アジトとも言えない地下道の中、ビクトールは足音も立てずに歩いていた。
 仲間に加わってからそう日が経っているわけではない。分からない事は、多々あった。人懐っこい性格をしているため、人の中にすぐに溶け込むことは出来たのだが。
「けど、一人・・・・・・な・・・・。」
 なかなか打ち解けてくれない青年の姿が、脳裏に過ぎった。
 印象的な青色を纏う彼。
 その姿を見た瞬間から、何故か目をそらすことが出来なかった。そして、誰よりも仲良くなりたいと思った。言葉を交わし、彼の考えていることを、彼自身のことをもっと知りたいと。
 だが、その望みは未だに叶えられてはいない。なぜなら、彼が自分に関わろうとしないから。
 逃げられていると思えるほど、彼は自分の前に姿を現さない。
 いや、見せてはいるのだ。ビクトールが飲んでいる酒場にも、彼は良くやってくる。だが、ビクトールと酒を酌み交わそうとはしない。近寄っても、嫌な顔をされる。
 他の人に向けられる青い瞳は優しい色をしているのに、ビクトールに向けられる瞳には険しさしかない。
 それが、少し寂しかった。
「・・・・ま、どうにかなるさ。」
 落ち込みそうになる心を鼓舞するように、わざと明るく言ってみる。
 人の心などそう簡単に変えることなど出来ないのだ。ここには、しばらく身を寄せるつもりである。その間に自分の力を認めて貰おう。信用に足る男だと思って貰えれば、皆に向けているような笑顔を自分にも見せてくれるかもしれない。
 頭の中でそんな事を考えながら足を適当に動かしていたら、見知らぬ場所に出てしまった。
「・・・・どこだ、こりゃ。」
 首をひねりながら辺りを見渡してみるが、少しも記憶に引っかかってこない。
 ぼんやりしながら歩いていたせいで、どの道を通って来たのかも記憶に無い始末。
「・・・・どうするかな。」
 ボソリと呟き、しばし考え込んだ。だが、彼が考え込んだ時間はごく短い間しかなかった。考えていても来た道を思い出せるとは限らない。ならば、地上に出る道を探して歩いた方が気分的に良い。そう思い、ビクトールは再び足を動かし始めたのだ。
 キョロキョロと辺りを見回しながら歩を進めていたビクトールの耳に、不意に人の話し声が聞こえてきた。人が居るのなら、戻り方を聞いた方が早い。思い立ったら即行動するビクトールは、考える間もなく声のする方に足を向けた。
 話し声はだんだん近づき、地下道に響いていて良く分からなかった声音も聞き取れるようになってきた。
 男が一人に、女が一人。
 どちらも聞き覚えがある気がしたが、残響が耳に残りいまいち判別を付けにくい。
 角を一つ曲がれば声の主に会えるだろうというところで、ビクトールはふと考えた。
 こんなよく場所の分からないところで男女が二人揃っているということは、逢い引きしているということではないだろうか。
 そこに、道に迷ったからといってずかずかと入り込むのはどうだろう。
 無神経と良く言われるが、それはさすがにまずいと思う。
「いや、カップルとは限らないしな。まずは様子を見てみるか・・・・。」
 そう心の中で呟いたビクトールは、目に飛び込んできた情景に、僅かに息を呑み込んだ。
 そこにいたのは、オデッサとフリック。
 解放軍のリーダーと副リーダーの二人。
 恋人同士だと周りから言われている二人の組み合わせに、やはり逢い引きだったかと呟いた。しかし、何故わざわざこんな辺鄙なところで逢い引きなんかをするのだろうか。お互いアジトの中に自分の部屋を持っていると言うのに。
「・・・・あそこじゃ、邪魔が入るか。」
 少し考えてから、ビクトールは気の毒そうに顔を歪める。
 メンバーが入れ替わり立ち代わりやってくる二人の部屋では、逢い引きなど出来る訳が無い。
 解放軍など作ってはいるが、二人ともまだ若い。二人きりでやりたい事も話したいことも多々あるだろう。
「アジトの中の、隠れ場所・・・・って、とこかね。」
 自分の考えに納得したビクトールは、二人に気付かれない内にその場を去ろうと考えた。しかし、考えとは裏腹に、視線は二人から放すことが出来ないでいた。
 自分には向けられない、フリックの笑顔。彼の話す事に耳を傾け、楽しそうに微笑んでいるオデッサの姿。
 皆の前では決して見せたことのない二人の姿から、目を離せない。
 いや、二人のではない。フリックの姿から、といったほうが正しい。
 そんなビクトールの耳に、突如自分の名前が飛び込んできた。
「そういえば、ビクトールとうまくやってる?」
「見れば分かるだろ。」
「まあね。仲良くする気が全然無いってことは、良く分かったわ。」
 さらりと告げられたオデッサの言葉に、ビクトールは少なからずショックを受けた。
 恋人の目から見ても、彼が自分の事を嫌っているのがわかるのか。
 なんとなく絶望的な思いにかられながらも、ビクトールは会話の続きに神経を向ける。
「分かっているなら聞くなよ。」
「気になるんだもの。彼の何が気に入らないというの?」
 自分もそれが聞きたかった。
 良くぞ聞いてくれた、オデッサ!
