県都の品格
市長がよく引用する藤原正彦氏の「国家の品格」は確かに示唆に富んでいる。アメリカの「論理万能主義」、そして「市場万能主義」というか「新自由主義」批判には共感する。「だめなものはだめ」との主張にも溜飲が下がる。一方ででグローバリズムなどを真っ向から否定することには疑問が残る。また、自国の伝統や美意識などを重んじることに異存はないが、戦後民主主義の批判と復古主義には「異議あり」と言いたい。
書評はともかく、品格とは辞書にによると「その物から感じられるおごそかさ。品位」とある。長野市に県都としての「品格があるか」と問われれば私は「品格があるとは言い難い」と思う。「入るを量りて出ずるを為す」は市長の座右の銘、まさに市政運営の根幹をなす理念だ。その思想が市長在職11年の間に職員に大分浸透していった。財政が逼迫する中、市政の諸課題の場面場面で「入るを量りて出ずるを為す」がいつも表に出てくる。
その一例が福島第一原発事故に起因する放射能汚染が心配される保育園や学校給食の食材の安全性の確保だ。会派市民ネットは昨年10月、市独自に食品・食物の放射線量の測定体制を確立すること。民間検査機関の活用には限界がある事から、独自に「ゲルマニウム半導体核種分析装置」を保健所に導入し、検査体制を構築すること。給食食材の安全性に関心が高まっていることから、給食をより安全に提供するため、学校給食センターで食材の放射性物質の測定調査を実施し、市民に情報提供することを市長に申し入れた。事故から1年、申し入れから5か月。しかし、市は未だに独自の測定体制を構築していない。
3月議会、保育園や学校給食の食材の安全性についての質問に対して保健所は子ども達や保護者の皆さんの安全安心を担保しようとする前向きな姿勢とは真逆の答弁に終始した。独自購入ではなく、消費者庁の放射能物質検査機器貸与事業に第一次から三次まで申請を続け、その度に選定漏れを繰り返してきた。そして、それでも懲りずに四度目の申請を行うらしい。空間放射線量の高い自治体への貸与が優先されることが当然であることから、いつまでもこの貸与事業に固執すべきではないと考える。一定の財政力を持つ県都としてして、中核市として空間放射線量の高い自治体に恥ずかしくはないのか。品格は全く感じられない。
24年度当初予算への計上は見送られたが6月補正において独自購入を予定するか、他の国、県の補助事業を活用して一日も早く保育園や学校給食の食材の安全性の確保すべきである。財政至上主義、商魂たくましい善光寺商法の呪縛を解かなければいけない。議会の果たすべき役割と責任は重い。
昨年10月の市長申し入れは以下のとおり。
1.原子力災害及び放射能被害に対する備えについて
(1)長野市地域防災計画の見直しにおいて、近隣の原発立地県の取り組み、長野県の取り組みを検証し、専門的知見を活用し、原子力編を構築すること。
(2)空間放射線の簡易測定器(シンチレーションサーベーメーター)を導入し、市内30カ所での測定が始まっているところであるが、当初の消防局が保有する放射線測定器の活用と合わせて複数機器による測定態勢をつくるとした観点から、市民の不安を解消し生命及び健康を守るため、簡易測定器をさらに導入 するとともに、地形や風向きをはじめホットスポットの存在確認等、自然条件を考慮した測定地点を選定・拡充するなど、十分な測定態勢を再構築すること。また、簡易測定器の市民ヘの貸出利用について検討すること。
(3)食物連鎖による放射能拡散と汚染された食物・食品を摂取することによる内部被曝が懸念される今日、市独自に食品・食物の放射線量の測定体制を確立し、市民の食の安全に資する必要がある。民間検査機関の活用には限界がある事から、独自に「ゲルマニウム半導体核種分析装置」(約2千万円)を保健所に導入し、検査体制を構築すること。
(4)給食食材の安全性に関心が高まっていることから、給食をより安全に提供するため、学校給食センターで食材の放射性物質の測定調査を実施し、市民に情報提供すること。
(5)放射性ヨウ素の体内蓄積による発がんを予防する備えとして、安定ヨウ素剤の備蓄に直ちに着手するとともに、妊婦や子ども達を対象とした投与・服用計画を立案すること。