昨日辿り着いた、決して大きいとは言えない街の宿屋の食堂兼酒場のカウンターに腰掛けながら、フリックはボンヤリしていた。
 特にやることもない。次の仕事はビクトールが探しに行っているので、自分は待っているだけで良いのだ。
 何故彼だけで仕事を探しに行っているのか。それにはわけがあった。
 彼と旅をするようになってから一度、フリックだけで仕事を探しに行った事がある。それまでは、体調の良くないフリックのことを気遣ってビクトールが一人で探していたのだが、その時は珍しいことにビクトールの方が体調を崩していた。
 しばらく静養しようかとも思ったが、悪いことは重なるものなのか。懐具合も寂しく、すぐにでも仕事に就かないと翌日の宿代も危ない状況だったのだ。そんなわけでフリックが一人で探しに出かけたのだが、その時ろくな仕事を探してくる事が出来なかったのである。
 解放軍に入る前までは良くあることだった。優しげな風貌と剣士にしては細い体付きが原因で依頼者に信用されず、まともな仕事が回されないと言うことは。初めて赴いた場所で、最初からまともな仕事にありつけた事などあった例はない。だから、一人の時は多少無茶な仕事の取り方もしていた。力を求めている者は、力を示してやれば良いのだから。街のゴロツキを引っかけ、思うサマ嬲ってやれば、翌日には仕事に困ることは無かった。
 とはいえ、今は一人ではない。いつ別れることになるか分からないが、別れるまでは彼の前では『青雷のフリック』でいてやろうと決めている。『青雷のフリック』以前のような振る舞いをするわけには行かない。『青雷』は、そんな汚い事はしないから。綺麗で純粋なままでいないといけないのだ。
 そう言うこともあって真面目に職を探していたのだが、結果はさんざんなものだった。分かっていた事ではあるが、腹が立つ。
 胸の内で沸き上がる怒りを抑えながらビクトールに申し訳なさそうに謝ったら、逆に謝られて戸惑った事は記憶に新しい。それ以来、ビクトールは一人で仕事を探しに行くようになった。
 彼の見た目が強そうに見えるせいか、仕事はそこそこ良いものを捕まえてくるので、今のところそう大した文句もなくつき合っている。
 黙っていても仕事が入ってくるこの状況は、楽で良いかも知れない。
「・・・・・・まぁ、いつまでも続く事では無いけどな。」
 小さく笑み、注文していた安酒を一口含む。
 彼との旅は、思っていたよりもストレスが溜まらない。道中でモンスターとの戦闘がひっきりなしにあった事が大きな理由だと思う。そうは思うが、彼の存在自体が神経に障らない事も大きな要因だろう。
 デカイ図体で鬱陶しいくらいに人にちょっかいを出してくる男だが、意外に気が回るのだ。本気で苛立っていたら、無駄に構ってくることは無い。一人で居たいと思っていれば、さり気なく席を外してくれる。一緒に旅して歩くには、ビクトールはフリックにはもってこいの同行者だった。
 とは言え、フリックにはこの旅を長く続けるつもりはない。彼がミューズを目指しているというのならば、そこまではつき合おう。だが、それから先は一緒にいる気は無い。
 いい加減、一人になりたいのだ。一人で居ることが、自分に一番合っている。そう思うから。
「・・・・・・そのためにも、さっさと体調を戻さないとな・・・・・・。」
 鈍い痛みを訴える脇腹にそっと手の平を乗せながら、小さく呟きを漏らした。
 グレックミンスターで受けた矢傷は、三ヶ月以上経った今でも癒えてはいない。ビクトールには気づかれていないはずだが、街から街への移動距離が長引くと、思い出したように発熱する。それを無視して歩いていると、だんだん痛みを覚えてくるのだ。
 治りきっていないときに無理な運動をしたせいだろうとは思う。自業自得とはこういう事をいうのだろう。そう思うが、別に後悔をしているわけでもない。その時やりたいことをやると言うのが、フリックの流儀だから。
