夕暮れのモスクワに到着、1週間のシベリア鉄道の旅の終焉。駅にはソ連国営旅行者インツーリストの係員が待っていた。流暢な日本語で「池田さんですか。ホテルにご案内します。」と話しかけてくる。書類を渡し、タクシーの運転手に行き先を告げる彼の仕事は終わる。ソ連社会主義共和国連邦の首都・モスクワ、高層ビルも目立つが、どこか田舎臭さを漂わせる落ち着いた大都会である。街行く市民に混じって、カーキ色の制服を着た警察官や軍人がやけに多い。国情の違いを実感する。

着いたホテルはクレムリン、赤の広場に近い巨大なホテルロシア。制服を着たドアボーイがジーパンとスニーカーのバックパッカーを丁重に出迎えてくれた。フロントで渡された書類とパスポート、ビザを出しチェックインする。部屋番号511と書かかれたメモを渡される。エレベーターで5階まで上がる。エレベーターを降りると小さなホールに大きな両袖机があり、係の女性が待ち受けていた。メモを渡すと抽斗から511号室のルームキーを取り出してくれた。驚くほどぶっきらぼうに。この国では分業が徹底している(今で言うワークシェアリングなのか?)。自分の仕事以外は決して手を出さない。そしてサービス精神という単語はこの国の辞書にはないのではとさえ感じた。しかし、この女性が5階のすべての部屋を取り仕切っている。貧相な身なりの外国人青年として悪い印象を与えてはいけない、私はにっこりしながら大きな声で「スパシーバ(ありがとう)」と答えた。すると微笑みが帰ってきた。

きれいな部屋、大きなベッド、そして久しぶりのシャワー、窮屈なシベリア鉄道の寝台コンパートメントから開放され満ち足りた気分だ。明日は赤の広場、歴史博物館、グム百貨店、そしてレーニン廟を見るぞ!一流ホテルベッドの中、すぐに睡魔が襲ってきた。翌日はまず、ホテルの近くにあるロシア聖教のシンボルである聖ワシリー寺院に向かう。しかし、残念ながら補修工事中でネットで覆われており一部を見ることしかできなかった。横断地下道を通って赤の広場に向かう。地下鉄に繋がる通路は混雑していた。そして赤の広場。無数の石のブロックを敷き詰めてつくられた広場は想像以上に広く、そしてごつごつしていた。正面にはクレムリンの偉容。対面に巨大なグム百貨店。そして奥には歴史博物館。帝政ロシアから革命を経て社会主義国家へ。軍事パレードの舞台として、テレビや新聞でしか見たことのない赤の広場に今自分は、立っている。この広場の石畳にどれだけのロシア人の血が流されたのだろうか。感慨深いものがある。歩行者を蹴散らして黒塗りの高級車が猛スピードでクレムリンに吸い込まれて行く。市民は全く気にしていない。

グムは巨大な国営デパート。品質はともかく商品は結構豊富だ。商品を直接手に取り、品定めをして買いたい物ををレジに持っていって支払うのではない。欲しい物があればまず店員に見せて欲しいと声をかけ、気にいったら買いたいと意思表示をして、金額を書いた伝票をもらう、それをレジに持って行き、支払う。そして再び売り場へ。そこではじめて商品が自分の物となる。分業が徹底している。やたら店員が多い。そして市民は行列に慣れている…