 と、心の中で彼女の事を褒め称えながらも、ビクトールの意識はさらに二人の会話に集中していく。
「何って言われても困るが・・・・・。あいつは、胸の内に暗いものがあるから。」
「暗いもの?」
「そう。何かに心を捕らわれていて、それしか見えてない。それが原因かは分からないが、自分は一人で居たいと思ってる。そのくせ、周りに誰かがいないと落着かない。そういう矛盾したところが、腹立つのかな。」
 つらつらと彼の口から零れる言葉に、ビクトールの背中に冷たい汗が伝い落ちた。
 ほとんどまともに話した事がないというのに、彼はそんな事を悟っていたのか。皆の前では、ただの青臭い理想に燃えている姿しか見せていないと言うのに。ビクトールも、そう思っていた。今時珍しい熱血野郎だと。恋人に頭の上がらない底の浅い若造だと、そう思っていたのだ。
 だが、その認識は甘かった。彼はこんなにも正確に自分の胸の内を読んでいる。何も分かっていないフリをして。
「ふぅーん。フリックは、本気で一人で居たいタイプだもんね。中途半端な彼が、許せないの?」
「それもそうだが・・・・。一番の理由は俺にまとわり付いてくるところかな。こっちは構って欲しくないって言ってるのにしつこく絡んで来やがる。俺はしつこい男は、大嫌いなんだよ。」
「モテル男は、大変ねー。」
 くすくすと笑いを零している彼女に、フリックはニヤリと笑いかけた。
 そんな顔は今まで見たことがなくて、ビクトールは少し驚いた。
「その男を恋人にしてるんだ。少しは感謝してくれよ。」
「してるわよ。ありがとう。大好きよ、フリック。」
「俺もだ。今まで会った中で、お前の事が一番好きだよ。」
「ホント?」
「ああ。」
「・・・・・・・・凄い嬉しい。」
 ニッコリと、今まで見た中で一番綺麗な笑みを浮かべたオデッサは、フリックの首に己の腕を回し、自ら口付けを与えていった。
 それが当たり前のことだと言いたげに、ごく自然な動作でオデッサの細い姿態を受け止めるフリックの姿に、何故かビクトールの胸が騒いだ。
 何故か分からないが、ムカムカする。二人の仲睦ましい姿を見ていると。
 これ以上この場に居られなくて、ビクトールは静かに踵を返していった。湿った道を歩きながら、先ほどの情景が頭から離れない。
「・・・・どうしたんだろうねぇ、俺は。」
 初めてキスシーンを見た子供でもあるまいし。
 何を動揺しているのか。
「忘れちまえ。」
 自分の心に言い聞かせるように呟いたビクトールは、長々と続く地下道を歩き続けていった。












 こちらに歩いて来る気配は感じていた。
 滅多に人が来ない場所。だから、オデッサと二人で話をする場所はここに決めていた。
 お互いの部屋は人の出入りが多すぎて、腹を割って話すのには向かない。四六時中自分を偽り続けるのは、中々骨が折れるものがある。それが続くとストレスが溜まってくる。それを解消したい時に、オデッサに声をかける。他にもストレスを解消する手だてはあるのだが、自分の本当の言葉も彼女に伝えたいから、わざわざ彼女に時間を取らせるのだ。
 『青雷』の時には言えない事を、彼女に伝えるために。
 前回の戦いの反省点。次の戦いへの意見。新しい仲間への評価。
 それらを演じている人間とは違う意見を口にしていく。解放軍のリーダーである彼女にとって、良い判断材料となるだろうから。
 この時もそんな報告をしていた。自分とオデッサしかいないはずの空間に、他の気配が飛び込んできた時にも。
 常に張り巡らせている神経に引っかかったものに、フリックはオデッサと言葉を交わしながら探るような意識を気配のする方へと向けた。
 足音は無い。だが、確実にこちらに向かって歩いている。
 気配を断つつもりは無いのだろう。存在感のある気配は、最近知った男のものだ。それに間違いはないが、何故彼がこんなところに足を踏み入れてきたのだろうか。その理由が分からない。
「フリック?」
 急に黙り込んだのをいぶかしく思ったのか、オデッサが首を傾げて尋ねて来る。
 彼女は、頭は回るがこういう事には疎い。それをカバーするためにも自分が傍らに居るのだろうが、こんなに鈍くて解放軍などやっていけるのだろうかと、時々不安にもなる。
 彼女に死なれたら困るのだ。
 とはいえ、この気配は仲間のもの。今はそう気にすることもないだろう。
「なんでもないよ。」
 ニッと笑い返せば、彼女も笑いかえして来る。
