間違いなく、クリスは酔っぱらっているのだと思う。
そうでなければ、こんな事を続けているわけがない。イヤ、酔っているからと言ってここまではまることは普段だったらあり得ない。ただ単に相手が悪かったのか。たぶん、両方なのだろう。
どうにかして彼女を止めなければ、大変なことになる。彼女は騎士団の団長なのだ。スキャンダルになることは避けねばならない。
「・・・・・クリス様。その辺でお止めになった方が・・・・・。」
「うるさいっ!そろそろ勝てそうなんだっ!静かにしろっ!」
キッと睨み付けてくる彼女の瞳は、本気だ。もうパーシヴァルに止めることなど出来はしない。しかし、諦めるわけにも行かないのだ。騎士団のためにも、今ここで諦めるわけには。どんな叱責を受けることになっても、自分しか彼女を止める者はいない。
なんでいつもこう、貧乏くじを引いてしまうのだろうか。自分は。深いため息をついて気持ちを落ち着けたパーシヴァルは、再度クリスに声をかける。
「クリス様。それ以上は・・・・・・・・。」
「ああっ!」
パーシヴァルの声と、クリスの絶叫が重なった。その叫びに思わず口を噤む。ガクリと肩を落とした彼女の様子に、また負けたのだと言うことが伺えた。
だから止めろと言ったのだ。いったいどれだけ負けがこんだのか、聞くのも恐ろしい。
なんとなく声をかけるのを躊躇っていたパーシヴァルの目の前で、フラリとクリスが顔を上げてくる。その動きが幽鬼のようで、背筋に冷たいものが伝い落ちた。
「・・・・・お前のせいだぞ・・・・・」
「・・・・・・・そんなことを言われましても。」
「お前が声なんかかけるからっ!だから負けたんだっ!」
そんなむちゃくちゃな、と内心で呟く。彼女の瞳は本気だ。酔いに濁っているとは言え、本気で自分の勝負運の無さをパーシヴァルのせいだと思っている。
それならそれで構いはしない。構わないが、いったいいくら負けたのだろうか。それだけが知りたくて、賭の相手である男に視線を向けた。
「ははは。そんなに悔しいんでしたら、もうひと勝負して差し上げますよ?」
いらん事を言うなと睨み付けたが、時は既に遅く。
クリスはその気になって瞳を輝かせていた。
「本当かっ?!」
「ええ。銀の乙女のためでしたら、もうひと勝負くらいなんて事ありませんよ。」
「・・・・・・・・しかし、私にはもう賭けるものが・・・・・。」
「今持っていらっしゃるもので良いですよ。そう、たとえば、優秀な部下、とかね。」
にこっと、悪びれなく笑む男の目の奥に、底知れぬ深淵が伺い見える。
その瞳に見つめられ、パーシヴァルの背筋にイヤな汗が伝い落ちた。
この男に関わってはいけないと、そう長くもない人生で培ってきた勘が告げている。なんとしてもクリスを止めなければと焦るパーシヴァルを尻目に、クリスはあっさりと頷き返している。
「良いだろう。ただし、賭けるのは人間だからな。一晩だけ貸してやると言うのでどうだ?」
「良いでしょう。・・・・・それだけあれば、十分です。」
何が十分なのだと聞きたかったが、聞いたらもっとイヤな気分になりそうで、結局パーシヴァルは口を噤んだ。
この得体の知れない男に身売りするのは、もうすでに決定事項だろう。
まともな判断力を失っているクリスに、そうじゃなくても旨いマイクのイカサマなど見抜けるわけがない。
「・・・・・・・・どうしてこう、貧乏くじを引く事になるんだ?俺は・・・・・。」
これもすべて平民出だからなのだろうかと、ガクリと肩を落とし、今後のことを思い描いて盛大なため息をついたパーシヴァルだった。
クリスが何故カブなんかを始めたのか。その経緯をパーシヴァルは見ていなかった。
珍しく遠征パーティに組み込まれたクリスにつきそう形で、パーシヴァルも今回の遠征メンバーに入っていた。
