小田切園の後利用は霧の中!

9月25日 26回目の小田切園祭が盛大に開催された。昭和60年4月1日に開所した小田切園に書記としてお世話になってから26年が経過したことになる。30歳で4回目の転職で知的障がい者授産施設の職員として2年間、勤務させていただいた。福祉施設での勤務も初めて。外から傍観者としての概念でしかなかった福祉が仕事になった。現在 4期目の市議会議員として活動させていただいているが、その原点が小田切園である。

その小田切園が来年3月末日をもって、移転してしまう。小田切園の名称は必然的に使えない。つまり小田切園はなくなってしまうのだ。その理由の1つは小田切園の裏山が急傾斜(30度を超える)のため、土砂災害防止法のレッドゾーン、イエローゾーンに指定されてしまったため、障害者自立支援法の施設設置要件に抵触すること。2つは障害者自立支援法では重度者が30名以上でなければ入所施設としての要件を満たさないためである。小田切園の利用者は障がいの度合いが比較的軽いため、重度者が30名に満たない。2つの法律により、小田切園が現在地で存続することは不可能なのだ。

あまり歓迎されない施設を地区で受け入れ、地区の活性化を図る目的があった。小田切の現地採用によって多くの職員を雇用した(私もその一人である)。給食の材料、暖房用のA重油等は農協が賄った。地区民運動会、御柱の引き手として、区の住民として小田切園は小田切になくてはならない存在となった。26年、四半世紀を越える及ぶ小田切園の存在は過疎化が加速するする中で地区の希望の灯火であった。

来年4月からは篠ノ井に移転することが決まっている。利用者はいくつかのグループホームから日中活動の場としての通所授産施設で働くことになるらしい。小田切の空き家を改修しグループホームを整備し、現在の施設を利用し通所授産施設へ移行する案も地元からは要望したが実現しなかった。

酒井将さん(小田切出身者)からの1億円の寄付金によって整備された体育館と集会室からなる酒井将記念館の後利用も課題だ。

いずれにしても来年4月からお化け屋敷にしてはいけない。私も委員となっている後利用検討委員会を早急に開かなければいけない。市、そして社会事業協会もきちんと説明責任を果たしてもらわかければならない。地区住民、市、社会事業協会が連携し、視界不良を吹き払わなければならない。いよいよ私の出番だ。