 今のところ旅は順調に続いているし、なんの問題はない。死に至るような怪我でもない限り、なんともないように振る舞うことは可能だ。
 そんな事をボンヤリと考えていたフリックの横に、一人の男が腰掛けてきた。
 漂ってくる香りは、質の良い香水の香り。チラリと向けた視線の先にあるのは、仕立ての良いスーツだった。
「お一人ですか?」
「あんたは?」
「見ての通りですよ。」
 ニコリと笑む男の顔に、媚びの色が見え隠れする。
「こんなしけた店に来るような身分には見えないけど?」
「確かに店構えは悪いですが、置いてあるものは素晴らしいものが多いのですよ。この店は。・・・・・マスター、いつもの。」
 フリックの言葉に笑顔で応えた男は、カウンターの中にいる男にそう声をかけた。男は心得ているのか、奥の棚から一本の酒瓶を出してくる。
 色々な酒を飲んできたが、見たことのないラベルだ。この町特有のものなのか、はたまたフリックが手を出せない位に高い酒なのか。
「これは、この店でしか手に入らないものなのですよ。大変上質で、一度飲んだら忘れられません。せっかくこの街に入らしたのだから、あなたに一杯お裾分けしましょう。」
 にこやかに微笑み、マスターと呼ばれた男が差し出した新たなグラスに酒を注がれた。
「では、あなたと出会えた事を祝して。」
 軽くグラスを打ち鳴らし、グイッと杯を煽った男の喉に酒が流れ込んだ事を確認してから、フリックも酒に口を付ける。
 確かに、良い酒だ。口当たりも良いし、香りも良い。上品過ぎてフリックの好みではないが、悪くはない。高い金を払ってまで飲もうとは思わないが。
「確かに、旨いな。」
「そうでしょう。しかし、コレよりももっと旨い酒があるんですよ。」
「・・・・・へぇ。どこに?」
「私の屋敷に。・・・・・いかがですか?今度、飲みにいらっしゃいませんか?」
 誘うような瞳の色に、男の目的が伺える。
 相手としては、上質だろう。最近ビクトールと一緒にいるせいでその手の話から縁遠くなっていて、たまってきてはいる。丁度良いと言えば丁度良い。
 見た感じ、変態的なことはしそうに無いから、体力の落ちたこの身体でも十分相手は出来る。とはいえ、こんな酒くらいで自分を相手に出来ると思われてもしゃくに障る。
「遠慮しておくよ。タダより高いものは無いって、子供の頃に教わったからな。」
 拒絶の言葉を吐きながらも、誘うような光を瞳に乗せてみる。
 答えによっては、相手をしてやろう。
 この男が、自分にどれほどの価値を付けるのか。試してみるのも悪くない。
「ほう、では、タダじゃなければ、飲みに来て頂けると?」
「場合によるけどな。」
 男の言葉に、フリックはその端正な顔を引き立たせるような、綺麗な笑みを浮かべて見せた。ビクトールには、今まで一度だって見せたことのない笑み。男をつる時にしか見せない笑みを。
 その微笑みにつられるように、男がそっと耳元に囁いてきた。ついこの間ビクトールと二人で稼いだ額の、軽く三倍の金額。
 直接的な金額を出してくると言うことは、自分を男娼扱いしていると言うことだ。見る目の無い男に嘲りの笑みが浮かび上がる。とはいえ、金額的には悪くない。誘いに乗ってやっても良いだろうとは思う。金があって困ることはないのだ。
 しかし、すぐに相手をしたくなるような提案でもない。そもそも、ビクトールと待ち合わせをしているのだから、この店から出るわけには行かないのだが。
 だから、曖昧な言葉を返してやった。
「・・・・・良いぜ。この街を離れる前には、あんたの言う酒を飲みに行ってやるよ。」
「そう言って貰えると嬉しいですね。何しろ田舎町ですから、あまりお客さんも来なくて。退屈していたのです。屋敷に来られた時は、旅の話を聞かせて下さいね。」