残りのメンバーは英雄ヒューゴとメル。セシルにトーマス。そして、サポートメンバーにマイクという少し首を捻るようなパーティ編成。その時点で異議申し立てをしておけば良かったと、今さらになって反省したが、後の祭りだろう。
疲れが出たのか、子供達はさっさと床に入ってしまった。残った大人三人は、友好を深めましょうというマイクの言葉に乗り、酒場に残って酒を酌み交わしていた。
その時、パーシヴァルだけが店員に呼ばれた。
胸にわだかまる不安のようなものを感じつつ、パーシヴァルは店員の言葉に従って席を離れたのだ。ほんの少し。そのほんの少し目を離したその隙に、クリスはマイクとカブを始めていた。
今思うと、今回の遠征メンバーも、店員が自分を呼んだ事すらもマイクの策略だったのだろう。気がつくのが遅すぎた。今更反省したところで遅い。もう、どうにもならない状況なのだ。
「さて、何をして貰いましょうかね。」
ニコニコと、表情だけは愛想良く笑う男の瞳に、薄ら寒いものを感じる。
「ははは。そんなに睨み付けないで下さいよ。何も取って食おうなんて言ってませんから。」
そう言ってくるが、どうだか分からない。鈍い光を放つ瞳の奥に、狂気を感じる。人を嬲り殺す事など何とも思わないような、そんな狂気の色を。
クリスが賭けに負けた後、それでもまだ勝負しようとする彼女をなんとか宥めたパーシヴァルは、マイクの部屋に連れて行かれた。
鎧は既に外してある。
手元に武器は無い。
身を守る術が無い状態で、パーシヴァルはベットの上に座らされていた。
本気で居心地が悪い。
「さてと。では、選んで頂きましょうかね。」
「・・・・・・・・・・・・何をですか?」
「道具にするか、四十八手にするか。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
その言葉は本気で思いがけない物で、思わず素で問い返してしまった。
そんなパーシヴァルに、マイクはニコニコと笑いかけてくる。
「ははは。またまた、そんな。誤魔化さなくても良いですよ。」
「いや、別に誤魔化しているわけではないのですが・・・・・。」
「またまた。アナタほどの人が、私の言いたいこと位察することが出来るでしょう?」
そう言って見つめ返してくる瞳には、残忍な光が伺える。
その光はあまり思い出したくない過去を彷彿させ、気分が悪くなった。
「・・・・そう言う趣味の方だったんですか?」
「別にそう言う訳では無いんですけどね。ちょっと、興味がありまして。どうせだったら、綺麗な人を相手にしたいでしょう?」
悪びれなく笑い返してくる彼の態度に、嫌悪感が増していく。
一番嫌いなタイプだ。
出来れば、二度と関わりたくないタイプの人間。
だが、クリスの口からこの男に従うよう言い渡されている。逃げるのは簡単だが、それでクリスの顔に泥を塗るわけにも行かない。そもそも、上司からの命令に逆らう事は出来ないのだが。
「・・・・こんな事、もう無いと思っていたんだがな・・・・・・・。」
団長からの命令で、男の相手をするなどと言うことは。
予測が外れてしまった。
「何か?」
「いえ。なんでもありません。」
唇に薄く笑みを浮かべながら考え込む。
選ばせると言っているのがから、選んでも良いのだろう。
さて、どうした物か。
このタイプの人間は、絶対にサドっ気が強い。下手に道具を使わせると翌日起きあがれなくなることが多いのだ。見た限り、この男はそんなヘマはしないだろうが、おかしなクスリを使われるのは勘弁して貰いたい。
と、なると、選ぶ物は決まったような物だ。
そっちはそっちで辛い物はあるが、まだ若いし。どうにかなる。まったく経験が無いわけでもないし。
「分りました。四十八手で行きましょうか。」
その答えに、マイクはいつもと違う笑みを浮かべて返した。
