夜の水

 真夜中の風呂に入るのは気持ちが良い。
 何しろ、広い湯船に誰もいないのだから。
 ゴロウもさすがに番台に立っていないので、何をやっての咎められない。
「やっぱり、風呂に入るのはこの時間が一番だな・・・・・。」
 満足気なため息を付いたパーシヴァルは、仰向けになりながら全身を湯船の底に浸していく。
 湯船に潜るなどというガキっぽいことは、他の人間がいるときには出来ないことだが、パーシヴァルは結構これが好きだった。
水の中で目を開き、水面に反射してキラキラ光る照明を見ていると、何とも言えない幸せを感じるのだ。
 小さい頃に遊んだ川の事を思い出して。何も考えず、気の向くままに過ごしていた幼い日々を。
 昔を懐かしむのは、年を取った証拠なのだろうか。
 自嘲的に口元を歪めたパーシヴァルは、沈めていた身体を一気に水面に浮上させた。
「・・・うわっ!」
 その瞬間、入り口から聞こえてきた叫びに、パーシヴァルは顔にかかる前髪を後ろになでつけながら視線をチラリと向けてみた。
 そこには、なにやら狼狽えているレオの姿があった。
 酒でも飲んでいたのか、その顔は通常では考えられない位真っ赤に染まっている。
 酔いが回るから、風呂は控えた方が良いのでは無いかと進言しようとしたパーシヴァルの言葉を遮るように、レオは大きく頭を振ってきた。
「す・・・すまんっ!そういうつもりはなかったのだっ!」
「・・・はぁ?」
「本当にすまんっ!」
 そう叫ぶようにして言葉を発したレオは、慌てた様子で風呂から出て行った。
「・・・・どうしたんだ?」
 その尋常ではない態度に首を傾げはしたものの、パーシヴァルはそのまま放って置くことにした。
 詳細は明日の朝にでも聞けばいい。今はゆっくりと湯船に使っていたい気分なのだ。
 湯船の端に顎を乗せたパーシヴァルは、深呼吸するように息を吐き出し、ゆっくりと瞳を閉じていった。
 湯の温かさに誘われ、緩やかな眠りに身を任せていると、遠慮がちに入り口の戸が開かれる気配を察した。
 ゆっくりと視線を向けてみると、こちらを窺うようなレオの姿が目に映る。
 いったい何をやっているのか。
 不審に思いながらジッとその顔を見つめると、彼は狼狽えながらも言葉をかけてきた。
「スマンが、ここはどう見ても男湯だぞ?入るところを間違えていると思うのだが・・・・・。」
「・・・・・?」
 言われたことが良く分からず、パーシヴァルは微かに首を傾げた。
 何故男の自分が男湯に入っているのが間違いなのだろうか?
 これは新手のいやがらせだろうか。だとしたらレオにしてはなかなか高度だ。
「いくら深夜で人がいないとは言え、自分が女湯に入るわけにも行かないので、すぐにでも変わって貰いたいのだが・・・・・・。」
 まだ言うのか。この男は。
 視線を泳がせながら言葉を続けるレオの様子に、パーシヴァルの機嫌が悪くなる。普段だったら軽く交わしている事も、気分良くしているのを妨げられたのだから無性に腹が立つ。
 睨み付けるような視線に気が付いたのか、レオの動揺はさらに強まったらしく、なんだか意味の分からないことをブツブツ呟いている。
 37になる大の男がなにをモジモジしているのだと内心でののしりながら、パーシヴァルはことさら優しい声音で声をかけた。
「どういう意図があってそう言うことを仰るのか知りませんが、私に対する嫌がらせなのだとしたら、こちらにもそれ相応の対応をさせて頂きますよ・・・・・?」
 言葉と共に、ニッコリと笑いかける。
 しかし、その目の奥は笑ってはいない。逆に剣呑な光さえ浮かんでいた。
 それに気づいているのかいないのか、レオは呆然とした様にパーシヴァルの顔を眺めている。
「・・・・レオ殿?」
 さすがにその様子はおかしいと思い名を呼んでみると、彼はパラライズから回復したもののようにビクリと身を震わせた。
