オルビス(ポーランド国営旅行社)の古く、エアコンもないバスは軽快にポーランド国内を走り、首都ワルシャワからトルン、グダンスク、シュテッチン、ポズナニ、ブレツワフ、クラコフ等の歴史ある街々を巡る15日間のツアーは驚くほどあっけなく終わってしまった。特に印象の強い街をスケッチしてみる。

グダンスク:ポーランドで最も美しい町といわれるグダンスクは、ヴィスワ川がバルト海に注ぐポーランド最大の港町であり、また造船の街でもある。13世紀から14世紀にかけてはハンザ同盟都市の一員として大いに栄えた。街の象徴は旧市庁舎前にある海の神様「ネプチューン像」である。1980年8月、1万6千人の造船労働者が深刻な食糧不足の中で行われた食肉の値上げに反対して起こしたストライキは長期化し、自主管理労組「連帯」の委員長に選出されたのが造船工であったレフ・ワレサであった。そして、ワレサは1990年に大統領に就任した。

クラコフ:14世紀から17世紀にかけてクラコフはポーランド王国の首都であった。中央ヨーロッパにおいてプラハ、ウィーンと並んで文化の中心都市でもあった。その後首都はワルシャワに移った。第二次世界大戦の戦禍を受けなかったためヴィスワ川河畔の丘の上にあるヴァヴェル城に当時の栄華を見ることができる。町の中央には有名な市場広場があり、ルネッサンス様式の織物会館がある。1364年にはヨーロッパ第2の古い歴史をもつヤギエウォ大学が創設された。この大学にはコペルニクスが学ぶなど、ヨーロッパでの古典研究と自然研究の中心となった。

卒論のテーマとして関わりを持ったポーランド。是非とも自分の目で見たかったポーランド。自分の肌で感じたかったポーランド。かくして憧れの国の旅は終わりを告げようとしている。ツアー最終日、一行は再びワルシャワに戻ってきた。最後まで残ったのは、ガイドのマリアータとカナダのドナ親子、英国人のトーマス氏、そして私の5人だけ。翌日の午前、余分な衣服と文化科学宮殿の地下の書店で買った本を苦労して船便で郵便局から日本に送った。ホテルに戻って5人で昼食をとった。お互いの健康とこれからの旅の無事を祈って乾杯した。短い間ではあったが、次第に強くなってきた友情は別れを辛いものにした。食事も喉を通らない。夕方6時50分発のグダンスク駅発ウィーン行「ショパン号」のチケットを確認する。また1人旅が始まる。日本を発って1月余り。この先どんな出会いと別れが待っているのか?大きな希望と小さな不安を胸に、駅に向かって1人歩き出した…