方寸浄土
天光演繹系列作品について…(純水墨山水表現)
「山水」は無限な自然の象徴である
道家老子の「道徳経」に“道之為物。惟恍惟愡。其中有象。恍兮惚兮。其中有物。窈兮冥兮。其中有精。其精甚真。其中有信。・・・”とある。
それは自然と人間との交流、感応である。老子の喩説そのものが私の座右の銘である。
「恍兮惚兮」その混沌・朦朧の物態世界があり、私は特に“山”に興味を抱く。その「山」の神秘性を天と地の接触点として、両者の融和するセンチメント(感情・情緒・感傷)があり、“魂”の存在があるかの如く底知れない神秘性を一層深く感じさせられる。
空海の「性霊集」の中にも私もっとも好きな一節“・・・心を境物に遊ばして、懷抱を逸散し、法を四時に取りて、形を万類に象るべし、此を以て妙と為す。・・・”がある。
先哲達諸々の喩説が生み出している精神物質そのもの私が水と墨が捉えて表現しょうと1995年から現在に至る数々の「天光演繹」系列山水表現の作品群が制作してきました。
棉布・純水墨作品1.
棉布・純水墨作品2.棉布・純水墨作品3.
棉布・純水墨作品6.棉布・純水墨作品8.棉布・純水墨作品7.
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天光演繹系列作品について
「天の光」をテーマに、「白と黒」あるいは「光と闇」その極端に凝縮された無限な自然の象徴なかに、主体なる精神感応から、対象なる物体生命を統一させる。そして「闇」から「光」への憧憬を表現しょう と「天光演繹」系列作品の原点にある。
造境〉〉〉悟境〉〉〉化境
悟境〉〉〉化境
象岡シリーズ
純水墨・各600mm×600mm1997年作
荘子語訳:
象岡者、
若有形、若無形、
故曰眸而得之。
即形求之不得、
去形求之亦不得也。
象岡・無心之謂。
化境
「上善若水」(老子)水の如くに生きれば。
最上の善を例えるなら水である。
「上善」とは最上の善。
「道」とは老子の教えの中で云う、万物の本源的なもの、即ち万物の真実です。禅で云えば究極の悟りです。
「仁者楽山・君子楽水」
(仁者は山を楽しむ、君子が水を楽しむ)
古来の文人画家たちは自然山水に対して、求める「心情」のことである。その「心情」を託するには:時に文語で表現 (文なり、詩なり、歌なり)。時に絵画で表現する (山水画なり、花鳥画なり)。すべて自己精神を高揚させるためである。
水を表現純水墨「瀑 韻」を表現シリーズ作品
和紙・純水墨作品:瀑韻和紙・純水墨作品:瀑韻和紙・純水墨作品:瀑韻
水を表現純水墨「玄 海」を表現シリーズ作品