「・・・・お前、パーシヴァルか?」
「何を今更そんなことを。同僚の顔も忘れるほどお歳を召しているわけでもないでしょう?」
「・・・・その嫌みったらしい喋り口は、パーシヴァルだな・・・・・。」
 そんな失礼な言葉を吐き出したレオは、頭をボリボリと掻いた後、何かを吹っ切るように大股で近づいてきた。
 と、思うといきなりその大きな手で湯船の縁にかけていたパーシヴァルの顎を持ち上げ、その顔をジッと覗き込んだ。
「・・・・・なんなんですか。」
「いや、なんでもない。」
 いきなりの行動に不愉快そうにそう呟くと、レオは怒ったような顔で手にしていた顎を解放した。
 と、思うと何も言わずに洗い場へ向かい、黙々と己の身体を洗い出した。
 いったいなんだと言うのか。レオの奇行に首を傾げたものの、会話を拒むような背中に声をかけるのも忍びなく、パーシヴァルはジッとその背を見つめ続けた。
 パーシヴァルとは全然違う大きな体には、どんなに頑張っても付けることの出来ない筋肉が盛り上がって見える。動くたびに伸縮を繰り返す筋肉に、少し羨ましい物を感じる。
 自分がこんな身体だったら、少しは人生変わっていたかもしれない。
 ここまでの出世も無かったかも知れないが、自分で自覚出来るほど性格が歪む事もなかった気がする。
 なんにしろ、仮定の話だから実際どうだか分からないし、今更どうなるわけでもないので考えるだけ無駄な事ではあるのだが。
「・・・・何をジロジロ見ているんだ。」
 視線に居心地の悪さを感じたのか、ボソリと呟いてきたレオに、パーシヴァルは先ほどの嫌がらせの仕返しとばかりに言葉を返す。
「良い体をしていらっしゃるなと、思いまして。そんな良い身体をしていらっしゃるんだから、さぞかし夜の生活も強くてらっしゃるんでしょ?」
「な・・・何をたわけたことをっ!」
「オヤ。ではその身体は見かけ倒しだと?以前抱いて頂いたときは、なかなか良かったと思うのですが・・・・・」
「パーシヴァルッ!」
 顔を真っ赤にして怒鳴り返して来るレオに、パーシヴァルはニヤニヤと笑いかける。
 その顔に苦虫をかみつぶしたような顔をしたレオは、頭からお湯をかぶって石けんを流し、大股で湯船に近づくと音を立てて湯船の中に入り込んだ。
「・・・・どうしてお前はそういう口の利き方をするんだ・・・・・。」
「さっきのレオ殿の態度への仕返しですよ。女湯に行けとは、レオ殿にしてはなかなか気の利いた言葉でしたよ。」
「そ・・・それは・・・・・。」
 途端に顔を赤らめ、視線を反らせてくるレオの様子に、首を傾げた。
 どうやら本気で照れ、そのうえ狼狽しているらしい。
「・・・お前のことは、一瞬女性に見えたんだ。だから、嫌がらせとか、そういうことではなく・・・・。」
「失礼な。私のどこが女性に見えると言うんですか。レオ殿に比べたら線が細いかも知れませんが、一般的な男性よりはしっかり筋肉がついているんですよ?」
 子供の頃ならいざ知らず。いい大人になってから女と間違われたことが無いパーシヴァルは、少しショックを受けた。
 ナッシュ辺りに言われたなら殴って終わりにしているところだが、真面目なレオに言われると、そんなに自分は線が細いのかと考え込んでしまう。
 どんなの努力をしても筋肉も体力も付かない自分の身体が恨めしい。
「いやっ!そういうわけではないっ!ただ、水から上がってきたお前が、凄く綺麗だったから・・・・・。」
 そう言って、レオは口を噤んでしまった。
 パーシヴァルも言われた言葉にしばし唖然とした。
 ボルスはともかく、レオの口からそんな言葉を聞くとは思ってもいなかったのだ。
「・・・・それは、ありがとうございます・・・・。」
 思わずこぼれ落ちた言葉に、レオはさらに顔を赤くしてしまった。