心の底から楽しんでいるような、血に飢えた殺戮者の様な、そんな笑みを。
「・・・・良い選択ですね。」
「お手柔らかにお願いしますよ。私も、もう若くはないものですから。」
「またまたそんな、ご謙遜を。まぁ、お互い、楽しみましょう。」
クククッと零す彼の笑いに、明日の朝、自分が生きていられるかと疑問に思うパーシヴァルだった。
「・・・・パーシヴァル。どうしたんだ?具合が悪そうだが・・・・・?」
顔を合わせて開口一番、パーシヴァルはクリスにそう言われた。
「・・・・寝不足なだけですよ。」
「そうなのか?」
納得がいかないといった感じではあったが、クリスはそれ以上聞いては来なかった。
その様子を横目で窺いながら、パーシヴァルはホッとため息を漏らす。
さすがに一晩で全部やり通す事など出来はしなかったが、わざわざ男同士では大変だろうという体位から選んでやり始めやがったのだ。あの男は。
おかげで身体のあちこちが痛い。実際は痛いどころではないのだが、あまりそれに意識を集中してしまうと立ち上がれなくなりそうなので、ソノコトは意識の外の無理矢理追い出している。
元気よく朝食をむさぼり食う子供達をボンヤリと見つめながら、食欲など少しも沸いてこないパーシヴァルは、緩慢な動作でコーヒーカップに口を付けていた。
「おはようございます。」
背後からかかった爽やかな声に、パーシヴァルの背中がビクリと震えた。そして、コーヒーカップを握る手に自然と力が籠もっていく。
ここまで警戒したくなる人物が出来るのは、随分と久しぶりな気がする。
「おはようございます!マイクさん!」
セシルが元気よく挨拶を交わしているのを耳に入れながら、小さく息を吐いた。
もう一度、彼女の年に戻って人生やり直して見たいものだ。いや、彼女の年ではもう手遅れなのか。なんにしても、今更どうしようもない事ではあるのだが。
そんな考えてもしょうがないことを考えて現実逃避をしていたパーシヴァルに、今一番聞きたくない男の声がかけられた。
「パーシヴァルさん。昨夜は良く眠れましたか?」
「・・・・ええ。おかげさまで。」
「それは良かった。」
ニコニコと、いつもと変わりのない笑みを浮かべている男の顔は見たくもなかったが、理性を総動員して笑みを返す。
ここで引いたら負けなのだ。自分が彼よりも弱い立場なのだと思われたら、つけ込まれるだけ。人生の半分とも言うべき騎士生活の中で、パーシヴァルはそう学んで来たのだ。
笑みの中に、突き刺すような光を滲ませて彼のことを見つめれば、いつもと変わらぬ瞳の中で、小さく何かが動いたのが見て取れた。
「・・・・また、おつき合い頂きたいものですね。」
「対等な立場ででしたら、お受け致しますよ。」
男を誘うときに使う笑みを、あえてその面に浮かべて見せた。
それは、挑戦状の様なもの。
これ以上、勝手な行いは許さないという、牽制。
相手にそれが伝わったのだろう、口元にニヤリと笑みが浮かび上がった。
いつものにこやかな笑みではない、彼の本当の笑みだと窺わせるものが。
「良いですよ。イカサマ無しで、正面からおつき合い致しましょう。」
それだけ言うと、彼はなにやら話しかけてくるセシルの元へと向かっていった。その後ろ姿を見送りながら、パーシヴァルはホッと溜息をついた。
どうやら、なんとかなったらしい。
まだ気を抜くことは出来ないが、そうそう大きな行動には出てこないはずだ。
「何の話だ?」
二人の間で交わされていた話に興味を持ったのか、クリスがそう尋ねてきた。
その彼女に、パーシヴァルはいつも浮かべている薄い笑みを浮かべて返す。
「カブの話ですよ。」
「カブ?お前、賭け事なんかするのか?」
不思議そうに問いかけてくるクリスの言葉に、寝不足で疲れた脳みそが一瞬沸き返りそうになった。いったい誰のせいで自分がこんな目にあったと思っているのだと、そう怒鳴り付けたい気分になる。
