草を求めて、樹木との出会い
私は宗教の事はわからない。
寺の絵をかくのは信仰心からではない。 人間の叡智では、計り知ることの出来ない宇宙の神秘。 その心が寸分でも絵の中に表現出来たらと思う。
枯芒と早春の若芽に感動し、樹木と出会い、樹々の向うに寺の屋根でも見えたら、もっと内容の深い作品が出来るのではないだろうか、一瞬頭の中をよぎって行った。
賀茂台地や周辺の地にも、寺や神社は数多く存在する。 写生に出掛けた時、出会えば写生したりしなかったり。写生意慾の湧くものと否とがあるのは仕方がない。
静物には静物の、風景には風景の、寺には寺の、各々の特長を如何に深く宇宙の神秘を感じられる次元の高い作品に仕上げるかということで苦労する。
唯、心しなければならないことは、寺や神社は信仰の対象として存在しているということである。私は宗教の事はわからないが、いろんな風景を描くうちに、寺も画材の対象物として深く追求して見ようと四国の寺を廻ることにした。
信仰の為に廻るのではない。巡礼でもなく、般若心経も知らないので寺につくと手を合わせ、頭をさげて写生する場所を探す。決してお遍路さんの邪魔にならない場所を。
写生して廻っているうちに四国の寺について調べてみることにした。
鎌倉時代のものが多く、寺や仏像も国宝や重文に指定されているのが数多くあった。 四十人ケ寺の宗派は真言宗が殆んどだけどその真言宗も高野派・御室派・大覚寺寺派・善通寺派・豊山派・智山派・醍醐派等々…数多く分派しており、その中に臨済宗妙心寺派や曹洞宗・天台宗寺門派・時宗・天台宗・単宗等、あまり耳にしたこともない宗派もあった。
真言宗の分派の数の多いのに驚いたが、やはり僧侶といえども、権力争いが盛んと聞いていたのも事実かなと思った。
「真言宗は大日如来を教主とし、即身成仏させるのを本旨とす」 「大辞泉」より
●仏法にこりかたまるもいらぬもの、弥陀めにきけば嘘のかたまり
●念仏に声をからせど音もなし、弥陀と釈迦とは昼寝なりけり
●六道をつくしてみれば何やらむ、仏も鬼も心なりけり
木喰上人の歌には楽しくほゝえましく感じるものが多くある。木喰上人の歌より名もなき道を説くなかれ
名もなき旅を行くなかれ
甲斐なきことをなげくより
来りて美き酒に泣け〔藤村の若菜集 酔歌より〕
さあこれから酒杯をあげ、わが歩いて来た道に乾杯。静かな夜は続く。
私は寺の作品を発表するとき「浄韻」という題を度々つけた。神秘性や幽玄性を有した内容を追求している願望の叫びからである。
振り返ってみれば、京都・奈良に在住していた七年余・寺や神社を対象として選び、制作しょうなどとは全く思ったことはなかった。寺や神社は信仰の対象として存在する。例え寺社の表面的な表現は、ある程度可能であっても、内面に含まれている不可思議な力を含有し表現することは、簡単に出来るものではないとあきらめ、深く考えようともしなかった。
仏画や彫刻には完成されたすばらしい傑作が数多く存在する。寺院・神社も然り。 豪華な寺社に出会った時、すごい・すばらしい・びっくりした、等という感嘆の声は出しても、身を縛られる様な感動を受けることは少ないのではないだろうか。
幽玄・神秘・東洋のもつ精神性、やはり自然現象に依る力が大であると思う。
豪華絢欄な寺社でなくても、月の光をあび乍ら、ひなびた寺にほのかな燈明のもと読経の声は静かに流れてくる、そんな状況に出会った時、宗教の理窟ではない理想境であり、秘められた力と思わざるを得ない。 勿論各人の持つ感性に依り、異のあることは言うまでもない。
スケッチ第五集「寺社を尋ねて、其の一」迄、毎月一冊ずつ出すことが出来た。夢中だった。怖れない編集で随分頭を悩ました。 脳裡に浮ぶスケッチが見当らない時、無整理に積み重ねてあるスケッチを、一枚又一枚とめくつては見るものの、結局見当らず、無駄な時間を費すことも多かった。スケッチ集を出そうと思ったら、直ぐ手がけなければ気の済まない性格の故、失敗も多く、途中で行きづまり、止めることも多いが、結果を出すには、実行にうつすしか答は出ないので仕方がない。もっと慎重に時間をかけ、案を練り、考えてやればと思うけど、長引くと初心の想は薄れ、他の仕事にかかると、いつの間にか「どうでもよいわ」と言う投げやり泣きになることも多い。しかし此のスケッチ集は「思ったらやれ」で、第五まで疑問をもつこともなく順調に運ぶことが出来た。
其れは十一月の或る月のことだった。一度に吹き出すような疲れを覚え、空虚な暗色の空に包まれた広野に立つ、一人ぼっちの自分を見るような空虚感におそわれた。当然酒の量は増していった。飲んでもあまり酔うことはなかった。毎月一冊ずつ順調に出すことの由来た五ケ月間の満足感はうそのように消えていった。