「ああ。良いぜ。」
 笑って返すフリックに、自分の名前と住処を耳打ちした男は、来たときと同じようにさりげなく店から去っていった。
 慣れているのだろう。こういう事に。旅をしながら流れ着いてきた者をチェックして、気に入った者に声をかける。遊びと一緒だから、金をかけることも厭わない。この地方では名のある家の者なのだろう。金のかけ方が半端じゃない事から、その身分の高さも推し量れると言うものだ。
 ふと、目の前に置かれたままの酒瓶に目が向いた。前金代わりと言うことだろうか。カウンター内の男に目を向ければ、小さく頷き返してくる。
 どうやら、フリックが考えた通りのようだ。
「・・・・・・そう言うことなら、遠慮無く頂いておくか。」
 飲みたくないほど好みに合わない酒ではない。上品すぎてビクトールの趣味には合わないかも知れないが、たまには彼にも高い酒を飲ませてやっても良いだろう。
 そんな事を考えながらグラスを傾けていたフリックの神経に、気分の悪くなるような気配が引っかかった。
「俺にも飲ませてくれよ、綺麗な兄ちゃん。」
 背後から下卑た声が聞こえてくる。チラリと視線を向ければ、そこにはあからさまに頭が弱そうな男が一人、立っていた。
 どこにでもこういう輩はいるものだ。相手にするのも馬鹿らしい。ここは聞こえない振りをして放置しておくのに限る。そろそろビクトールも帰ってくるだろうから、彼にこいつの相手を任せればいいだろう。あの筋肉熊を見ても逃げないくらい馬鹿では無いだろう。この男も。
 内心でそう気持ちを固めながら男を無視してグラスを傾け続けていると、男は焦れたように叫び声を上げてきた。
「おいっ!無視するなよ!」
 男はしつこく食い下がってくる。
 開いている隣の席に座り込み、酒臭い息をフリックの顔へと吐きかけてきた。
 鬱陶しいったらない。
「あんな不抜けた男よりも、俺の方が全然良いって。体力もあるからな。何度でもイカせてやるぜ?」
 吐き出された言葉に、自然と眉間に皺が寄った。
 どうしてこう、力に頼って生きているようなヤツは頭の悪い言葉しか口に出来ないのだろうか。こんな男が自分のことを満足させられるわけがない。自信過剰も良いところだ。商売女もこんな男は相手にしたくないだろう。感じている振りをするのも、結構骨が折れるのだ。
「なぁ、良いだろう?」
 なおも言いつのってくる男に、苛立ちが増す。
 いい加減黙らせてやろうかと手が伸びかけた時、背後に慣れた気配を感じた。
 振り向いて確認しなくても分かる。あの男が帰ってきたのだ。そうと分かれば、こいつを邪険に扱う事が難しくなった。彼の前では『青雷』で居ようと決めているから。『青雷』らしからぬ行動は慎まなければならない。とはいえ、この状況であの男が何も言ってこないわけが無いだろうから、それはそれでいい。
 そう思って男の好きにさせていたのだが、何を考えているのか、背後の男はこちらにやって来ようとはしない。自分でどうにかしろと言いたいのだろうか。
 いつもは過保護だと思う位に自分のやることに口を出してくると言うのに、肝心な所で役に立たない男だ。隣の男にも、背後の男にも怒りが沸いてくる。冷めた瞳に殺気を込めて隣に座る男の醜い顔を眺めやっても、相手は少しもそれに気づきはしない。
それどころか、腰に手を回しながら身体を密着させてくる。いい加減我慢も限界に達すると言うところで、いきなり男の腕が腰から取り払われた。
 ギリギリになってから来るとは、良い度胸だ。
 気づかれているとは思っていないから、おいしい場面で出てきたのだろう。普通の人間だったら感謝の気持ちで一杯になるところだろうが、自分にそんな小細工は通用しない。『青雷』も随分と安く見られたものだ。