しかし、その衝動をグッと堪える。
「・・・・・まぁ、人並みには。」
「そうなのか。意外だな。お前は絶対に賭け事には手を出さないと思っていたのだが。」
不思議そうに首を傾げながら、クリスは手にしていたパンにかぶり付くクリスに、内心で「それはこちらの台詞ですよ。」と突っ込んだ。
結局彼女の負けがいくらなのか分からなかったが、そもそもの狙いがパーシヴァルだったらしいマイクは、それ以前の負け分を払わなくて良いと言ってくれたので、良しとする。とは言え、今後同じ事を繰り返されても嫌なので、サロメ辺りに彼女が賭け事をする事を禁止して貰わないといけないかも知れない。まさか騎士団の公費を使い込む事はしないと思うが、団長が賭け事にはまっているというのは、あまり外聞の良いモノではない。その上、勝負運がないとなると、余計に。
ふうっと深く溜息をついたパーシヴァルは、目の前で食事を続けているクリスへと視線を向けた。
騎士という職業柄か、クリスはよく食べる。この年頃の女性だったら男の前ではとくに小食である事を見せたがるモノなのだろうが、彼女は旺盛な食欲を見せて目の前の皿を片づけていく。彼女が食している量は、普段のパーシヴァルよりも多いのではないだろうか。
そんな姿が、なんだかとても愛らしく感じる。戦場に立った時に、あの激しい気迫を見せる者とは思えない程に。今の彼女は、騎士団を束ねる者の姿には見えない。年頃の、少し世間ずれしている少女にしか。
そんなクリスの頬にパンくずが付いているのを発見したパーシヴァルは、思わずそこに手を伸ばした。
優しく撫でるように払ってやれば、クリスがキョトンとした目で見つめ返してくる。
「・・・・なんだ?」
「いえ。何でもありません。」
貴族のご令嬢らしくもっと綺麗に食べたらどうなのだと言おうかとも思ったが、結局言わずに微笑み返す。そんなラシクナイところが彼女の魅力の一つだから。あえて修正する事もない。
再び食事に戻り始めたクリスの顔を眺めながら、パーシヴァルは小さく笑みを零した。
彼女のおかげで、騎士団は色々変わった。
彼女は自分に力がないと言うけれど。だけど、確実に彼女が団長になる前の騎士団と、なってからの騎士団では大きく違う。
体勢自体はそう大きく変わっていない。相変わらず評議会が五月蠅く口を出してくるところは、何も変わってはいない。しかし、末端の騎士達の心は、少しずつ変わってきている気がする。
平民出の自分が『六騎士』と言われるようになった事で、エルフであるロランが『六騎士』と呼ばれる事で、それまで貴族連中しかなれないと言われていた重要職に平民出でも就く事が出来るのだと。実力があれば登用してもらえるのだと、そう言う希望が見えてきたのだろう。
大きな戦いの最中だと言うのもその理由だとは思うが、騎士達の気合いの入りが以前よりも強い気がするのだ。
そして、自分の生活が大きく変わった。以前よりも、上司の命令で意に添わぬ情交をする機会が減った。団長からの命令は皆無と言っても良い。その代わり、誘わなくても良い相手を誘っているのだから、状況的には変わっていない気もするのだが。
沈みかけた思考を浮上させるために、視線を前へと向けた。
目の前では、クリスが未だに食事を続けていた。一体どれだけ食べれば気が済むのだと思いながらも、パーシヴァルはボソリと、呟いた。
「・・・・早く、戦いが終われば良いですね。」
「ああ。そうだな。」
コクリと頷くクリスは、パーシヴァルの真意まで分ってはいないだろう。
だが、目標は同じだ。
早く終わらせて、クリスが団長になったばかりの、あの平和な時に戻りたいと。変な連中に絡まれなくて済んだ時に戻りたいと、切に思うパーシヴァルだった。
書き逃げる。
プラウザのバックでお戻り下さい。
罠