気が付いた時、その男はそこに立っていた。
何をするでもなく、ただただこちらに熱い視線を送ってくる男が。
「・・・・・あたしに惚れてるとか?」
思わずそんなことを呟きながら、メイミはその男に視線を返す。
「ンな事あるわけ無いってね。」
男は、どう考えても20代半ばと言ったところ。自分の様な小娘に欲情していたら、ただの変態だ。もしそうなら、ヒューゴの元に叩き付けに行かねばならない。
そんなことを考えていたメイミの元に、男が唐突に歩み寄って来た。
やはり変態だったか。
何か身を守るものをと、傍らにあった包丁を握りしめながら男の顔をギッと睨み付ける。そんな視線を気にした様子もなく、メイミの目の前までやってきた男は真剣な顔つきで口を開いてきた。
「お願いしたいことがあるのですが。」
「・・・・・・何?」
つき合ってくれと言われたら刺してやろう、包丁を握る手に力を込めながら問い返す。
「厨房を、お借りしても良いですか?」
「・・・・・・・は?」
思いがけないその言葉は、本気の物らしい。
真面目な瞳の色に、その事を読み取れる。
「・・・・べつに、良いけど・・・・・。」
その真剣さに押されるように、口から言葉がこぼれ落ちる。
「ありがとうございます。」
それを聞き、ニコリと笑う男の顔に、思わずドキリとするメイミだった。
「なんだかなぁ・・・・。」
チラリと後ろを振り返れば、嬉々として料理をする男が一人。
店に客がいないから良いようなものの、なんで大切な仕事場を見知らぬ男に貸し出してしまったのか。
「わけわかんない。」
自分の行動が。そして、彼の行動が。
「・・・・雇って貰いたいとか?」
新手の売り込みだろうか。
だが、今はそう仕事があるわけでもない。人を雇うだけの稼ぎは、今のところ見込めていないのだ。
「どうしたものかなぁ・・・・・。」
再び視線を背後に向け、深いため息を付いた。
人生経験の浅い自分には、どうにもこうにも妙案が浮かばない。だからといって、このまま彼の好きにさせておくわけにも行かないだろうが。
「よう!メイミ!」
明るい、聞き慣れた男の声に顔を上げれば、そこには店に野菜を売ってくれているバーツの姿があった。
大きな籠には、沢山の野菜が積まれている。
「おはよう。いつも悪いね。」
「別に良いよ。大した手間じゃないし。飯を食いに来るついでだし。」
ニッと笑って返す顔はさわやかで、その笑顔を向けられると、いつも仏頂面をしているメイミの顔も思わず綻んでくる。
「そう言って貰えると助かる。バーツの野菜は、マジおいしいし。感謝してるよ。」
「俺こそ感謝してるぜ?俺の野菜達を、いつもおいしく調理してくれてるんだからな。」
ニコニコと笑う顔は朗らかで、彼の作る野菜を食べたときのようにホッとする。
「それよりさ、中。誰か居るのか?」
僅かに鼻をひく付かせながらそう尋ねてくるバーツの言葉に、厨房を貸した男の事を思い出した。
「うん。なんかね、知らない男の人がいきなり来て、厨房貸してくれって言い出してさ。思わず貸しちゃったんだよね。」
「へー。その人って、これくらいの背丈で、顔が綺麗で、髪の毛緑っぽい?」
「うん。そんな感じ。」
身振り手振りでそう尋ねてくるバーツの言葉に、軽く頷く。言われてみればそんな感じだ。
警戒心が先に立っていて、全然気にしては居なかったが。
「やっぱり。なぁ、ちょっと中入って良いか?」
「え?・・・・・・良いけど。」
「サンキュー!」
突然の申し出の意図が分からず、首を傾げながらも頷いてしまった。
彼の瞳には、要求を拒絶出来ない何かがあるのだ。
嬉々として厨房に入っていくバーツの背中を見送りながら、中の様子を観察する。
「やっぱパーシヴァルだっ!」
「ああ。バーツか。どうしたんだ?こんなところで。」
親しげに声を交わすところからして、どうやら二人は知り合いらしい。それも相当仲が良さそうだ。
バーツの事は信用している。彼の友達ならば、そうおかしいこともしないだろう。勝手にさせておいても安心だ。
