護憲大会と福島社民党党首

第46回護憲大会が11月1日、ホクト文化ホールに県内外から2,800人の参加者を迎え3日間の幕を開けました。私は県実行委員として、また地区実行委員会事務局長として裏方で運営に参画してきました。県実行委員会の設立から9か月、地区実行委員会の設立からは6か月、それぞれ10回の企画会議を経て準備してきた大会が無事開催されたことに感慨を覚えました。

式典に来賓として招かれた福島瑞穂社民党党首・内閣特命大臣は2人の大臣SPと長野中央署の警備に警護されながら、護憲を党是とする社民党の党首として、「瑞穂節」を炸裂させ長い挨拶を行い、大きな拍手をもらいました。308議席を獲得した民主党に対し、現有のわずか7議席の確保に止まった社民党ですが、連立政権の一翼を担うことになりました。大臣としてのナマの福島党首を遠くから見ながら、政権交代を実感した瞬間でもありました。参議院議員選挙、総選挙など長野での遊説を間近に見、時には街頭宣伝車に同乗したこともある福島党首が大臣になったのです。8月30日は自民党支配に終焉をもたらした、まさに平成維新とでもいうべき歴史的な日であったのです。

その福島党首が閣僚の資産公開で鳩山総理に続いて2番目であったことはショックでした。2億5千万円という金額も驚きです。夫婦で弁護士をされていた経歴は承知していましたが、よく貯め込んだものです。39人の市議会議員の中で1番貧乏な市議会議員と自他ともに認める(?)私には庶民感覚・市民目線とはいささかかけ離れているのではと言わざるを得ません。年収200万円に満たない労働者。年越し派遣村に身を寄せた派遣切りの労働者とは余りに格差があります。ワーキングプアーを訴えても説得力に欠けてしまいます。土井たか子元社民党党首に請われ1998年の参議院選挙に当選して現在2期目、来年7月が改選期となります。党員という立場からも敢えて言わせてもらえば、党首はやはり衆議院総選挙を勝ち抜いた政治家であるべきです。

私が政治を志した原点でもある、尊敬する田中正造氏の政治姿勢をこれからも貫いてまいります。「正道一意、進ムアッテ退リナシ」。がんばります。