モスクワ滞在3日目:タクシーでトレチャコフ美術館に行く。今回の旅の目的の一つは多くの美術館を巡ること。世界3大美術館の一つであるレニングラードのエルミタージュの他、ミュンヘンのアルテ・ピナコテーク、アムステルダムの国立美術館、ウィーンの美術史館、そしてできたらマドリードのプラドを見たい思っている。ホテルから15分。想像していたより小じんまりした外見。お目当てはクラムスコイの『忘れえぬ女(ひと)』。これは日本で付けられた題名。美術館では『二ェイズべスナヤ』(見知らぬ女)というプレートが付いている。この絵を画集で見た第一印象は何て高慢な女。1883年−帝政ロシア。厳寒の朝、ぺテルブルグ(レニングラード)の中心街ネフスキー大通りを馬車で通りかかった、上流階級の女性。人を見下ろしているかのような冷たく、ツンとした視線。でも、実物を間近に見るとその目には深い悲しみの色がある。貴族社会の退廃と疲労感が刻まれている。時の経つのも忘れ、しばらくはその場を離れることができなかった。
そして、次はレーピンの展示室へ。クラムスイやスリコフとサロン芸術としての絵画を批判し、民衆の中へ絵画を持ち込んで啓蒙し、移動派と呼ばれたレーピンのモチーフは名も無き働く人々。代表作『ヴォルガの船曳き』は良く知られている。苦痛にゆがんだその表情は社会への反感と憎悪に満ちている。農奴制や帝政ロシアの矛盾を鋭い社会批判を込めて写実主義により表現している。そして数多くのイコン。満ち足りた気持ちで美術館を後にした。ホテルに着くと早速荷造り。そして夕食。モスクワともお別れだ。ダスビダーニャ モスクワ!
モスクワのレニングラード駅23時55分発の夜行特急「赤い矢号」に乗って翌朝8時25分、レニングラードのモスクワ駅に到着。目的地の地名を駅名にしているので、何か変というか、こんがらがってしまう。レニングラードはピョートル大帝がヨーロッパへの窓として築いた明るく、洗練された大都会。田舎くさいモスクワとは大違い。1721年からはロシアの首都となった。当時の街の名称はぺテルブルグ、のちにペテログラード、そしてレニングラードへと改名された。バルト海に注ぐネヴァ河に太陽の光が輝いている。北緯60度。北海道を超え、サハリンも超え、何とカムチャツカ半島の付け根と同じ緯度だ。白夜の季節まではあと1ヶ月ほどあるが、午後11時半過ぎまで明るい。車がヘッドライトをつけるのは午後12時近く、そして午前3時半には明るくなってしまう。日中(この季節は1日ほとんど日中だが)、公園や河畔の芝生では日光浴をする人が目立つ。
レニングラード滞在2日目:ツアーバスで夏の宮殿を訪れる。市街地から30キロメートルの郊外にあるこの宮殿は別名「噴水宮殿」。147ある噴水には様々な工夫が凝らされている。数多くの有名な建築家や彫刻家、造園家の才能と技術が結集されている。西欧諸国に習い官僚機構を整備し、工業を育成し、絶対主義の基礎をつくったピョートル大帝の宮殿は200数十年の時を経て、今も静かにバルト海を見下ろしている…