地区内外の住民が力を合わせ小田切・水内鎮神社御柱祭

諏訪の御柱が大変な盛り上がりのようだ。残念ながら私はまだ見たことがない。6年後は是非とも体感したいものだ。しかし、御柱は諏訪だけではない。我が故郷、小田切にも長い歴史と伝統を持つ下宮野尾区の水内鎮(みのちしずめ)神社の御柱祭がある。40年以上も前、当時小学生高学年であった私に御柱の記憶がある。まだまだ小田切が元気な時代であった。しかし、現在の下宮野尾区は28戸しかない。1人暮らし、2人暮らしが多く住人も60人ほどである。前回も今回も住民の意向調査を行い、多数決で実施を決めたと聞く。市議会議員になって11年目。前回に引き続き、2回目のお招きをいただいた。。

ご案内のとおり11時に公民館に出向くと、既に戸隠中社の水野神官さんがお見えになっておられた。実家のある小田切麻庭神社の春祭りにもお見えいただいた。氏子総代の竹内さん、区長の宮沢さんから丁重なご挨拶をいただき、さっそく御神酒が出てくる。氏子の皆さんは礼服姿である。つまみ折りを開け、赤飯をいただきながら、次から次と来るお酌にいささか閉口しながら、杯を差し出す。2時間もご接待をいただき、引き出しは午後1時である。

直径約30センチ、長さ約7メートルの御柱は杉である。重さは700キロ?もある。いくつもの大きなカーブのある結構な坂道(市道矢平保玉線:幅員は7メートルと広い)を1時間半をかけて境内に引っ張った。地区の出身者や親戚、小田切園の利用者・職員など総勢約100名の力が成し遂げた。小田切中学卒業以来30年ぶりに同級生であった双子の美人姉妹にも合うことができた。4つ下の妹の同級生など思いがけない出会いもあった。引っ張り上げた境内鳥居にはもう一本の柱が用意されている。その昔は1本は下宮野区が、もう1本は小田切の他地区が順番で神社まで曳航したとのことだ。鳥居からお宮まで約150メートルを競い合って引っ張ったらしい。とにもかくにも2本を立てる。千曲市での事故の教訓から小型の重機を使いワイヤーを引っ張った。苦労したが無事に2本の御柱が立派に立った。

大きな拍手が沸き上がった。過疎化と少子高齢化のために実施が危ぶまれた御柱をやり遂げた氏子をはじめ、地区住民の皆さんに心から敬意を表し、感謝を申し上げたい。元気は自ら出さなければならない。人がいない。年寄りばかり。やめてしまえばそれでおしまいである。ますます寂しくなるばかり。負の循環だ。参加した全ての人々の笑顔が印象的だ。やってよかった。やればできる。そんな気持ちを共有できたと思う。小田切園が無くなっても、地区の住民が更に少なくなっても地区内外の住民の熱い思いがある限り、御柱は続けることができる。そんな希望を持つことができた1日でもあった。