社民党長野県連合に未来は有るや無しや?
社民党長野県連合第20回定期大会が開催された。衆議院の解散・総選挙が通常国会会期末の6月か、民主党の代表選挙が予定される9月、いずれにしても年内にあると予測されることから北陸信越ブロックでの議席獲得を目標に県内5小選挙区に最低1名を擁立するなどの運動方針を決めた。前回の衆議院選挙で2つの選挙区で候補者を擁立したもののともに法定得票数に遠く及ばず供託金が没収された。社会党の時代からも国政選挙において初めての事態であった。他党が候補者を決定し既に前哨戦が始まっている中、我が社民党は未だにその影さえ見えてこない。
北陸信越ブロックの一角を成す福井、石川両県は保守王国である。原発が多く、交付金や補助金により設置自治体の財政は大きく依存している。雇用をはじめ原発関連企業との係わりが強い社会的背景がある。その中で脱原発の訴えが届くのか、大きな期待はできない。又市副党首(参議院議員)のお膝元の富山県、前回の参議院選挙で民主党との選挙協力が整わず残念ながら落選した近藤正道前参議院議員の新潟県、そして2000年から2003年まで衆議院議員として活躍した山口わか子氏を擁した長野県。比例区で80議席削減が実施されるようなことがあれば正に社民党など少数政党は消滅の危機となる。兎にも角にも「座して死を待つ」ことは許されない。一日も早く候補者を選定しなければならない。
今定期大会は役員改選の定期大会でもあった。私は本来、県会議員のポストである政策審議会長を辞するつもりであった。社民党の公認・推薦議員は4名いる。その内2名は県連合の役職に就いていない。県全体の広い視野で県政、国政の動きを把握しつつ県連合として政策を打ち出す職責は私には荷が重すぎるとずっと訴えてきた。社民党公認・推薦だけで単独会派を構成することができない現実の中で、他党との関係もあり推薦議員が役に就くことができなかった。結果として私は政策審議会長を留任することとなった。腹をくくってやるしかない。
さて、今大会の来賓挨拶でハプニングがあった。連合長野を代表して挨拶に立ったこの方は東日本大震災、原発事故で国を挙げて復旧・復興に取り組んでいる最中に総選挙を行って政治的空白をつくるべきではないとノタマワレタ。加えて、総選挙の経費として700億円とも800億円と言われる巨費が必要とも言われるがその金は復旧・復興に充てるべきだと。さすがは民主党の応援団である連合である。そして、極めつきは最後に「民主党定期大会、おめでとうございます」と締めくくったのだ。社民党を民主党と間違えてしまったのか、そうでなかった(?)のかは判らない。会場がその瞬間凍り付いた。しかし、我が同志の社民党員は品が良いのでヤジを飛ばすような下品なことはしない。小声で「えっ!民主党?社民党だろうが!!」というささやきはあちことで聞こえたことは言うまでもない。