憧れのワルシャワに到着。時刻は午後10時近い。国営旅行社「オルビス」主催の21日間の国内ツアーを予約してある。ツアー開始までの3日間はフリー。今晩の宿泊はフォラムホテル−外国人がよく利用する高級ホテルだ。駅前広場に出る。結構の賑わいである。タクシー乗り場は長蛇の列。タクシーも見当たらない。駅からホテルまでは車で15分とガイドブックにあった。不確かな地図を頼りに重い荷物を背負いながら暗い夜道を歩くわけにはいかない。待つしかない。行列の最後尾に並んだ。するとすぐに中年の男性が英語で話しかけてきた。髪の黒い見かけないアジア人を良いカモと思ったのだろう。「どこへ行きたいのか。ホテルはどこか。安くしておくから」と馴れ馴れしい。とにかく早くホテルのシャワーを浴びたかった。「OK」商談成立である。

車はだいぶ古い白のベンツ。「フォラムホテルまで」と告げる。車の乗り心地は思いのほか快適である。動き出すや否や、「両替はしたか、レートは公式の3倍」とさかんにヤミ両替を勧める。ポーランド通貨・ズウォティは持ち合わせていない。ホテルで両替するつもりでいた。ガイドブックによると公式レートは10ドル=250ズウォティ(注:当時1ドルは200円ほど)。それの3倍のレート、つまり10ドル=750ズウォティでどうかと持ちかけてきた。迷ったが10ドルだけ両替する。社会主義国の裏経済の一面を垣間見た感がある。こうして得たドルを外貨ショップで使い、表の経済では手に入らない品物を買うのである。富の不均衡をどう平等に分配するのか。社会主義の求める理想と人間の欲望とのギャップを感じる。

10分程でホテルに到着。おしゃれな高層ホテルだ。スムーズにチェックイン完了。案内された部屋は17階のツイン。とても豪華。大きなバスタブにゆっくりつかる。1,000kmを超える鉄路の疲れが次第に取れていくのがわかる。ルームサービスでサンドイッチを頼む。「今日はこの贅沢を許そう」小さくつぶやく。翌日もいい天気。ルームサービスでコンチネンタルブレックファーストを食べる。「さあ、いざ街へ」。向かうは旧市街「スターレミヤスト」。ワルシャワは第二次世界大戦でヒトラーによって徹底的に破壊された。激しい空襲と市街戦によって灰燼と帰した歴史ある街は、残された資料からレンガ一つ一つの小さなキズまで忠実に再生された。その徹底振りは驚愕に値する。近代的なビルに生まれ変わってしまった日本の戦後復興と比較してみるとその違いが分かる。石畳の広場を囲む歴史ある建物はポーランド人の文化レベルの高さの象徴でもある。

ショパンの生家がワルシャワの郊外にある。蔦がからまる小さな家は、今にもショパンの演奏が聞こえてきそうな雰囲気をかもし出している。フランス人の父とポーランド人の母の間に生まれた天才は8歳で貴族社会にデビューし、第2のモーツァルトとの名声を得た。15歳で作曲家デビューし、24歳の時ウィーンで演奏会を開催し大成功を収めている。後にパリに向かい、メンデルスゾーンやリストらと親交を持ち、名曲を多数作曲するも39歳の若さでこの世を去っている。『マズルカ』『ポロネーズ』を生んだ故国への思いは民族の通奏低音として受け継がれていく…