体温

 ブライトといるときが、一番心が安まる。
 それは、彼の卵をこの手に掴んだ時から変わりはない。恩人といるときも、少しも不安を感じはしなかったが、それとはまた違う。ブライトは、自分の半身とも言うべきものだから。
 その彼と空を飛んでいたとき、足下に気になる人影と見つけた。
 最近気になる青年。
 綺麗な顔に、いつも柔和な笑みを浮かべている彼の姿が、フッチの視界に飛び込んできた。
 周りには誰もいない。彼一人で、城の敷地の中を歩いている。彼の周囲に、邪魔になりそうなものはない。そう思うと、フッチの行動は早かった。ブライトに声をかけ、一気に下降していく。
 風圧で立ち上がった土煙が目に入らぬよう腕で防御しながら、フッチは地面へと降り立った。
「やあ、こんにちわ。」
「フッチ殿。凄い登場の仕方ですね。」
 ブライトの羽ばたきで上がる土煙に僅かに顔を顰めながらも、彼、パーシヴァはいつもと変わらない笑みを向けてくれた。
 その笑顔に、胸の奥に温かいものが流れ込んだ気がした。
 それがなんなのか、フッチには分からなかったが。
「悪い。パーシヴァルの姿が見えたんで、思わず、な。」
「焦らなくても、私は逃げたりしませんよ。」
 クスクスと微笑むパーシヴァルの言葉に、フッチの顔にも自然と笑みが広がっていく。
 降りてきて良かった。
 そんな言葉が、胸を締める。
「どこかに行ってこられたんですか?」
「いや、ブライトの運動を兼ねて、少し飛んできただけだ。」
「そうなんですか。今日は天気も良いですし、空の上はさぞ気持ちいいのでしょうね。」
 そう返してくるパーシヴァルの言葉に、フッチの頭の中で名案が閃いた。
 飲みに誘いたくても、旨い口実が見つけられず、初めて肌を合わせた時以来、彼と長時間共に居たことは無かった。
 そんなフッチにも、良い材料があったのだ。
 自分にしかできない、誘いの言葉が。
「・・・・・そう思うなら、今から一緒に行ってみるか?」
「え?」
「空の上。連れてってやるよ。」
 心臓は緊張のあまり凄まじい早さで脈打っていたが、フッチは持てる力を振り絞って自然な自分を装いながらそう言ってみた。
 返事はない。
 驚いたように目を瞬かせるだけで。
「・・・・・良いんですか?」
「ああ。この後、パーシヴァルの予定が何も無いようだったら、だけどな。」
「ありませんよ。でも、本当に良いんですか?」
 窺うように再度問いかけてくるパーシヴァルに、フッチはこれ以上出来ないと言うくらいの優しい微笑みを向けたのだった。













「・・・・・凄い。家がおもちゃに見えますね。」
「そうだろう?」
 舞い上がった空の上で、ぽつりとパーシヴァルが言葉を零した。
 誰もがそう思うものらしい。
 物心付いたときから飛んでいたフッチには、その光景が当たり前なのだが、初めて飛んだ人間は皆そう言っていた。
 足下を窺うように身を乗り出すパーシヴァルの身体を支えるために、彼の腰に回していた腕に力を込める。
 着ていた鎧は、重くなると飛ぶスピードが遅くなるからと理由を付けて外して貰ったので、彼の体温が直に感じられる。
 冷たい風に体温を奪われていく空の上では、他人の体温ほど心地良いものはない。
「・・・・あまり覗き込むと、落ちるよ。」
 そう言って自分の胸元に彼の背中を引き寄せると、彼はなんの抵抗もなく身体を預けてくれた。
 その態度が、自分を信頼してくれているようで、嬉しい。
「ブライトだったら、ビュッデヒュッケ城からブラス城まで、どれくらいで行けますか?」「そうだな・・・・・。全速力で、二時間もあれば余裕かな。」
「・・・・・・本当に早いですね・・・・・。」
 感心したような呟きに、苦笑を返した。
「馬なんかとは、比べてくれるなよ。」
「比べませんよ。」
 笑みを含んだ声でそう言った彼は、再び足下に視線を向ける。
 手の平で掴めそうな位に小さくなった、城の近くにある村へと。
「・・・・・ここから見ると、簡単に直せそうな気がするんですけどね。」
「何が?」
「あの村が。」
 言われて視線を向けると、確かにあちこちに焼け跡が見える。所々に立てられた風車も焼け落ち、羽が回っていない。
 その村に向かって僅かに手を伸ばしたパーシヴァルは、何かをつかみ取るような仕草でその手を閉じ、自嘲するような笑みを浮かべてみせる。
「そんなこと、出来るわけないんですけどね。・・・・・出来たら、苦労しない。」
「・・・・・パーシヴァル?」
 言葉に潜む暗い響きを嗅ぎ取り、フッチは彼の顔を覗き込もうとした。
 だが、自分に背中を預けている彼の顔を見るのは、体勢的に少し辛い。
「何か、あったのか?」
「別に何もありませんよ。ただ、自分の無力さを感じただけです。」
「無力さ?」
「ええ。」
 何をして、彼が自分のことを無力だと言ったのか分からない。
 分からないが、そんなことは無いとフッチは思う。
「そんなことないだろう。少なくても、ぼくはパーシヴァルといることで元気が出てくるし、頑張って戦おうって言う気になる。人をそう言う気持ちにさせる事が出来るのも、一種の力だと思うよ。」
 腰に回した腕の力をさらに強め、己の顔を彼の首筋に埋め込むような形でそう呟いた。
 なんだか告白のようなその言葉に恥ずかしさを感じはしたが、口にしたことに嘘も後悔もない。
「それに、襲われた村の再建ってことで言えば、ぼくだって全くの役立たずだよ。せいぜい、ブライトと木材運ぶ位しか出来ないからね。」
 出来る限り明るく言う。
 彼の気持ちを浮上させるように。
「・・・・・ありがとうございます。」
 フッチの耳に届くか届かないかと言った小さな呟きを漏らしたパーシヴァルは、背中をフッチの胸に預けながら、その綺麗な顔を上向かせてきた。
 すり寄るようなその仕草に、少し胸がざわめいた。
「いい人ですね。あなたは。」
「おだてても何も出ないよ。」
「何もいりませんよ。ただ・・・・・また、お暇なときにはここに連れてきて頂けますか?」
 窺うような瞳に、フッチは優しく微笑みかけた。
 それは、自分にとっても願ってもない言葉だ。
「ああ。良いよ。いつでも声をかけてくれ。」
「・・・・・・ありがとうございます。」
 ふわりと、華が綻ぶような笑顔を浮かべたパーシヴァルは、右手をフッチの首裏に回し、自分の方へと引き寄せていった。
 誘われるままに唇を合わせ、その口内を蹂躙した。
 気温の低い空の上で、合わさったソコだけが異様に熱を持っていた。

 その熱さが、心地良い。

 空の上ではこれ以上の行為に進めないことを残念に思いながら、フッチは細い腰を引きつけ直した。
 少しでも多く、彼の体温を感じたくて。














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