自分から見たら手も届かないような身分の人だったわけではない。逆に、見も知らない若い男だった。見も知らないが、一目で引きつけられる。
サラサラと流れる黒っぽく見える緑がかった少し眺めの髪が顔に落ち、月明かりで白く輝く肌を隠している。
笑んで細められた瞳には、艶やかな輝きが宿り、薄い唇は綺麗に弧を描いていた。
「あ・・・あんたは・・・・?」
「名乗るほどの者ではありませんよ。」
男はニコリと微笑みながら小さく首を傾げて見せた。その動きで流れるように髪の毛が動き、細く白い首筋がボルスの視界に飛び込んでくる。
何故こんなにも動揺するのか分からないが、ボルスの心臓は激しく音を立てていた。そんな自分の動揺を誤魔化すように、ボルスは勢い込んで怒鳴りつけた。
「こ・・・こんな夜中にお前はここで何をしていたんだっ!」
「散歩ですよ。ボルス卿と同じでね。・・・・夜は、なかなか寝付けないもので。」
自嘲するような、何かを軽蔑しているような複雑な笑みを見せる男の心裏は、ボルスに良く分からない。近くで見ると自分とそう大差ない年齢な気がするが、自分よりも大人にも見える。いったい彼が何者なのか、ボルスは急速に興味を覚えた。
「お前、騎士なのか?」
「どうでしょうね。」
「どうって・・・自分のことだろう。はっきりさせる気がないなら、衛兵を呼ぶぞ。」
「それは困りますね。」
「じゃあ・・・・。」
先を続けようとしたボルスの言葉は、不意に近づいてきた男の唇によってさらわれてしまった。
「・・・・っ!」
驚きのあまりに目を見開くボルスに瞳だけで微笑みかけた男は、その舌をボルスの口内へと進入させてきた。
歯列をたどり、上あごを舐め上げるゆっくりとした動きに、ボルスの性感は高められていく。
最初は戸惑いのために引きはがそうとしていたボルスだったが、どんどんその行為に溺れていき、いつも間にか男の腰を抱き支えて自分からその唇をむさぼるようになっていた。
男の手も、ボルスの首筋を支えてさらに深いつながりを求めて来るような動きをした。促されるままに舌を絡ませ続けたボルスは、不意に身体の間に入り込んできた腕の力によって、密着させていた身体から腕を放した。
口づけの余韻で仄かに顔を上気させている男は、濡れた唇を親指の先でぬぐうと、にっこりと、ボルスが今まで見た誰よりも綺麗な笑みを浮かべて見せた。
「今日の所は、これで見逃して貰えませんか?」
「な・・・・な・・・・・。」
彼の笑みと、自分がしたことでこれ以上ないほど顔を赤く染めたボルスには、しっかりとした受け答えが出来なかった。しかし、その態度を彼は了承と取ったのか、嬉しそうに微笑むとボルスの唇に触れるだけの軽いキスを寄越してきた。
「ありがとうございます。それでは、私はこれで。良い夢を見て下さい。」
「ちょっと待てっ!」
滑るような動きで部屋を出て行こうとする彼の背中に慌てて声をかけると、彼は視線だけを向けてきた。何となくその視線に気圧されながらも、ボルスは必死に言葉を紡いだ。
「お前の名前は?」
その問いに、男は揶揄するような笑みを見せ、何も答えることなく扉へと手をかけた。
「おいっ!」
慌てて駆け寄ろうとしたボルスの行動は、振り向いた視線に阻まれた。普通に見られているだけだろうとは思うが、不思議な力のあるその瞳にあらがうことは出来そうにない。
「・・・・追々、分かることですよ。慌てなくてもね。では、失礼します。」
音も立てずに部屋から立ち去る男の背中を呆然と見つめていたボルスは、ずいぶん経ってからようやく息を吐き出した。
「何だったんだ、あいつは・・・・・。」
強力な印象があった。あんなに強い瞳をした人が、騎士団の中にいただろうか。
それに、自分に仕掛けてきたあの口づけはなんだったのだろうか。何故自分は、男相手にあんなにも興奮してしまったのだろうか。
「・・・・情けないな。」
自分の鍛錬不足だと、そう思うことにしたボルスは、大きく息を吐き出した後、気を取り直すように自分の頬を二三度叩いた。
「さっさと寝て忘れよう。明日もまた訓練だ。」
自分に言い聞かせるようにそう声に出したボルスは、静かに廊下へと踏み出した。
寝台に入った後、ボルスはなかなか寝付くことが出来なかった。眠気を得るために出歩いたというのに、あまり経験のない身体の火照りで目が冴えてくる。
その火照りがどこから来た物なのか分からないほど、ボルスは子供ではない。しかし、それを享受出来るほど大人でもなかった。男相手にその気になるなど、レッドラム家の恥ではないか。そう思い、身体に灯った熱の原因について考えないようにしようとしたが、目蓋を閉じると黒い印象的な瞳が浮かび、ボルスはその日結局眠りにつくことが出来なかった。
二人が顔を合わせるのは、それからもう少し経ってからのことだ。
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