過ぎ去った五ケ月間、積み重ねていたスケッチを、一枚又一枚と見ることに依り、「此れは制作をしてみたい」「此れも」と心を揺さ振るスケッチが出ても、実際に膠をとき、絵具を出して画く雰囲気ではなかった。画きたくても、画ける雰囲気ではない「いらだち」。それが知らぬ間に心に充満し、新たな疑惑と不満の芽が出ていたのかも知れない。
十二月もアトリエに居ながら、何をやりましたという答も無く、平成二十年は暮れて行った。平成二十一年正月。 やる気の起らないまま時を過し、 気がつけば、眠りの途中で起き出し、此の稿をかいているのが一月三十一日午前四時だった。
第五集では原稿をかき終えた時、一人でわが心に「乾杯」とさけんだ。それは喜びをふくんだ心良い自分への乾杯だった。
しかし、あれから三ケ月。無駄な時間だったかも知れない。反省の時間だったかも知れない。明日への希望をつなぐ大切な時間だったかも知れない。答えは自分が出すだけである。残された短かい時間、精一杯目的に向かって、歩み続けることが出来ればと願っている。
「海は広いな大きいな」という懐かしい童謡がある。 日本海や太平洋は確かに広く、瀬戸の海は狭い。各々に昧があり、夢があり、詩がある。とは言え、広い狭いに関係なく、静かな海は心を慰め、荒れている海は血は騒ぎ心躍る。
太古より繰り返している波は、寸時たりとも静止していることなく、同じ形状ということもあり得ない。
心揺さ振る波に出会うのは、遇然性の強いもので、運を天にまかすだけである。 海と異り山は動かない。
しかし、春夏秋冬、天候次第で山の姿は一変する。 明けゆく山や暮れゆく山、斉れゆく山や雪降る山、等々思えば切りがなく、そんな景色との出会いを求め、創作してゆく私は幸せである。
学生時代のことである。当時の日本画科主任教授は結城素明先生だった。(昭和十九年四月より小林古径・前田青部先生達となる)絵にゆきづまった時、制作中の作品を教官室にもって行き、指示を仰ぐ。「わからない時は、現地に行き話をして来なさい。わかったら帰ってくればよい。」という答だった。
「依頼心を無くし、自分の力で解決しなさい」という教えである。 思ったらやる。失敗を恐れては何も出来ない。私は常に此の言葉を大切にしている。
酒場の片隅で山のすばらしさを聞く。 相手は山のベテラン、飲む程に、酔う程に興奮の度は増し、声は高まる。 私は北アルプスの同行を願い、快諾を得る。 しかし経験の少ない私にとって、三千米級の山への挑戦は地獄での行軍のようで、リュックや登山靴の重さ、はげしい呼吸や唾液のねばり等々、軍隊時代の訓練を思い出し、負けてたまるかと心を振い立たせ、何とか一行について行くことが出来た。
休憩の度毎、私はクロッキーをはじめた。此の時ばかりは登山家達も私のスケッチブックに集中する。 「あれは剣岳、こちらは鹿島槍」と教えてくれる。
感動との出会いは歩いては来ない。求め、求めて行くだけである。
平成二十年(二〇〇八年)十一月で私は満八十三才になる。過ぎゆく月日を振り返ることもなく、常に「今日」だったようにも思う。私は過去を振り返るの闇あまり好きではない。が昭和四十六年三月黒瀬川畔で受けた感動だけは忘れることが出来ない。それは私をして現在迄画き続ける事の出来た原点であり新らしく発見した出発点でもあった。その時の感動を一九九四年の画集から抜粋させて頂く。
昭和四十六年三月、私は黒瀬川の畔に居た。
何かを求め、何かに出会い、何かをつかみたい一念だった。
三月の中旬とはいえ、寒い日だった。
川の流れは白く光り、砂まじりの身を切るような冷たい風の吹き舞う中、芒の群は揺れていた。
揺れ乍らもその茎は冷たく拡がる寒空に立っていた。
うつろな眼で見ていた枯すすきの根本の小さな嫁が私の脳裡に拡がった。
我に返って確かめたその緑は、小指の大きさにも達しない小さな芽だった。
私の体に稲妻が走った。
若い小さな録の芽が驚く程の鮮明さで私の眼ヰに飛び込んで来た。
春を告げるその小さな芽との出会いが静かな思考の池に大きな波紋をひろげていった。
求めても、なお求めても届かなかった感動の世界。消えゆくものと生まれ出ずるものの対比。その小さな芽には、厳しい冬の寒さ、冷たさを耐え忍んだ中に、春の訪れの喜びが一杯に秘められているように思われた・・・・・
私は枯空との出会いから、草を求め、又草叢を求めて、歩き廻った。見向もしなかった雑草から思いがけない発見と感動を受け、時は過ぎていった。草を求めて歩くうち、当然乍ち思わず佇ずむ樹木をはじめ、数多くの対象物との出会いがあった。
私のアトリエにはスケッチや小下図が整理されないままあちこちに積み重ねてある。整理しなければと思い乍らも仲々手をつけることが出来ないで居た。が、今年から思い切って整理し、画集にして出すことを決心した。が一冊にまとめるのは無理なので種別にまとめることにした。
予定では「草と樹木」・「花と静物」・「海と山」・「寺院・神社」・「国外風景」等々……。
いつ完了するのかわからぬが出来得る限り一目でもはやく終了したいものである。