 ビクトールの胸の内をそう読み取ったフリックは、内心で彼を罵倒した。とは言え、本人には言えない事なので、フリックはさも今その存在に気が付いたと言う表情を浮かべてみせる。
「ビクトール。」
 目を瞬きながらそう声をかけると、彼は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「仕事、見つけたぞ。砂漠の手前の街までの護衛だ。期間は大体二週間。一人一万ポッチで、早く着いたらその分上乗せしてくれるとさ。」
「へぇ、なかなか良いんじゃないか?お前にしては上出来だ。」
 思っていたよりも金額が良い。それに、さっきの男から金を巻き上げれば、しばらく苦労する事も無くなるだろう。とはいえ、臨時収入をビクトールに教えるつもりはサラサラ無いので、自分のためにだけ使う気だが。
 ニヤリと笑いかければ、ビクトールも笑い返してきた。その晴れ晴れしい顔には、ひと仕事終えた後の達成感のようなものが伺える。この仕事を取ってきたのであれば、先ほどの格好を付けた登場も許してやろう。
 そんな事をフリックが考えているとも知らずに、ビクトールは嬉しそうに語りかけてくる。
「だろ?今回の仕事は頑張ったんだぜ?」
 そう言いながら、ビクトールはさっきまで自分に絡んでいた男を押しのけて開けた席に、なんでもなかったように腰を下ろす。
 そして、嬉々とした顔で何かを喋りだそうとする。そんなビクトールの言葉を遮るように、転がされた男が喚きだした。
「てめぇっ!なにしやがんだっ!」
 掴みかかってくる男に、ビクトールは冷たい視線を向けた。戦場の中で見せる、敵を見据える時に見せる表情だ。こんな小物相手に何を本気になっているのだろうかと訝しみながらも、フリックは事の成り行きをそっと見守ってみる。
 そんなフリックの目の前で、下品な男はヒクリと身体を硬直させた。ようやく力の違いに気が付いたらしい。コレが戦場だったら、間違いなく彼は死んでいるだろう。最初の一撃で。
 恐怖のあまりか、ガタガタと震えだした男に、ビクトールは追い打ちをかけるようにドスのきいた声で呟いた。
「向こうに行っててくれないか?酒がまずくなる。」
 そう呟いただけで、男はもんどり打って立ち去ってしまった。
 ひと睨みでこうも簡単に人間を蹴散らす事が出来るのは、なかなか羨ましい。出来ることなら、自分もこうなりたかった。
 思わず賞賛してやりたくなったが、それは『青雷のフリック』の行動からは逸脱しているだろう。そう思い、フリックはワザと呆れたような笑みを浮かべて見せた。
「・・・・・何も、そこまで邪険に扱わなくても良いんじゃないか?」
 そのフリックの言葉に、ビクトールはふて腐れたように顔を歪ませる。
「十分優しく対応してやったさ。腕の一本でも折ってやりたいくらいだったからな。」
「何をそんなに苛ついてるんだよ。良い仕事持ってきたんだろ?」
「・・・・・・・・・・・・。」
 首を傾げながらそう聞き返すと、言いたくないのか。ビクトールは珍しく黙り込んだ。 その頑なな態度にため息が零れる。言いたくないなら無理に聞こうとは思わないが、デカイ図体で黙っていられると息苦しくてしょうがない。この男は五月蠅いぐらいに元気じゃないと、こちらの調子が狂ってしまう。
 そう思ったフリックは、ビクトールの前に置かれているグラスへと、己の持っていた酒瓶の中身を注ぎ入れた。
 旨い酒を飲めば、少しは気分が明るくなるのではないかと思ったのだ。彼が落ち込んでいると、こっちまで暗くなる。
「ま、言いたくなければ良いけどさ。仕事の内容、もっと詳しく教えろよ。」
「あ、ああ。そうだな。」