 同僚の顔の作りを褒めるのにこの反応で、まともに女性を口説くことが出来ているのだろうか。
 そんなことを考えていたパーシヴァルの瞳に、水の中でその存在を主張しだしたレオのモノが目に入った。
「・・・・・・レオ殿。」
「・・・・・スマン。気にするな。」
「そう言われましても・・・・・。」
 さらに顔を赤くしてそっぽを向いてしまったレオの様子に苦笑が浮かぶ。
「そのままじゃお辛いでしょう?なんだったら、お相手しますが?」
「・・・・パーシヴァル・・・・・。」
「べつに初めてってわけでも無いでしょう。今更照れなくても良いですよ。」
 ニッコリと笑いながら、向けられた背中に手を伸ばし、背後から奪うように口付けた。
「しかし、この場では・・・・・・。」
「大丈夫ですよ。こんな時間に滅多に人なんか来ませんから。」
 言いながらレオの身体の中心にそっと手を伸ばすと、ソレは一気に力を増し、顔をもたげてみせる。
「こちらの方は、十分やる気ですよ?」
「・・・本当に、嫌な事しか言わない口だな・・・・・・。」
 困ったような笑みを浮かべたレオは、パーシヴァルの言葉を塞ぐように激しく口づけを返してきた。
 口づけながら、レオの大きな手のひらはパーシヴァルの身体を撫で上げていく。
 湯船の中にどっかりと腰を落ち着けたレオは、片手でパーシヴァルの腰を支えて自分の前に膝で立たせ、目の前に来た赤い飾りに己の唇を近づけた。
「あっ・・・・!」
 刺激で立ち上がったモノを舌で転がし、時折思い出したように噛みつくと、パーシヴァルは逃げるように身体を反らせる。それを逞しい腕で拘束しながら、空いた手の指をパーシヴァルの後穴に差し入れた。
 一度抱いた身体の、どこが反応する部分なのか、レオはある程度記憶していた。
 自分の目の前で踊る白い身体は印象的で、一生忘れることなど出来はしない。
 一夜の夢かと思っていたモノが、再び自分の腕の中に落ちてきたことに、レオは柄にもなく興奮した。
「んっ・・・・あっ・・・・」
 耳元に、パーシヴァルの濡れた声が聞こえてくる。
 はかれる吐息は熱く、自分の腕で、指で感じている事が分かる。
「・・・パーシヴァル。」
 名を呼ぶと、快感に潤んだ瞳が自分の瞳に向けられた。
 いつもの取り澄ました彼とは違う顔。
 真っ直ぐ前を向いているような、清涼な雰囲気を纏っている彼とは全然違うその姿態。
 その二面性から、目を離せなくなる。
「レオ殿・・・・・。」
 下りてくる口づけに答え、思う様口内を蹂躙する。
「・・・そろそろ、良いか・・・・?」
 耳元で呟いた声に、パーシヴァルは小さく頷き返してくる。深く息を吐いた彼は、立ち上がったレオのモノにそっと手を添えると、ゆっくりと自分の体内に納めていく。
「っ・・・・はあっ・・・・!」
 深いため息と共に、レオのソレは湯とは違う温かさに包まれて行く。
 その熱の心地よさに、興奮が高まっていくのを自覚した。
「スマン・・・・。抑えられそうにない・・・・・。」
「・・・構いませんよ・・・。ただ、痕は付けないで下さいね・・・・?」
「分かった。善処する。」
 神妙な面持ちで頷くレオに妖艶な笑みを向けたパーシヴァルは、契約の印のように口づけを落としてきた。
















「・・・・・のぼせましたよ。完全に・・・・・。」
「スマン・・・・・。」
 湯から上がったパーシヴァルは、怠そうにしながら床に座り込んでいた。
 最初の一、二回までは良かったのだが、それ以降が悪かった。
 熱い湯に浸かったまま、体温を上げるような運動を続けたのだから、のぼせない方がおかしい。
 年中我慢大会をワン・フーらとしているレオは良いとしても、元々の体力からして違うパーシヴァルにはこたえた。
「気にしないで下さい。誘ったのは私ですから。」
