ハノーバー中央駅から8時12分発の西ベルリン行き特急列車に乗る。運賃は27マルク40ペニヒ。西ベルリンは言うまでもなく西ドイツ最大の都市。入国にはビザが必要だ。列車内で簡単にトランジットビザを取ることができた。西ベルリンZOO駅に11時36分に到着。

ベルリンという名称が歴史的文書で最も古く確認できるのは1244年である。1871年にプロイセン王国の王都かつドイツ帝国の首都となった。ビスマルクの外交手腕とオーストリア・ハンガリー帝国の凋落により、ベルリンははヨーロッパにおける国際政治の表舞台に立つことになる。 1933年ヒトラーが政権を取る。第二次世界大戦によりベルリンは徹底的に破壊された。第二次世界大戦後、ベルリンはアメリカ・イギリス・フランス・ソ連によって分割占領され、西側3か国占領地域はソ連占領地域の中に位置する飛び地:西ベルリンとなった。1949年に東西ドイツが分裂して独立し、ソ連占領地区はドイツ民主共和国の首都東ベルリンとなり、西側3か国占領地域はドイツ民主共和国の中の飛び地のまま、ドイツ連邦共和国が主権をもって実効的に統治する西ベルリンとなった。

 観光案内所で紹介してもらった安宿に荷物を置き、市内をルーフの無い二階建てバスの二階席から見て回る。原色のけばけばしい看板は社会主義国という海に浮かぶ資本主義の広告塔と呼ぶにふさわしい。賑やかなネオンの光が目蓋に焼き付いて眠れない。久しぶりの大都会は刺激が強過ぎる。 翌日、帰路のハイライトの一つであるチェックポイントチャーリーを目指す。西側3国によって管理されているこの検問所を通り東ベルリンへ行くことができる。

西側の検問は余りに簡単。パスポートチェックだけ。「早く行け」とばかりに顎をしゃくるだけ。 通路を遮断しているポールを上げてもらい東側に足を踏み入れる。見張りやぐらの上には何と軽機関銃を持った東ドイツの兵士が銃口を私に向けているではないか。走り出したくなる恐怖を押さえながら東側の検問所に向かう。入国審査官はにこりともしない。 荷物は全てをチェックされた。財布も小銭まで数えさせられた。なんとか通過。そしていきなり東ベルリンの街に放り出された。西ベルリンとの余りに大きな違いに唖然とする。日曜日だというのに人がほとんどいない。原色のけばけばしい看板は無論ない。そもそも色がない。分裂国家はこれほどの違いを生じてしまうのか。国民の生活水準の格差は想像に難くない。 一般国民の願いと国家間の冷徹なパワーポリテクスの間の大きなギャップを実感する。 市街地図を見ながらホテルがあるアレキサンダー広場に向かって静かな街を一人歩く・・・次号に続く