 この酒瓶を置いていった男が使っていたグラスを差し出す。一瞬普通に口を付けようとしたビクトールだったが、誰かが使っていた事に気が付いたのか、嫌そうに眉を寄せてみせた。だが、結局は気にしないようにしたらしい。ビクトールは、何も言わずにグラスに口をつけた。
 それを視界の端で捕らえながら、フリックも同じようにグラスに口を付ける。先ほどと変わらない上質な味に、自然と頬が緩む。そこに、不思議そうなビクトールの声が被さってきた。
「・・・・・おい、どうしたんだ、これ。」
「どうしたって、何が?」
「高いだろ、この酒。それぐらい俺にも分かるんだぞ。いくらかけたんだ?」
 訝しむビクトールの言葉は当然の反応だろう。とはいえ、本当の事を言うわけにも行かない。フリックは、適当に本当の部分を混ぜながらビクトールを黙らせにかかった。
「タダだぜ。もらい物だからな。」
「・・・・・もらい物?」
「ああ。もう飲まないからって、置いてった。」
「・・・・・誰が?」
「そんなの、俺が知るかよ。この街に来てどれくらいだと思ってんだ。」
 ニッと笑いながら酒に口を付けるフリックの横顔を、ビクトールはマジマジと見つめていた。何をそんなに驚いているのか。おかしな言動は取っていないと言うのに。
 『青雷のフリック』としても、おかしな所は無いはずだ。人の好意を素直に受け取っただけなのだから。端から見たら、そう思えるような言葉だったと思う。
 しかし、ビクトールは何か引っかかりを覚えたらしい。グラスに視線を注いだまま、何かを考え込んでいた。だが、結局何に引っかかりを覚えたのか分からなかったのだろう。しばらく考え込んだ後、小さく頷き返してきた。
「・・・・・じゃあ、俺も貰うかな。」
「そうしろ。高いだけあって上手いぞ。」
 その言葉に、ビクトールは軽く頷く。そして、いたずらを思いついた子供の様な笑みを浮かべて、フリックに語りかけて来る。
「たまには、じっくりと味わって飲むか。」
 そうは言いながらも、結局は水と同じように体内に流し込むのであろう事を、フリックは察知していた。
 ビクトールが上機嫌で杯を交わしながら、仕事を得るまでの苦労を語りかけてくる。
 何事も無かった顔で話を聞きながら、あの男の寝床に進入する経路と日取りを考えていたフリックだった。
























「こんばんわ。良く来てくれました。嬉しいですよ。」
 そう言いながら優雅に笑う男に、フリックも微笑みを返した。
 なんの予告もなく窓からいきなり進入してきたフリックに、最初は驚きの表情を浮かべていた男だったが、すぐにその表情を消し、何事も無かったように対応してくる。
 田舎貴族の割には肝が据わっていると、ホンノ少しこの男のことを見直した。
「こんな遅い時間に悪かったな。」
「いえいえ。良いんですよ。あなたに会えたのなら。」
 微笑みを浮かべながらゆっくりと近づいてきた男は、フリックの顎に手をかけると僅かに持ち上げ、口づけを落としてくる。
 性急ではあったが、その上品な仕草に気分が少し良くなる。
 思えば、これの前に関係を持ったのは傷を癒していた山村での事だ。
 あの時は力押ししかしてこない、自分の欲求を解消するだけの男に腹を立てていたものだ。しかし、今日はそんなこともないだろう。やるからには、お互い楽しまなければ意味がない。
 口づけを続けながら、男の手が慣れたようにフリックの衣服を剥いでいく。
 ゆっくりと、身体を撫でるように。
 フリックの身体を一糸まとわぬ姿にした男は、露わになった白い裸体を感嘆するような目で見つめてきた。
「・・・・・見てるだけで良いのか?」
 一切の動きを取りやめた男にからかうような瞳を向ければ、男は慌てたように首を振ってくる。
「そんなことはない。こんな綺麗な身体を自分の物に出来る幸せに浸ってしまっていただけですよ。」
「どこが?傷だらけだぜ?」
