老兵は黙って去りゆくのみ
3月は別れの季節である。定年退職、結婚退職、希望に満ちた転職、円満退職=ハッピーエンドで終わればそれにこしたことはない。しかし、世の中そううまくはいかない。私も4回もの転職を経験してきた。自分の信念を貫き辞表を3回も上司に渡してきた。職安にも通い、無表情の職員に認定印をもらい失業保険を給付してもらった経験をもつ。どこにも労働組合はなかった。(結果的に市社会事業協会において労働組合を結成したことがこんにちの私を生んだのだが)
それはともかく、身近なところで労働組合運動に長い経験を持つ先輩が定年まで1年を残して退職を決意したと聞いた。議員になる前に労働組合の結成を任務とするオルガナイザーの先輩として2年に亘ってお世話になった。先輩は労働組合運動が華やかな頃、即ち、総資本対総労働という対立軸がはっきりしていた頃、社会党、総評、県評、地区評、そして単組という構図の中で民間企業に就職し、労働組合運動にかかわっていく。青年部の役員として次第に頭角を現してくる。その後、地区評の役員として単組だけでない地域横断的に労働組合運動を展開する。
政治的には自民党の対抗軸である社会党を支持し選挙運動にも力を注いだ。中選挙区制度下、自民党が2議席、社会党が1議席を分け合う時代、右肩上がりの高度経済成長の時代、即ち資本家も大儲けした反面、労働者も賃金が毎年上がる時代は良かった。しかし、中曽根康弘が総理の座に付き民間活力の導入と組合潰し(国労潰し、総評潰し)に躍起になり、次第に世の中が大きく変わっていく。そして小泉純一郎の新自由主義が一世を風靡する。かくして、総評も国労も潰され、連合がとってかわり、社会党が風前の灯火になり、民主党が総選挙で307議席を獲得し自民党を長きに亘る政権の座から引きずり降ろしたのだ。
無党派層の気まぐれに翻弄され、マニュフェストをただの紙くずにしてしまう民主党に日本の将来を任せていいものか。そんな中、先輩は粘り強く、そして地道に労働組合運動の意義と必要性を説き、合わせて政治の果たすべき役割を朴訥と語る。目立たない存在。今時ではない。パワーポイントを器用に操り、プレゼンをそつなくこなす若者とは馬が合わない。でも先輩は愚痴はこぼさない。そう、まさに「老兵は黙って去りゆくのみ」を体現している。