そう考えたメイミは警戒心を解き、ホッと息を吐いた。
警戒心は失せたが、何となく二人の様子は気になる。メイミは、持ってきて貰った野菜をしまいながら二人の会話に耳を傾けた。
「それはこっちの台詞だって。何やってんの?」
「見て分かるだろう。料理だ。」
「それは分かるけど、なんでそんなことやってんのさ。」
「息抜き。ブラス城では滅多に出来なかったからな。たまにやらないと、腕が落ちるし。もう少しで出来るから、食っていけよ。」
笑みを浮かべながらそう言う男の言葉に、バーツは嬉しそうに身を乗り出した。
「え?マジ?良いのか?」
「ああ。どうせ、お前の所の持って行こうと思っていた物だし。ここで食って貰った方が、後が楽だ。」
「食ってく食ってく!うわ。マジ嬉しい。パーシヴァルの手料理なんて、どれくらい振りだ?」
「去年の豊穣祭以来か?」
「ああ、そうかも。・・・・・・すまん。」
「良いよ、別に。気にするな。」
何があったのか、途端に意気消沈するバーツの肩を苦笑しながら叩いていた男は、不意にメイミの方へと視線を向けてきた。
改めてみると、綺麗な顔をしている。
最初は不審がっていて気が付きもしなかったが、男にしては綺麗な顔をしていると思っていたバーツよりも、その造作は整っているのではないだろうか。
「すいません。お騒がせしてしまって。」
「良いよ、べつに。まだ忙しくなる時間じゃ無いしさ。」
「そう言って頂けると・・・・。お詫びと言っては何なんですが、手が空いているようなら、ご一緒にいかがですか?」
そう言って指し示しているのは、作り終えたらしい料理。
長年色々な料理を見てきたメイミの目からすると、何の変哲もない、一般的な家庭で出されるような物ばかり。
だが、その香りは食欲をそそり、見た目も綺麗に整っている。
コックの端くれとして、少し興味が沸いてきた。
バーツが喜ぶ、その味に。
「・・・良いの?」
「ええ。コックであるあなたに食べて頂くなんて、おこがましいことではありますけど。」
「パーシヴァルの飯は旨いぜ?一度食って置けよ!」
嬉々としてそう言葉をかけてくるバーツの言葉に促され、メイミは小さく頷き返した。
「分かった。食べさせて貰うね。」
「そうと決まれば、さっそく用意しましょう。バーツ。人数分の食器を出してくれ。」
「はいはーい!メイミ。皿ってどこにあるんだ?」
「ああ。こっちだよ。」
嬉々として厨房を歩き回るバーツに従いながら、メイミも思わず準備に加わってしまった。朝の仕込みもまだしていないというのに。完全に二人のペースに巻き込まれている。
やっぱり厨房なんか貸すんじゃ無かったとため息を付いたメイミの目の前に、次々に料理が並べられていった。
その全ては気取った所のない、一般的な家庭で食されているような物。
「いただきまーーーす!」
子供のようにそう宣言しながら目の前にあった煮物の一つに手を付けたバーツは、もぐもぐと噛み、咀嚼してからこれ以上ないと言った感じの、幸せそうな笑顔を浮かべて見せる。
「うん!やっぱパーシヴァルの作るご飯は最高だなっ!」
「ありがとう。でも、これがおいしいと思うのは、お前の作った野菜がおいしいからだよ。」
「違うって。パーシヴァルの料理の腕が良いからだよ!」
お互いを讃辞しあう二人の様子に、メイミは呆気に取られてしまった。
「・・・・・何?二人、つき合ってるの?」
思わずそんな言葉が口からこぼれ落ちた。
その言葉に、二人は同じタイミングで驚いたように瞳を見開いて見せる。
首を巡らしてメイミを見つめるタイミングまでもがバッチリ同じで、やはりカップルなのかと心の中で確信するメイミだった。
「そんなわけ無いだろ。そりゃー。俺はパーシヴァルがこの世で一番大好きだけど。」
「私も、バーツの事が一番大事ではありますが、別につき合っているわけではないですよ。」
驚いてはいる物の、二人の言葉に何かを誤魔化すような響きは無い。