「・・・・・・その傷も、貴方の身体を飾る宝石のようだ・・・・・・。」
 うっとりとした瞳で見つめられ、思わず苦笑を漏らしてしまった。
 なんとも歯の浮くような台詞だ。 こんなきざったらしい台詞は久しぶりに聞く。
「・・・・・・ふふっ・・・・・・。」
「何か?」
「いや、なんでもない。」
 いきなり笑いを零したフリックのことを不思議そうに見つめてくる男に軽く首を振り、フリックは何事も無かったように男の唇に己のそれを寄せる。それに答えるように、男がフリックの口内に己の舌を進入させてくる。
 生暖かい男の舌の動きを口内で感じながら、フリックは解放軍時代の仲間だった者を思い出していた。
 妙に上品な立ち居振る舞い。キザったらしい言葉。実用的では無いだろうと思われる、華美な衣装。あんなヤツがまともに戦えるのかと首を捻っていたのが、つい最近の事だったように思える。
 目の前の男に彼等の姿が重なった。彼等相手にこんな事は絶対にしないけれど。
「んっ・・・・・・」
 自然な流れでベットの上に押し倒され、身体の上を、剣ダコなどとはほど遠い綺麗で滑らかな手が這い回る。
 胸の紅い飾りに引っかかった右手の指先が、弄ぶようにソレをつまみ、立ち上がらせる。
 もう片方は唇に含まれ、舌先で押しつぶすように刺激された。
 紅いソレは鬱血したようにさらに紅くなり、男はその様を満足そうに見つめていた。
 そして、フリックの身体の中へとスラリとした指先を埋め込んでくる。
「やめっ・・・・・・」
 思わず逃げそうになる身体を、鍛えていないであろう、筋肉に乏しい腕に拘束される。
「まだですよ。もう少し、おつき合い下さい・・・・・・。」
 耳元にそっと囁かれるその感触にも性感を刺激された。
 久しくやっていないから、身体が高ぶるのがいつもより早い気がする。
 男の指が、入り口を探るように撫で、襞を掻き分けるように体内を抉ってくる。
 ポイントを突かれ、身体が反応するたびにしつこくそこを責め立てられる。
「・・・・・焦らす、なよ・・・・・・・。」
 誘うように微笑めば、男がゴクリと唾を飲み込んだのが喉の動きとその音で分かった。
 行動を促すように、立ち上がった男の中心に指先を伸ばし、筋を撫でる。一瞬息を飲んだ男は、情欲に濡れた瞳を向けてきた。
「しかし、それではあなたが辛いでしょう?」
「構わない。早く、お前に貫かれたいんだよ・・・・・・。」
 そう呟いた途端、身体の奥にピリリと痛みが走った。
「っ・・・・・・あぁっ!」
 衝撃に一瞬息を詰めた。一度最奥まで突き入れられたソレは、すぐに入り口付近まで抜かれ、再び奥まで突き入れられる。
 そのたびにフリックの身体は揺れ、脇腹の傷に小さな痛みが走っていく。
「ふっ・・・・・・はぁ・・・・・・・ぁっ・・・・・・!」
 その痛みを感覚から排除しようと、小さく呼吸を繰り返す。しかし、鈍い痛みが消え去る事は無かった。
 まだ、駄目なのか。まだ本調子に戻れないのか。
 そう、心の中で呟いた。
 今はまだ、ビクトールの足手まといにはなっていない。だが、このまま傷が癒えないでいれば、いつかきっと歪みが出てくる。無理を重ねてきた弊害が、必ずどこかで。そして、あの男に手をかけさせることになるのだ。
 それが、たまらなく嫌だった。
 だからこそ、一日でも早くあの男から離れたい。一日でも早く、ミューズに行きたい。そこが二人の旅の終着地点だと決めているから。彼と離れられれば、いくらでも身体を休める事が出来るから。あの男にだけは、自分が弱っている姿を見られたくは無かった。これ以上。
「ああぁっ・・・・・!」
 大きく腰を突き入れられ、思わず高い声が唇から漏れる。
 何にも気を使うことはない。感じるまま声を出してやった方が、この男も喜ぶだろう。
「ああ・・・・・素敵ですよ・・・・・・・。」
