01
ワン
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ワンは紐を持って、当て所もなく歩いている。
紐は彼が歩いているレンガ敷きの道路の、目の前の角を曲がってその先まで続いている。彼が角を曲がると、紐はさらにその先の角をまた曲がっている。どこまで行ってもそうである。ワンはこれまでついぞ、紐の先に繋いであるものを見たことがない。
彼はこの紐を、物心ついた時から手にしていた。この紐との馴れ初めについては、5W1Hに関して全く与り知らなかった。ただ自分がこの紐を握り続けなければいけないのだという事だけが、彼のどこか奥深い所で了承されていた。そういうわけでワンは、来る日も来る日も紐を持ったまま、三月の街を当て所なくただうろうろと歩き回るのである。
紐はいつも地面から数十センチほど浮いて、ぴんと張り詰めていた。紐の先にあるものと彼とは、常に一定の距離を保っていた。彼の歩幅はきっちり60センチメートルであったが、彼が一歩進むと繋がれているものも併せてきっちり60センチメートル進んでいるのである。彼が眠っているとき、繋がれているものもまた静止しているらしく、彼がふと道を引き返すとき、繋がれているものもまた同じ距離を後戻りしているらしかった。ワンはもしかすると自分こそが合わせさせられているのかも知れないと考える事があったが、ある種の摂理とも言うべき正確さで繰り返されるその現象は彼の前にいつでも超然として横たわっていたので、そこから先に思索を広げることはいつも自然と憚られた。紐が自分の手の中にあり、繋がれているものも動いているのだという事が、彼にとっての紐に関する全てだった。
いったい何で出来ているのか、紐は切れることがなかった。刃物が当たろうが、火に触れようが、平然として一本の紐である。例えば一つの路地をワンと繋がれているものが隔てているとき、その路地を車が通行することは出来なかった。異物に触れるとき、一本の紐は一本の棒と化す。その強固な事は鋼鉄の比ではなく、その鋭い事は刀の比ではなかった。ある日この紐に向かって突っ込んだ一台のトラックは、前輪と後輪、それから下部に迫り出していた諸々の部品を悉く上下二つに切り分けられた。切り口はショーケースに収めてダルナウェイ博物館に展示されても差し支えのないほど鮮やかであった。ワンは少しく慌て、ごめんなさあいと運転手に声を掛けながらそのまま路地を横断した。くしゃみの唾を掛けてしまったのと同じくらいの失敗をしたものだと思った。
このままワンと紐の間にある現象を書き連ねても良いのだが、掌編という形式の都合、そして筆者の飽きっぽさという事情に鑑みて先を急ぎたい。観念的に言うならば、紐の先にはワンの不在とも目されるべきものがあった。それはワンの前にだけ現れないものであり、ワンと共に有るとも言え、ワンと共に無いとも言えるものだった。それはワンの存在と共に不在であり、ワンの不在と共に存在であった。
例えばワンの目の前にある曲がり角の先に居た者は必ずこの繋がれているものを見ることが出来たが、それはワンの不在を知ることと正しく直結していた。繋がれているもののいるとき、その視界にワンはいるはずがなかった。またワンが視界に入るとき、繋がれているもののいるはずもなかった。ワンと繋がれているものとは、本来一つのものが使い分けるはずの存在と不在とを、二つでその都度分け合っているようだった。
不思議なことには、ワン以外の人であっても、視界に紐だけがあるという光景を見ることがなかった。ワンから一つ目の角までの間にはワンと紐の後ろ半分があり、一つ目の角から二つ目の角までには紐の前半分と繋がれているものが必ずある。有り得ないのは、繋がれているものがワンを一つ目の角の前に取り残したままで二つ目の角を曲がってしまう事だった。三月の街にあって人々が目にするのは、ワンが居て紐があるというもの、紐が有り繋がれているものが居るというもの、ワンもつながれているものも居らず紐もないというものの三つの光景のどれかに限られていた。三月の街の路地の入り組んでいることは、自然と三つ目の光景を多く視界に生むことであったので、人々はこの現象をさして気に留めることもなかった。そこに紐があれば、それはカルガモや牛の行列が道を渡っているというのと同じことだった。彼らは乗り物のハンドルから手を離し、あるいは足を止め、それらが視界を通り過ぎてしまうのを空でも眺めて待っているのである。
以上のような事が三月の街には延々とあった。これにも終わりというものがあり、またそれは幾分にドラマチックでもあるので以下に記すものである。
ワンは少年だったが、青年になり、中年になり、当たり前に老人になっていった。三月の街の人々は、繋がれているものもまた同じく老いつつあるのを見ていた。ある日ワンは、頼っていた杖に紐を絡ませてしまった。つんのめって転び、頭を強か地面に打ちつけた彼は、もう立ち上がる事がなかった。
曲がり角の先に居た者は、ワンが転ぶのと全く同時に繋がれているものの最期を見た。それは紐を掴むものの動きが止まったのを感じ取ると、くるりと後ろを振り返り、その方へ向かって駆け出し、角を曲がっていった。
倒れたワンを後ろから見ていた者がいたが、その視界に繋がれているものの入ってくる事はなかった。ワンの手には紐だけが残された。紐はその両端を空にしたまま、今はダルナウェイ博物館の三階に展示されている。
繋がれているものの消えていった曲がり角には、今でも石碑が建っている。そこには漸く一つの画のうちに彫り込まれたワンと繋がれていたものとが、暖かな日を浴びて悠々と歩いている。