 その間にも気配は近づき、角を曲がれば姿が見えるというところで、急に男の動きは止まった。
 こちらを伺う気配はある。視線も感じるので自分たちの存在には気付いているだろう。それなのに何故声をかけてこないのか。
 意外にもスパイだったのだろうか。首をひねって考えていたフリックに、オデッサが急に話を振ってきた。
「そういえば、ビクトールとは仲良くやってる?」
 男の存在に気が付いてそんな話を振ったのかと驚いたが、そういうわけではないらしい。ただたんに、思い出しただけのようだ。とはいえ、タイミングが良すぎる。
 こういう面白さがあるから、彼女といることを止められない。
 浮かんだ意地の悪い笑みを隠すことなく、彼女へ向ける。
「見れば分かるだろ。」
「まあね。仲良くする気が全然無いってことは、良く分かったわ。」
 さらりと告げられたオデッサの言葉に、小さく苦笑が浮かぶ。
 分かっていてやっているのだとしたらかなり面白いのだが。この会話を聞いているビクトールがどう思うのか、考えたら少し楽しくなった。
「分かっているなら聞くなよ。」
「気になるんだもの。彼の何が気に入らないというの?」
 そう返され、首を傾げる。
 べつに気に入っていないわけではない。だからといって、気に入っているわけでもないのだが。フリックにとって彼の存在はあまり認識されていない。ただ、分かりやすすぎる胡散臭さがあるから、警戒しているように振る舞っているだけのこと。
 それは、全てオデッサのために。彼女の求める男の姿として、そういう行動に出ているだけなのだ。個人的にどうこう言うことは全く無い。
 しかし、この場でそんな事を言うわけにもいかないだろう。彼女の納得するような、それでいて聞いている男が自分のイメージを崩さないでいられる言葉を模索する。
「何って言われても困るが・・・・。あいつは、胸の内に暗いものがあるから。」
「暗いもの?」
「そう。何かに心を捕らわれていて、それしか見えてない。それが原因かは分からないが、自分は一人で居たいと思ってる。そのくせ、周りに誰かがいないと落着かない。そういう矛盾したところが、腹立つのかな。」
 適当に誤魔化そうと思ったが、思ってる事を素直に口に出してみた。取り繕ったような言葉では、彼女は納得出来ないだろう。自分の中身を大分理解しはじめている彼女は。
 しかし、聞いている男は自分の事をどう思うのだろう。それが気になった。
 反応によってはいなくなってもらっても構わない。新参者がいつのまにかいなくなるなんてことは、良くあることだ。
 フリックが心の内でそんな事を考えているとも気付かず、オデッサは素直に頷きを返して来る。
「ふぅーん。フリックは、本気で一人で居たいタイプだもんね。中途半端な彼が、許せないの?」
「それもそうだが・・・・。一番の理由は俺にまとわり付いてくるところかな。こっちは構って欲しくないって言ってるのにしつこく絡んで来やがる。俺はしつこい男は、大嫌いなんだよ。」
「モテル男は、大変ねー。」
 くすくすと笑いを零している彼女に、フリックはニヤリと笑いかけた。
「その男を恋人にしてるんだ。少しは感謝してくれよ。」
 彼女にしか分からない言葉を裏に潜めて語り掛ける。
 心得ているように微笑みかえすオデッサの反応が、心地よい。
「してるわよ。ありがとう。大好きよ、フリック。」
「俺もだ。今まで会った中で、お前の事が一番好きだよ。」
「ホント?」
「ああ。」
 お互いに性的な意味合いなどかけらも無い言葉。
 そんな事は分かっている。だが、言葉に偽りはない。心のそこからそう思う。
 その言葉に、オデッサは心底嬉しそうに顔を綻ばせた。
「・・・・・・・凄い嬉しい。」
 そして、フリックの首に己の腕を回し、自ら口付けを寄越して来る。それを受け止め、腰に腕を回した。
 抱きな慣れた細い身体は、素直に腕の中に落ちて来る。それを切っ掛けにするように、男の気配が立ち去っていった。
 恋人達のラブシーンを見学するほど、無粋では無かったらしい。見た目の割に、意外と気が回る。
「・・・・・どうしたの?」
 小さく笑んだのを感じたらしいオデッサにそう聞かれ、フリックは小さく首を振り替えす。
「いや、なんでもない。」
 そう答え、抱きしめる腕に力を込めた。
 しばらくこんな関係も悪くはない。
 そう、胸のうちで呟きながら。











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地下道