いつも朝は早いのだが、その日はいつも以上に早く起きてしまった。
 それもこれも全てボルスのせいだと、パーシヴァルは思う。疲れているから相手にしたくないと言っているのに、無理矢理事を実行しやがったあの馬鹿男の。おかげで身体は痛いし、眠るに眠れなくて朝日と共に起き出してした。
 今日は朝から訓練指導の仕事も入っていたから、二度寝して寝過ごすわけにも行かなかったのだ。
 ベットの中でスヤスヤと、幸せそうな寝息を立てているボルスを憎々しげに見つめながら、パーシヴァルは素早く鎧を身につけ部屋を後にした。
 ボルスと同じ部屋の空気を吸っていたくなかったと言うのもあるが、部屋にいてもやることが無かったのだ。
 いつもだったら適当な時間まで本を読んでいたりするのだが、今日は読むべき本が手元に無かった。
 これまで読んでいた本が昨日の夜に丁度読み終えたので、今日図書館で次に読む本を借りてこようと思っていたのだ。
 なんともタイミングが悪い。
 一度読んだ本をもう一度開く気にもならず、パーシヴァルは散歩でもしようと城外に足を運んだ。
 早朝の空気は澄んでいて、心地良い。
 軽く深呼吸すると、身体の奥にむしばんでいた怠さが僅かに消えていく感じがする。
「・・・せっかくだから、遠乗りでもするか。」
 思えば最近忙しさにかまけてあまり乗馬していなかった。
 愛馬には時間を見つけて顔を見せに行ってはいるものの、乗ってどこかに出かける事までは出来ていなかったのだ。
 ここら辺で友好を深めておかないと、次の戦闘の時に言うことを聞いて貰えなくなるかも知れない。
 そんなことを考えながら、パーシヴァルは厩舎へと足を向けていった。

















 久しぶりに鞍を用意したパーシヴァルに、馬は嬉しそうに嘶いていた。
 綺麗な栗毛の牝馬は、つぶらな瞳で自分の事を見つめてくる。その瞳が寂しかったのだと告げていて、申し訳なさが胸を締め付けてくる。
 自分の仕事の忙しさなど、彼女には関係無いことなのだ。
「悪かったな、放って置いて。これからは、もっと時間を取るようにするから。」
 そう声をかけてやると、彼女の瞳には喜びが溢れ、すぐにでも走り出したいと言うように足踏みをしてみせる。
 そんな彼女を落ち着けながら、パーシヴァルは手綱を引いて歩いた。
 乗っても良さそうな位置まで彼女と並んで歩いてきたパーシヴァルは、あやすように軽くその長い顔を叩き、優しい色をした瞳を覗き込んだ。
「じゃあ、今日はちょっと遠くまで行ってみるか。」
 頷くような行動を示す彼女にもう一度笑いかけたパーシヴァルは、身軽な動きで馬上へと身を乗せた。
「良し、行こう。」
 手綱を持ち、そう声をかけると、彼女はその長い足で地面を蹴り出した。










