ポーランド国鉄(PKP)ワルシャワ中央駅に到着。これから18時25分発ウィーン行きの国際特急ショパン号に乗る。ウィーン着は翌朝の7時10分、所要時間12時間45分、走行距離は約700q、東京〜岡山間に相当する。駅の食堂で夕食。ポーランド通貨・ズウォティを残さないように食料を買い込む。4人乗りのコンパートメントに他の乗客はいない。列車は定刻を過ぎているが、なかなか発車しない。そして、30分以上も遅れて19時少し前にアナウンスもベルもなく、「ガタン」と軽い衝撃とともに走り出した。憧れのポーランド。3週間という長いようでもあり、また「あっという間」の滞在でもあった。再び訪れることができるのだろうか。先の旅程を考えずもう少し留まりたい、そんな気持ちにもなる。ドイツとロシアという両大国の狭間にあって歴史上3度も地図から消えてしまったポーランド。体制がどう変わろうとも宗教と誇り高き文明を支えとして、したたかに生活しているポーランドの多くの人々との交流は得がたい経験となった。夕日の染まるワルシャワの光景をしっかり目に焼き付ける。ドビゼニア(さようなら)、ポルスカ(ポーランド)。そして、ジンクーイエン(ありがとう)、ポルスカ(ポーランド)。

深夜12時頃にポーランドの出国のパスポートチェック。すぐさまチェコスロバキアの入国のパスポートチェックが来る。荷物チェックは簡単に済んでしまった。ソ連のチェックの徹底振りと比較すると気が抜けてしまう。そして、明け方にチェコスロバキア、オーストリア国境を越える。チェコ側には鉄条網と有刺鉄線が張りめぐらされ、自動小銃をかまえた兵士が目にとまる。否が応にも緊張感が高まる。

横浜を発ち、ソ連、ポーランドと二つの社会主義国を回り早40日。肉やバナナの販売に長い行列ができ、それが当たり前になっている。一方でわずかな私有地で育てた野菜や果物をシベリア鉄道の乗客に売り、現金収入を得るソ連のたくましい庶民がいた。日曜日、敬虔なカトリック教徒として大きな口を開け、賛美歌を歌うポーランド人。そのしたたかさには舌を巻く。

7時30分、列車はウィーン南駅に滑り込んだ。駅を出るといきなり、原色の派手な看板が目に痛い。トヨタ、三菱銀行、日本航空…日本企業の進出も盛んだ。資本主義、市場主義経済。たった40日間だがそのコントラストは際立っている。実感する。バナナに行列する必要はない。何でもある。いい意味でも、悪い意味でも。そして、何でも手に入る。ただし、金さえあればだが。駅の両替所でとりあえず1万円を現地通貨のシリングに両替する。今日から東ベルリンに至るまでの3週間は、気ままな放浪の旅。その日、その日の宿を探すスリリングな旅の始まりだ。まずは荷物を預けてウィーンの街に出よう。キヨスクで市街地図を買おう。足取り軽く石畳の歴史の街を歩き出す…