「しかし、途中で止めなかった俺にも責任はある。」
「・・・それは、確かに。」
 パーシヴァルの制止の声も聞かずに、レオは自分が満足するまで事を進めたのだから。
「・・・・まぁ、今回のことはお互い様って事ですかね。」
「・・・うむ・・・・。」
 納得してはいないようだったが、パーシヴァルの微笑みにつられるようにレオも渋々と頷き返してくる。
「・・・こういう事は、あまりしない方が良いと思うぞ?」
 不意にかけられた言葉に、パーシヴァルは軽く目を見張った。
 心配するように歪められたレオの顔に、くすぐったいものを感じる。
「大丈夫ですよ。ちゃんと、人は選んでますから。」
「そう言うことではなく・・・・・。」
「じゃあ、次もまたレオ殿に声をかけますよ。それで良いですか?」
 軽く首を傾げて問い返すと、レオの顔は面白い位に真っ赤に染まっていく。
 何かを言おうとあわあわと動いていた口は、諦めたように深いため息を落とすだけになった。
「・・・・心配する事なんてないですよ。一応分別のある大人ですから。」
「お前の言葉は、信用できん。」
「失礼ですね。」
 クスクスと笑い返すと、レオは困ったように顔を歪め、おもむろにパーシヴァルの身体に手をかけてきた。
 何をするのかと様子を窺っていると、レオは軽々とパーシヴァルの身体を抱え上げ、脱衣所から外に向けて歩き出した。
「レオ殿・・・・?」
「どうせすぐには動けないんだろ。部屋まで送ってやる。」
 ぶっきらぼうに告げられた言葉に、再び笑みが零れる。
「お手数をおかけします。」
 首に腕を巻き付け、耳朶を舐め上げながら耳元でそっと囁いたら、軽く殴られてしまった。これ以上何かしたら放り投げると怒られ、パーシヴァルは大人しくしていることにした。
 レオの肩越しに見る世界は、いつもと同じようで微妙に違う。視線の位置が変わっただけなのに、なんだか目新しく思えるから、不思議なものだ。
「どうした?」
 小さく笑ったのを気配で感じたのか、レオが尋ねてくる。
「いつも同じ位置からものを見たらいけないのだなと、実感していたのですよ。」
「・・・・そうか。」
 パーシヴァルの言葉に意味を解さなかったのか、レオは軽く首を傾げながら頷き返してくる。
「さて、ついたぞ。一人で歩けるか?」
「大丈夫ですよ、それくらい。レオ殿は過保護過ぎです。」
 部屋の前で慎重に身体を下ろすレオに苦笑を返しながら、パーシヴァルは床に足を下ろした。
 のぼせからくる酩酊感はとうにない。腰が少し怠くはあるが、たいした支障をきたすものではない。
「お手数をおかけしました。」
「いいや。では、俺は帰る。たいして寝る時間もないとは思うが、ゆっくり休め。」
「レオ殿も。」
「ああ。」
「レオ殿!」
 素早くきびすを返したレオを呼び止めたパーシヴァルは、何事かと振り向いたレオの唇を、掠めるように奪った。
「パ・・・パーシヴァルっ!」
「就寝の挨拶ですよ。・・・お休みなさい。」
 秀麗な顔にうっすらと笑みを浮かべながら、パーシヴァルは滑るように己の部屋へと身を隠した。
 しばらくの間扉の前で立ちすくしていたレオの気配を窺っていたパーシヴァルは、彼が去っていくのを確認してから、部屋の中へと歩を進めた。
 ベットに近寄ると、そこには幸せそうな寝顔を浮かべたボルスが横たわっていた。
「・・・・・アホ面下げて・・・・・。」
 クスリと笑ったパーシヴァルは、額にかかる前髪をそっと指で掻き上げ、露わになった額にそっと己の唇と触れさせた。
「・・・・お前だけじゃなくて、ゴメンな・・・・。」
 自嘲的な笑みをボルスの寝顔に向けたパーシヴァルは、窓から差し込む月明かりを、長い間見つめていた。













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