 時間的にはさほど掛かってはいないが、ペースが速かっただけにかなり城から離れた所まで来た。
 方向的にはイクセの村よりもブラス城方面に近い方向を、馬が走るのに任せて駆けてきた。
 気持ちが落ちついたのか、歩調がゆっくりになり始めた馬を操り、パーシヴァルは周りが見渡せるような高台に足を向ける。
 起き出した時には半分沈んでいるようだった太陽も、今ではすっかりその姿を現していた。
朝日に輝く草原が、朝露を照らしてキラキラと輝いている。
 その美しさにしばし言葉を忘れ、ジッと視線を注ぐ。
「・・・今度、ボルスを誘ってみようか。」
 その呟きに、愛馬が抗議するように声を上げてきた。
「ゴメンゴメン。また、二人きりで来ような。」
 苦笑しながら返し、フッと空を見上げた。
 雲一つない青空が眼前に広がり、少し火照った体に吹き渡る風が涼しく気持ち良い。
「お前と走るのは、気持ちが良いな。」
 そっと愛馬の首筋を撫でてやる。
 剣を扱うことも嫌いではないが、やはり乗馬が一番好きかも知れない。馬の優しい瞳も、乗って走る時の爽快感も何とも言えない素晴らしさがあるのだ。
 チラリと太陽を見つめると、かなり高くまで上っていた。そろそろ戻り始めないと、訓練に間に合わなくなるかも知れない。まだ走り足りなさそうな愛馬の首筋をあやすように叩きながら、パーシヴァルは優しく声をかけた。
「そろそろ戻ろう。また近いうちに時間を作るから。」
 不服そうに声を上げた愛馬だったが、すぐに言うことを聞いてくれた。
 行きよりも幾分のんびり目に歩を進めていると、人影のようなものがその視界に飛び込んできた。
 こんな早朝に。しかも、通り道とは言え、モンスターも出てくる草原の中でいったい何をやっているのかと観察してみる。
 その動きから、どうやら男は体操をしているようだという事が分かった。動きは機敏だが、運動をしているものとは思えないようにたるんだ肉体を披露している男に、パーシヴァルは軽く首を傾げる。
 いったい何をしているのだろうか。一人でもこの辺のモンスターに立ち向かえるという自信があるのか。はたまたただの無謀な人なのか。
 どっちにしろ、後に死体を発見することになったら後味が悪いので、パーシヴァルはいつもの笑みを浮かべながら男にさりげなく近づいた。
「おはようございます。こんな朝早くからこんなところで、いったい何をやっていらっしゃるんですか?」
 そう声をかけた途端、男はグルリと音がしそうなくらい大きな動きでこちらに振り向き、パーシヴァルの姿を視界に捕らえた途端、絵に描いたようにニッコリと笑みを浮かべて見せた。
「やあっ!おはよう!キミも早いね!どこかで体操でもしていたのかい?」
 外見に似合わずやたらさわやかな語り口にクラッと来た。
 アンバランスなところが魅力だと言う者もいるが、この男にその言葉は似合わないだろう。
 さわやかさが似非臭くて気味が悪い。大体、何故体操なのだろうか。何故体操をすると言うことに繋がるのだろうか。さっぱり分からなかったが、近くで見る限る不審な点はない。
 まぁ、白いタンクトップに緑のジャージという格好は不審と言えば不審なのだが、それはそれで良いとする。
 ただたんにファッションセンスが無いだけかも知れない。
 とりあえずパーシヴァルは話しを穏便に進めることにした。「臭いモノには蓋をしろ」の精神で。
「いえ。早くに目が覚めたので遠乗りに出かけていたのです。あなたは、早朝の体操ですか?」
「そうだよっ!朝はラジオ体操から始まるって言うのは常識だからねっ!」
 腹の肉を震わせながらさわやかに言い切る男に、パーシヴァルの笑顔の仮面にもヒビが入る。
 こういう常識が通じなさそうなタイプは苦手だ。あまり関わり合いになりたくない。
 声をかけたことを後悔しながら、パーシヴァルは適当な返事を返す。
「そうですね。では、私は先を急ぎますので失礼します。」
 ニッコリと笑み返し、さっさと馬を進めようと手綱を操ったパーシヴァルの背後から、男の声が追いかけてきた。
「ちょっと待ってくれ!」
 ウンザリした顔を何とか笑顔に作り替え、パーシヴァルは何事も無かったような顔で振り返った。
 そのパーシヴァルに、男は突飛な事を聞いてくる。
「キミは、走るのが速いのかい?」
「・・・走るの、ですか?」
「そうさ。馬に乗った君は、走るのが速いのかと聞いているんだ。」
 何かを期待しているような男の瞳の輝きに、なにやら不気味なものを感じる。何しろ、展開が予想出来ないのだ。
 さっきまで体操の話しをしていたのに、何故今は足の速さの話しをしているのだろうか。
 しかも馬の。
 不気味でしょうが無かったが、ここで嘘を言って恨まれる事の方が怖いと思い、パーシヴァルは男の問いかけに頷いて見せた。
「ええ。この馬は騎士団の中でも一二を争うくらいの俊足ですよ。」
「そうか。では、ボクと勝負しようじゃないか!」
「・・・・・・・・・・・・・は?」
 言われた言葉の意味が分からず、パーシヴァルは首を傾げた。
 一瞬、男の近くに馬がいるのかと思って見回してみたが、そのようなものの影も形も見えない。
 では、ヒューゴの様にグリフォンを飼っているのだろうか。空を見上げてみたが、それらしい影は見当たらない。
 しばらく考えた後、パーシヴァルは恐る恐る口を開いた。
「えっと・・・・・・。馬と、何で勝負するのですか?」
 あまり会話をしたくはなかったが、一応聞いてみる。
 すると、その答えは予想もしていないものだった。
「ボクとだよ。こう見えても、足は速いんだよ?馬にだって、負ける気がしないのさっ!」
 キッパリと言い切る男に、不審な目を向けた。
 そんな人間いるはずがない。ただのホラなのか、本気でそう思いこんでいるのか、実際足が速いのか。見るからに胡散臭そうな男だけに、判断が難しい。
 思い悩むパーシヴァルの事などどうでも良いらしい。男は軽いストレッチを初め、身体を解しに掛かっている。
 今更断る事も出来ない雰囲気に軽くため息を付いたパーシヴァルは、愛馬の向きを変えて男と向き直った。
「分かりました。その勝負、お受けしますよ。」
「うん!男はそれくらいチャレンジ精神旺盛じゃないとねっ!じゃあ、『ヨーイ、ドン!』でスタートだから、間違えないでよ!それじゃぁ、行くよ・・・・。」
 かけ声と共に、パーシヴァルは一応馬に鞭を入れた。
 愛馬は勢い良く駆けだし、城への距離を一気に縮めて見せる。
 馬の体調は悪くない。
 あまり手をかけてやれていないので不安な所もあったが、馬番が良く面倒を見ていてくれているのだろう。年若い金髪の少女の姿を思い描きながら、馬を駆る。
 風が吹き抜け、頬にその寒さが突き刺さる。
 後ろはどうなっているのかと視線を背後に向けてみると、そこには米粒大くらいの男の姿しか目に見えない。
 慌てて馬を止め、目を顰めてみても同じ事。男との距離は、一向に縮まる様子を見せない。どうやら走ってはいるようだった。しかし、こちらに追いつくとは思えない程のスピードだった。
「・・・・・なんだったんだ、あの人?」
 首を傾げたパーシヴァルだったが、すぐに気を取り直して城へと進んでいった。
 追いつかないのは、本人が悪いのだ。
 待ってやる必要は無い。自分は、彼の名前すら知らないのだから。
「・・・帰ろうか。」
 パーシヴァルの言葉に、愛馬は忠実に従ってくれた。
 その馬上で大きくため息を付いたパーシヴァルは、愛馬と共に光り輝く草原の中を駆けていった。 






 パーシヴァルが男の名前をケンジだと言うことを知り、城に集まる仲間だと認識するのは、もう少し先の話しである。













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