思わぬ降雪、そして地区労組会議結成60周年!
12月9日早朝、青木島では昨夜舞っていた雪は積りはしなかったが車はうっすら白くなっていた。向かうは小田切の実家。小田切ダムを過ぎ、標高が上がるにしたがって道路の雪が深くなる。実家は標高720メートル。降雪は15センチ。ここ数年12月の上旬にこれほどの降雪はなかった。昨日の午前中、雪が舞う中、1枚だけ残っていた田の耕耘を行った。1日の違いで辺り一面の冬景色である。耕耘機を雪だるまにすることにならなくってよかった。
大根、野沢菜はすでに漬け物桶の中だ。今年も重い漬け物石と83歳の母が格闘してくれた。おふくろの味を楽しむことができることに感謝したい。この雪は根雪になるのだろうか?いずれにしても小田切の大地は来春まで3か月余りの眠りにつく。私の農作業もようやく一区切りである。ご苦労さんと自分に言い聞かせる・・・
【早くも15センチの降雪、一晩で墨絵の世界に】
【地区労組会議結成60周年 前段の第63回定期大会】
そして、午後は「長野地区平和・人権・環境労働組合会議」の第63回定期大会、その後「地区労働組合評議会」〜「地区評センター」〜「長野地区労働組合会議」〜「長野地区平和・人権・環境労働組合会議」と政治情勢、社会情勢、そして労働組合運動の変遷の中で組織が変遷してきたが1952年12月9日に結成して以来、満60周年の記念式典が開かれた。
敗戦から7年、混乱する社会情勢の中で労働争議が相次いでいた時代である。1953年三井三池闘争は翌年113日に及ぶストライキに突入した。日本資本主義体制の存亡をかけた「石炭から石油」へとするエネルギー革命を総資本が強行する上で不可欠の炭鉱労働者10万人の首切り合理化攻撃、その前面に立ちはだかる三池炭鉱労働組合と総評に結集する労働組合との死闘であり、戦後最大の歴史的な労働争議であった。労働組合運動は総評、県評、地区評というピラミッドの構図の中で築かれていたのである。
その後、1991年、ナショナルセンターとしての連合の結成にともない、運動継承のため暫定的に地区評センターへの移行が決まった。その後連合へ継承できない平和・人権・政治問題の解決のため、「地区労働組合会議」が1994年に結成された。そして、運動の更なる発展・継承のため組織強化を目的に」長野地区平和・人権・環境労働組合会議」が結成される。
式典において歴代の議長、事務局長に感謝状が贈られた。ご苦労いただいた諸先輩に心から敬意を表し、感謝申し上げたい。組織を取りまく環境は益々厳しくなっている。今こそ、真っ当な労働組合運動が求められている。本当に危機的な状況が迫っているのだ。多くの先輩方と懇談を深める事ができ、元気の出る集会になったことに感謝したい。