 男は激しく腰を使いながらも、唇を重ねてくる。
 息苦しさを感じてその動きから逃れようと顔を背けたが、男はしつこく追ってきた。
 逃さないようにとフリックを止める動きを見せた手のひらが、脇腹の傷の上に重なり、鈍い痛みが全身を駆けめぐる。
「くっ・・・・・・はぁっ・・・・・・!」
 癒えていない傷を上から押され、苦痛に顔が歪んだ。そんなことにも気づかず、自分の欲望を押しつけてくる男に殺気が沸き上がる。
 自分を組み敷く男の瞳に浮かぶ欲情の色を見つめながら、フリックは冷たい光を宿した眼差しで笑み返すのだった。
























 どれくらい時間がたったのだろうか。
 情事の気怠さと、癒えない傷が悪化した事による発熱で少し頭がボンヤリする。
 そんなフリックに冷えた水の入ったグラスを手渡しながら、男が機嫌良く声をかけてきた。
「こんなに良い思いをしたのは久しぶりですよ。約束していた金額では、安すぎたかもしれませんね。」
「そうか?だったら、割り増ししてくれて構わないが?」
「そうさせて頂きますよ。」
 優雅に微笑みながら、ベットに腰掛けているフリックへ深い口づけを落としてくる。それを受け入れながら、フリックの視線は部屋の中を探っていた。
 少し離れた所に、飾り剣が壁に飾ってある。
 部屋の入り口付近には飾りに置いてあるのだろう甲冑があり、その手には一本の細身の剣が握られている。
 机の上にはペーパーナイフが置かれ、枕元には護身用の短剣が隠してあるのだろう。
 さて、どうしようか。
 唇を解放した男に、フリックは何気なく問いかけてみた。
「この部屋に、風呂場はあるのか?」
「ええ。続き部屋にありますが・・・・・・使いますか?」
「ああ。一緒に入ろうぜ。洗ってやるよ。」
 婉然と微笑みかけてやれば、何度も達したはずの男のそれが力を持ち始めたのが見て取れた。
「・・・・・・・こちらですよ。」
 期待の籠もる顔を隠そうとして失敗している男に続いて、部屋の中を歩いていく。
 その際に、気づかれぬように壁に掛かった剣の一つに手を伸ばし、背後にそっと忍ばせる。
「さぁ、どうぞ。この浴室は自慢の一品で・・・・・・・」
 言葉は最後まで語られることは無かった。
 振り向いた所を、細い飾り剣で心臓を貫かれたのだ。
 驚愕の表情で強ばる男に優しく微笑みかけながら、握った剣をさらに奥まで突き入れる。
 男の口から大量の血がわき出て、口づけするような近さに寄っていたフリックの顔に返り血が飛びかかった。
「悪いな。俺は、自分を抱いたヤツは生かしておけない性質なんだ。」
 ゴメンネ。と、小さく呟きながら、血が溢れている口に己の唇を寄せ、口づけを交わす。
 既に事切れている、男の身体と。
 手を放すと、男の身体がズルズルと床に崩れ落ちていく。それを、冷めた瞳で見下ろす。
 心臓からどくどくと赤い液体が沸き上がっている。その鮮やかな赤色に、ホンノ少し気分が良くなった。とは言え、モノを言わない肉の固まりからは早々に興味を失われる。フリックは浴槽へと足を踏み入れ、返り血と男の残滓を綺麗に流した。そして死体を跨いで部屋へと戻り、さっさと身支度を整える。その動きにはなんの迷いも見えない。
 人一人を葬った事への後悔も。
 自分に渡されるはずだったと思われる金の入った袋を探し出したフリックは、入ってきたのと同じ窓辺に近づき、窓枠に手をかけた。そして、チラリと背後を振り返る。
「・・・・・・・それなりに、楽しかったぜ。」
 ニヤリと口元を引き上げたフリックは、音もなく窓から身を滑り出し、誰にも気づかれることなく宿屋へと戻っていった。




















 宿屋の部屋に戻ると、ビクトールは幸せそうな寝息を立てていた。