自分の考え違いだったのだろうか。
「・・・・・マジ?」
「マジマジ。」
目の前にある料理を平らげていきながら素直に頷くバーツだったが、何かを閃いたらしい。
どこか真剣そうな顔でメイミの顔を見つめてきた。
「あ。でもな。お嫁さんを貰うならパーシヴァルがいいと思っているんだ。」
また、随分とんでもないことを言い出した。それはさっき否定した事を肯定しているような発言ではないだろうか。
速攻で突っ込んでやろうかと思ったが、今は自制してみた。この先まだ何か面白いことを言うかも知れないから。
「・・・・・へぇ・・・。なんで?」
とりあえず聞き返す。それが、話を聞いている物の礼儀だろう。
「だってさ。料理は出来るし器量は良いし。頭も良い上に力もある。ちょっと子供は産めないけど、そんなこと全然関係ない位にいい男だからな。パーシヴァルは。」
嬉々として答えるバーツの言葉に、少しげんなりするメイミだった。
これはただののろけだ。どう聞いても。
どう返してやるべきか悩むメイミの思考を遮るように、パーシヴァルが口を挟んでくる。
「褒めても何も出ないぞ。・・・だけど、そうですね。私も、結婚するならバーツとしたいですね。」
「・・・・・・それはまた、なんでさ。」
片っぽに聞いておいて、もう片っぽに聞かないわけにはいかない。
これ以上のろけられてもイヤだったが、メイミは一応聞いてみる。
「誰よりも働き者で、努力家ですからね。子供の世話もちゃんと見てくれるし。良い旦那になると思いますから。」
「うんうん。なるなる!じゃあさ、パーシヴァル。これが終わったら、村に帰ろうぜ!」
「そうだなぁ・・・・。どうしようか。」
嬉々としてパーシヴァルの腕を取るバーツに、パーシヴァルはニコニコと嬉しそうに微笑み返している。
もう、好きにしてくれ。
これ以上馬鹿ップルの会話に入っていたくなくて、メイミは目の前にあった食物へと端を伸ばした。
「・・・・あ。ホントだ。マジ旨い。」
「だろ?パーシヴァルの料理は、村の中でも一二を争う上手さなんだぜ?」
「大げさな事言うな。」
困ったような、照れくさそうな笑みを浮かべているが、言われたパーシヴァルも否定はしない。
確かに、これだけの腕前ならば謙遜する事はないだろう。
父には到底およびはしないが、自分が今まで食べた中でも、かなり上位に食い込む上手さだ。
「ねぇ。うちで働かない?」
本気で問いかけた。
儲けがなくなっても、この腕は欲しい。彼がいれば、今後の売上も良くなっていく気がするのだ。何しろ、腕も良いが、顔も良いのだ。かなり。この顔を餌に、かなりの女性客が見込める。看板男にもってこいだろう。バーツと馬鹿ップルだと言うことをさっ引いても、かなり欲しい人材だ。
真剣な眼差しで顔を覗き込むと、彼は困ったように苦笑を浮かべて見せた。
「申し出はありがたいのですが、一応私にも定職がありますので、辞退させて頂きますよ。」
「・・・・・そっか・・・・・。残念。」
本気でガッカリしていると、軽く頭を撫でられた。
「そう言って頂けると、嬉しいですよ。」
子供をあやすようなその仕草に、気恥ずかしさが浮かんでくる。
「さっ。早く食べてしまいましょう。そろそろ仕込みをしないと間に合わないでしょう?」
「あっ!そうだったっ!」
言われて思い出したメイミは、慌てて目の前にある食物を平らげていく。
「バーツも。さっさと食べてくれないと片付かないんだ。」
「分かってるって。」
ニコニコと、屈託ない笑顔で返すバーツの様子に、羨ましい物を感じた。
例え馬鹿ップルであっても、彼等はお互いを支え合っている。そんな姿が、羨ましい。
自分にも、いつかこんな相手が出来るのだろうか。
いつも料理のことしか考えない頭で、ホンノ少し、未来の自分を思い浮かべるメイミだった。
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