千葉県障害者差別をなくす条例制定の舞台裏
7月4日、第35回人権を尊重し合う市民のつどいが開催された。昭和52年に「部落解放市民集会」としてスタートしたこの集会は、より市民が主体的に参加できるよう、平成17年からは「人権を認め合う市民のつどい」として、そして平成19年からはさらに、人権尊重の社会を実現させることを願って「人権を尊重し合う市民のつどい」と集会の名称を変えてきた。
今年の講演のテーマは「障害者の人権と社会」、講師は毎日新聞解説委員の野沢和弘氏である。重い知的障害児の父親として、「冷たい目で見られ、バカにされ、いやみを言われ、無視されていると、知らず知らずのうちに気がすくんでしまい、萎縮した生き方が身についてしまう。こうした差別や偏見がなくなれば、多くの親が地域でありのままに生活する選択肢を取ると思います」と氏は語った。
千葉県は福祉先進県ではなかった。2001年社会党の元参議院議員であった堂本暁子さんが知事に当選し状況が一変する。障害者差別をなくす条例づくりの研究会が組織され、その座長として保守的な県議会と対峙した。2006年2月議会においては継続審議、6月議会では撤回にまで追い込まれた。そして議会に提出から半年が過ぎた10月、原案は修正されたが、日本で初めて障害者差別をなくす条例が成立した。「この条例は障害者のためだけではなく、生きにくさを感じている多くの県民のためになり、明日の千葉県を託す子どもたちにとって、共感する力、生きる力、情感を育てることに役立つはずです。そのための一歩なのです」の言葉が印象的であった。力みのない、淡々とした語り口は素直に心にしみた。
私は平成16年3月議会、平成22年12月議会において差別禁止条例の制定について質問した。残念ながら前向きな答弁はなかった。しかし、状況は変わりつつある。阿部知事も制定に前向きな姿勢を示している。国においても同様の動きがある。
『障害者が社会生活上、様々な困難や制約を受けるのは、その人の精神的、身体的な欠損があるからではなく、私たちの社会がそのような人たちを社会の主流に入れないようにする様々な物理的、制度的なバリアを巡らせているからである。私たちの社会に多数者の無遠慮や想像力の欠如による排除の構造があること、そしてそれを変えていかなければならないことは、条例をもって明確に県民に示すのでなければ、多数者の価値観は変わらない』 これは平成16年、ヒューマンネットながの理事長の島崎潔氏が委員長を務めた県社会福祉審議会が当時の田中知事に障害者差別禁止条例の制定を求めた提言書の一部である。それから8年が経過している。条例制定に向け、動きを早めなくてはならない。もちろん市においてもである。