 酒に混ぜた睡眠薬が効いているのだろう。物音に反応する気配はない。
 その事を確認しながら、自分に割り当てられたベットに腰をかけたところで声がかかった。
「・・・・・・・血の臭いがするな。」
 滅多に聞くことは無いが、知らない声ではない。
 慌てることなく声の方に視線を向けると、ビクトールの武器である星辰剣がこちらに視線を向けていた。
 夜の紋章相手に自分を取り繕うのも馬鹿馬鹿しい。
 フリックは、彼に小さく笑いかけた。
「ビクトールには、黙ってろよ。」
 少しも慌てずにそう返したのが以外だったのか、星辰剣はしばらくの間黙り込んでいた。そして、不機嫌そうな声で続けてくる。
「タダでわしを黙らせようと言うのか?」
「暇な時に手入れぐらいしてやるよ。それで手を打たないか?」
「・・・・・・・・・良いだろう。」
「ありがとう。」
 星辰剣の言葉に綺麗な笑みを返して礼を言うと、彼はそれ以上何も言っては来なかった。
 そんなにも手入れを必要としていたのだろうか。確かに、ビクトールが剣の手入れをしている姿を見たことはなかったが、切れ味が鈍っている様子も無いのでそれなりにやっていると思っていたのだが。認識違いだったのだろうか。
 首を捻りながらもベットの中に身を滑り込ませた。
 脇腹に鈍い痛みが走ったが、眉を潜めるだけに止める。とりあえず今は身体を休ませる事しか出来ることはない。
「・・・・・・・難儀なヤツだな。青雷も。」
 ボソリと呟かれた言葉に、小さく笑みを浮かべる。
 たぶん、フリックの怪我の具合を察しているだろう。だからといって、ビクトールに教えるつもりも無いようだ。彼は、自分に益になることでしか動かないから。だから、あえて口止めする必要はない。口止めなどしたら機嫌をそこね、ビクトールに教えかねないから、しない方が賢明だ。
 そんな風に考えていたフリックに、星辰剣がもう一言付け加えてきた。
「こやつは体力だけはある。旨く使え。」
 それだけ言って押し黙る。
 その短い言葉に、フリックは自然と笑みを浮かべていた。自分を扱うモノの事しか、ビクトールの事しか眼中に無いと思っていたのだが、自分の事も結構気にかけて貰っていたらしい。真の紋章の化身とはいえ、剣に心配される自分はどうなのだろうかと思いはしたが、下手な人間に心配されるよりも気分が良いのは、自分が剣を扱うモノだからだろうか。
 ビクトールは生意気だとか口うるさいだとか、扱いづらい等と散々文句を言っているが、なかなか良いヤツだとフリックは認識した。彼と旅をするのも、そう悪くない事かもしれないと。
 そんな彼の心遣いに答えるように、フリックは囁くように言葉を返した。
「ああ、分かっているさ・・・・・・・。」
 言葉を発した後に、そっと瞳を閉じる。
 今の自分にとっては、眠ることが一番の薬だろうから。
 明日から二週間、護衛の仕事も入っている。弱音は吐くことは出来ない。例え仕事が無くても、そんなモノは吐いたりしないのだが。
「・・・・・ミューズか・・・・・・。」
 思わず言葉が零れる。そして、そっと脇腹の傷へと、手の平を乗せる。少し熱を持ち始めた、傷跡へと。
 男との旅の終着点は、まだまだ遠い。それまでに自分の体力は持つだろうか。いや、持たせなければならない。何があっても。あの男には、二度と弱っている自分の姿をさらしたくは無かった。誰かに守られる自分の姿など、想像しただけでも虫唾が走る。
 まだ見ぬ街を、頭の中で思い浮かべる。そこに、一秒でも早く着く事を願いながら、フリックの意識は深く沈んでいった。
 つかの間の休息を求めて。




















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滅茶苦茶黒い。









悪い人