ナホトカからモスクワまでは約9,000km。稚内〜鹿児島間が約3,000kmであるから、その1往復半に相当する。バイカル湖のほとりの町イルクーツクで途中下車し1泊するが再び乗車して延べ1週間の大陸横断鉄道の旅となる。車両は4人乗りコンパートメント寝台車の他、蚕棚のような寝台車、硬い椅子、硬い背もたれの客車、食堂車など30両を超える大編成である。行き違う貨物専用列車は100両を超えるものもあった。そのスケールの大きさには圧倒されてしまう。

中には幌をかぶった戦車をはじめ、軍用車両も目立ち、軍事大国であるソ連の一端を垣間見た思いである。食堂車へは5両以上の車両を通り抜けていかなければならない。カーキ色の軍服を着た兵士が多い。かわいらしい子供たちの屈託のない笑顔が印象的だ。外国人に向けられる彼らの目は好奇心に満ちている。「こんにちは」。ロシア語で挨拶をする。戸惑いの後、「こんにちは」と返事がある。黒パンと酸味のあるスープ、巨大なソーセージと山のようなポテトには辟易したが、市民とのふれあいは楽しい日課となった。

車両には車掌が1人ずついて客の面倒を見てくれる。車掌室の隣には石炭を燃料とする湯沸し器があり、カップヌードルを食べたり、インスタントコーヒーを入れるのに重宝した。また、午後のお茶の時間には紅茶のサービスもある。私の車両の車掌さんは50歳くらいの大柄の女性、アーラさんである。挨拶をするうちにロシア語を教えてもらうことになった。モスクワの家族のことやハードな仕事のことを聞いた。私の拙いロシア語の能力でも何とか話が通じ、嬉しい日課が一つ増えた。

イルクーツクを過ぎると見渡す限りの平原が広がる。太陽は地平線から昇り、地平線に沈んだ。大自然を前に私の存在の何とちっぽけなことか…大自然の前ではすべては捨象される。列車はアジアからヨーロッパへと確実に進んでいる。9,000kmに及ぶシベリア鉄道の旅も終わろうしている。モスクワが近づいて来る。その先にいったい何が待っているのか…