国営旅行社「オルビス」主催の15日間の国内ツアーが始まる。指定されたホテルに向かう。夕食時に自己紹介をする。総勢24名。多くはポーランド系アメリカ人とカナダ人である。他にはイギリス人が1名、そして日本人は私1人のみ。年配者が多い、70歳代と思われるご婦人も数人いる。20代の若者は私の外に男性1名、女性1名の3人だけである(若い男性ポールは母親とツアーに参加したアメリカ・コネチカット州の州都ハートフォードに住む20歳の大学生。3年後にアメリカ大陸を横断し、イギリス、フランスを回る世界一周の旅で彼の自宅を訪れ一晩泊めてもらうことになる。若い女性はポールと同様に母親と一緒に参加しているドナ。カナダ・エドモントンに住む23歳の大学生。ドナとは2回程手紙のやり取りをしたがその後の交流はない)。そして一行を率いるツアーコンダクターはオルビスの社員、大柄なマリアータ女史。頼れそうだ。明日の集合は午前7時30分、ワルシャワ市内を巡った後トルニに向かう予定。幾分気持ちが高ぶり、なかなか寝付けない。日本を発って約1ヶ月だ。あっという間の1ヶ月。でも、今までの人生の中で最も忙しく、そして充実した1ヶ月でもあったことは間違いない。社会人1年生、突然の休職。無鉄砲な1人旅。私の波乱万丈の人生航路の始まりだ。

翌日も晴天。ツアー開始前のフリータイムに訪れた、スターレミヤストやショパンの生家、ワジンキ公園を再び団体で訪れ、マリアータ女史の説明に耳を傾ける。流暢な英語は早口で聞き取りにくい。バスの中ではジョークを連発し大賑わいである。意味が分からず、一人蚊帳の外といった状況もしばしばである。少し間を置いて理解し、一人ニヤニヤすることもある。英語を日本語に訳して、それから思考するのでは追いつかない。英語を英語として理解し、英語で思考し、会話するしかない。まだ1ヶ月、まだまだそこまで到達できない。でも何とか7割くらいは理解できるようになってきた。

ツアーは順調に経過している。予定通りだ。体調も良い。マリアータも遠い極東の島国から1人で参加している黒髪の青年に気を使ってくれる(ポーランド人にはほとんど黒髪の人はいない。田舎に行けば行くほど、黒髪は珍しく、とりわけ子供たちからは好奇な目で見られた。そして例外なく、中国人か、朝鮮人かと問われるのである)。また、ポールの母親もポーランド語を少し話し、年齢もポールとあまり変わらない私を自分の息子のように接し、親切にしてくれた。アメリカの兵士と結婚し、アメリカに渡った彼女にとって今回の旅は久しぶりの祖国訪問であるとともに、息子のポールに母の祖国を体感して欲しかったのではないかと思う。

宿泊ホテルに到着しロビーでくつろいでいると、テレビを見ていた人達から「オオッ」と歓声が上がった。ポーランド出身のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が就任後初めて祖国の土を踏み、大地に額をつけたのだ。ここは社会主義の国ポーランド、同時に国民の9割が敬虔なカトリック教徒でもある。ポーランドのしたたかさとともに、精神的支柱を持つ国民の強さと結束力を感じた。翻って日本を思う、無宗教の経済大国。エコノミックアニマルと揶揄されるのも無理はない…